考えるということ
考える時間が増えた。
というか、考えなければならないことが増えた。
ここ数ヶ月、たくさんの人が外に出られない代わりにSNSで発言するようになった。
世界中で巻き起こる、今までに見たことのないムーブメントの数々。良いことも、悲しいことも、怒りも、今までより何割も増して強く、大きな声となって拡散される。
良いことばかりなら楽だけれど、殺伐とした空気に辛くなった人も大勢いるのではないかと思う。
私は幸い傷付いたり、SNSを辞めたいと思うようなことは今のところない。でも、ふとしたときに大波に飲み込まれそうになってしまう。そこで言葉の重さやネット社会の仕組み、日本のこと、外国のこと、様々なことをよく考えるようになった。
自分とは違う考え方の人にとっても私の発信は刃物になっていないか。一方的に自分を正当化していないか。
波は自分の意思に関係なく襲ってくる物で、コントロールはできないけれど、乗りこなす努力はできると思う。
SNSの波は強大で恐ろしいものに見える。でも波は人が作っている。25メートルプールで、みんなが一斉に同じ方向に歩くと海のような大波ができるように、分解していくと小さな力でできているのだろう。
他人を理解するのは、本質的にはできないのかもしれない。でも、私は理解できない相手のことも傷つけない人間でありたい。
それが、自分自身が気持ちよく生きていくための方法だと考えているから。
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