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一杯のビール、 と、幸せ値について

お酒が好きだ。
中でもビールが好きで、よく飲む。色々な種類のものを飲むけれど、その割にはあまり詳しくないし、繊細な差は看過してしまう、そんな程度。
今日のビールはムーチョアロハ。
仕事が終わった後の一杯は、例に漏れず私にとっても格別な幸福感をもたらす存在だ。

で、幸せ値のはなしにどうしてなるの?というと。
まず幸せ値ってなんやねんって話から。
普通の状態で美味しいものを食べるのと、
空腹の状態で美味しいものを食べるのとでは、
後者の方が美味しく感じると思う。これは味覚の話だけれど、幸せも同じことだ。

それまで置かれていた環境によって、与えられた事象は同じでも、それを受けて感じる幸福感にはかなりの振れ幅がある、と感じている。

私が、食事の例で言う空腹の状態……つまり些細なことで大きな幸福を感じられる状態を、「幸せ値が下がっている」と表現するようになったのは、いつからだったか。
初めはそれを、幸せのコスパが高いってことでは?と思って歓迎していた節があった。
人はきっと際限なく貪欲になってしまうし、本人が幸せを感じているならそれでいいのでは?と。

しかし、それから数年経った頃、かつての自分の納得に疑問を覚え始めた。

「私はもっと高い値で幸せを評価することだってできるのでは?」と思い始めたのだ。
幸福を認識する振れ幅は、その時々によって異なる。しかし、その振れ幅が大きすぎることまでも認識してしまうと、話は別だ。

だって、幸せ値が下がってるということを認識してしまうのは、考えようによってはなんだか物悲しい。

自分の幸福値が下がっているのを認識することは、置かれた環境のベースライン自体が以前より下がっているということを認めてしまうことに他ならないからだ。

気づいてしまったものから目を背けられるほど、人間は器用ではない、と私は思う。
自分にとって幸福とは何なのか。
それは環境によって左右されていいものなのか。つい、考えてしまう。


まあそれでも、私はビールが好きだから、ビールを飲む幸せは格別だと思っている。
仕事終わりじゃなくたって、ビールはいつも私に素敵なひとときをくれると、信じている。


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