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絶対的な味方でありたい。

新卒で入社した職場で過ごした2年間、今思えば私は自信がなかったのだと思う。

日々目まぐるしく過ごす中、私は一支援者としての在り方というものがはっきりしていなくて、宙ぶらりんに療育をこなすだけだった。
周りには頼れる先輩、実力のある先輩。学ぶところは多いけれど、"支援者としての自分"を確立している先輩たちの着る服は何だか私には合わなかった。

支援者とは、導く者であるべきか?同じ目線に立つべきか?支援者としての在り方は十人十色なのだと思う。
まだ"支援者としての自分"を確立していない私は、何だか痒いところに手が届かないような、そんな思いをしながら毎日を過ごしていた。

そしてそれは、自分が思う以上に不安であり、自信を無くすものだった。
何となく空回っている気がして、自分はこの仕事に向いていないんじゃないかと思い続けた。
私が長期的な休職を経て退職に至った理由のひとつだった。

時は流れ、現在。
10月から働き始めた職場で、最近思うことがある。
それは、利用している子どもたちの絶対的な味方でありたいということ。
ひとりひとりと丁寧に向き合ってきて、彼らが変化していく様子を見て、自分がそういう支援者でありたいと思うようになった。

子どもたちの、些細な発信を取りこぼさないようにキャッチする。そして、それに100%で返す。
小学生としての義務と、身につけるべき技能と。それらを背負って今を生きている彼ら。
だけども、まだまだ人からの愛を享受するべき存在としての彼ら。

指導する大人、叱る大人、愛でる大人。
いろいろな大人がいる中で、私は子どもたちのそのまんまをまるっと受けとめる大人でありたいと思った。
彼らの存在そのものを肯定し、心に寄り添い、同じ目線に立つ。
そうすることで彼らが満たされ、安心し、自分という存在に自信を持って、幸せになることを躊躇わずに生きていけるなら、私はそういう大人でありたい。
甘やかすのではなく、存在を受け入れる。それによって彼ら自身が自分の根っこの部分に自信と誇りを持って生きていけるなら、こんなに嬉しいことは無い。

知識や技術は武器になる。それらは、子どもたちの助けになることだろう。けれども、一番大事なのはそれじゃない。
子どもたちが自分を大事にしながら幸せに生きていく。そのための支援をすることだと私は思う。

だから、私は子どもたちひとりひとりの絶対的な味方でありたいと思う。
それが、私の"支援者としての在り方"だ。

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