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1ヶ月、毎日欠かさず書いてみて
1ヶ月を超えて、まいにち欠かさず1300字くらい投稿、合計約45000字。もともと20年間、ひとりで紙に文章を書いてた。それをWEB公開に変えただけだから、無理してる感じもない。僕にとって、あらゆる文章を書く本質は、己との対話であって、頭の中で僕自身と飲み会することが目的なのだァ。元々、僕の私による俺のために内省なのだから、アクセスがなくても、♡がつかなくても関係ない。でも…読まれたり、♡されたりすると、とても嬉しい自分、会社の昼休みにアクセス数を確認しちゃう自分がいる。個人的な世界を、外にさらすのは路上ライブのような。読まれると、僕と誰かの世界がつながったような。ちょっと幸福な気持ちになる。手書きのノートでは味わえない感覚だった。ちなみに35日間でアクセスは3500。1日100。相場は知らないけど、ありがたいなあ、と思う。サボるとバレる環境を身を置くことで、欠かさずひとりの時間を取るようになった。内省を毎日繰り返すことで、理不尽でよくわからん世界との折り合いが、以前より、つきやすくなった。自分の思考の足跡が明確になった。足跡が記事という単位で独立して、別トピックと関連し合う思考のピースになった。そういった諸々の過程を読んで、共感くださる方の有り難さを知った。一方で、久々に万年筆でひとり、以前のノートに向かったら、ソレはソレでとっても有意義であった(写真)。じぶんにとっての、書くという本質を、見失わないようにしたい。以下、オマケ。写真右側を文字に起こしたもの。左側はnoteを始める前、6/16に書いたものです。
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noteに移って1ヶ月。万年筆に触れる頻度は減った。やっぱりこっちのほうが、垂れ流しには向いているかも。スピードが丁度良い。キーボードだと早すぎて、考えなから書けない一方で、万年筆は書いている間に、次の展開を考えられる。こうやって書きながら。そうだ、これで一本、書いてしまえ。あとからPC再タイプすれば良い。と急にエリを正す。エリを正す必要もないのだけれど。ついつい、字を綺麗に書いたほうがいいかな?と外見を来にしてしまう。良くない。それにしても、筆が止まらない。思考の道路を敷きながら走っているような。なんか、そーゆうマリオのステージがあった気がする。PCだと、次のことを考える前にタイプが終わってしまい、文末で絶壁に立たされる。ふりかえってちょこちょこ直したり考えたり、スピードが遅い。わけだ。ずーっとペンが走っている。立ち止まらないという心地よさ。本来これであったなあと、ノートに戻りたくなるのだが、noteに書くのもたのしく。継続させればよろしい。パソコンの文章も、こんな感覚で書けると良いなァと思うのだが。つまり思考を早くするか、タイピングを遅くするか。アシナミを揃える訓練が必要なようだ。タイプしながら次の一文を生成する、と、タイプは止まらない。止まらないと、フロー状態に入りやすい。オートパイロット。勝手に手が動いている感覚。これがやりたくて万年筆を買ったのだ。15万円もしたのである。大事に使い続けたい。とは別軸でnoteも回す。たぶんだけど、noteに書くことで人様に見せれる程度の品質は意識されている。よくも悪くも。スピードを上げ、フローに入って、自身を垂れ流しながら、同時に品質の高いアウトプットが出来るようになれば最善である。思考の品質が向上しスピードが上がれば、たぶん人生的にも良いのではないか。ひとりでノートに向かって孤独に熟成するより客観が加わる場に、一歩引いた目で、自分の気持をよどみなくアウトプットすること。それは望むところな状態ではある。ここまで「僕は」って主語を、あんまり使ってないな。そりゃ僕だから書かなくていいわけで。自然と文体も変わっているのである。良くも悪くも。一致させるべきなのか?まだわからない。字をキレイに書けば、iPhoneに文字起こしさせれることは実験済みなので、ハイブリッドもアリか?でもiPhoneにこびてキレイに字を書くのも違うような。でも良い万年筆でね、キタナイ字を書くのもね。せっかくならキレイに遅く、書ければ良いのだが。果たして品質はどう違うのだ?変わらないならこっちのほうが良いではないかと思ったり。どうなんだろう。人生何事も、まずやってみる、走りながら考えることである。1121字/全体1816文字