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ささくれ
私は決して強い人間ではない。
そんなことは、とうの昔に分かっていたことだ。具体的に言うと、中学生の頃から。
普段は心に鎧を纏って、平気なフリして生きているだけ。強くあろうと、そう振舞っているだけ。
けれど、蓋を開けてみるとそこには弱い私がいる。私は、そんな自分が大嫌いだ。
気丈に振舞っていても、コップから溢れてしまうことが多々ある。そんな時、私は自分のことがとことん嫌いになる。
逃げてばかりで、甘ったれで、何かと言い訳をしながら現実から目を背ける。
そしてその度、酷い自己嫌悪に陥る。
頑張れない、否。頑張らない。
そんな自分が憎い。
頑張りたい、強く優しい人間になりたいと謳いつつも、口ばかりで。現実がどうにもハードルが高く感じ、目を背けたいと思ったらすぐにシャットアウトする。
頑張り続ける必要は無いけど、頑張らないと私の場合は現実を生きていけない。そう思っている。
だからこそ、こういった自分の狡い面が嫌いだ。
何を甘えているのか。
何を逃げているのか。
後に襲ってくるのは後悔と自分への失望。
皆、逃げずに日々生きているじゃないか。そりゃしんどい日だって逃げたい日だってあるだろうに。それにも関わらず、ちゃんと現実と向き合ってどうにかやっている。
私は?
いつまでそうやっている?
"頑張れる自分"と"駄目な自分"。
そのギャップが大きすぎて、1日さえも乗り越えられないと、無理だと早々に諦める。
それでは駄目だと、何度思ってきたか。
次こそは変わると、何度決意してきたか。
けれども、ちっとも反省しない私は毎度同じことを繰り返す。
付き合いきれない、だからお前は駄目なんだと失望する。
変わるためには、どうしたらいい?
これ以上自分のことを嫌いになりたくない。
やはり頑張り続けないといけないのか?
弱い自分を封印しないと、自分の好きな自分にはなれないのか?
長い長いモラトリアム期間は、25歳を迎えてもまだまだ終わってくれないらしい。
世間からしょっちゅう目を背けたくなるし、ひとりきりになりたいこともあるし、頑張りたくないと思う時もある。
そんな考えが甘いのだろうか。そんなんで、この先強かに生きていくことなんてできるのか。
そろそろ腹を決めて、大人としてしっかりと生きていかないといけないのだろうか。
あぁ、いつまで経っても大人になれない。
結局は自分に甘いのだ、私は。
毎度同じことを繰り返しては自己嫌悪に陥り、そうして散々自分が嫌になったにも関わらずちゃんと学ばないからまた繰り返す。
そんなことばかり、ぐるぐると考えている。
ぐちゃぐちゃに絡まった思考にも、自分の嫌いな自分にもうんざりだ。