自分を知らないことが一番恐ろしい‼️
「自分というもの」 五井昌久
自分がわからないことは恐ろしいこと
人間はほとんどの人が、この肉体の身体をもった人を、自分と思っています。
突然こんなことをいうと、当たり前じゃないか、この他に自分なんていうものがいるものか、とすぐに反撥がきます。
ところが、その反撥してくる人のほうが、人間というものを全く知らない人なので、そういう人達が大半のこの世なので、争いや不調和や不幸が起こってきているのです。
私がいつも申しておりますように、肉体身は人間自身ではなく、この肉体身が自分自身でもありません。
真実の自分から分かれたものという意味で自分自身というのなら、この肉体身自身も自分であるわけですが、普通一般の人が思っている意味での自分ではありません。
人間の本心、本体は神霊の世界にありまして、分霊として霊界に、分霊魂(ぶんれいこん)として幽界に、分霊魂魄(ぶんれいこんぱく)として肉体に分けられて現われているのです。
ですから、肉体身としての人間が生まれていない以前に、神霊としての自身の生命が生き生きと働いているのであります。
その真理を知らないで、肉体の自分として現われた時をすべての出発点と思って、肉体身だけを頼って、生活しているのがほとんどの人間です。
肉体身や物質に縛られていたのでは、生命が自由に生きいきと生きるわけにはいきません。
どうしても、物事が相対的になり、一定にせばめられた動きより出来なくなります。
物質界も肉体身も、有限なものなので、その有限の中で、自分たちの有利な世界を発展させようとします。
そこでお互いの利害関係が生じ、それが国家関係になりますと、戦争というような恐ろしい事態になってくるのであります。
人間が人間そのものを知らぬ、自分というものを知らぬ、ということは恐ろしいことといわねばなりません。
しかし、人間の本質、本体というものが生命そのものであり、五感に直接ふれることができないので、生命の力によって動いていて、直接ふれることができる肉体というものを、自分自身と思い誤ってしまうのも無理はありません。
しかし、無理がないですましているわけにはゆきません。
そういった誤った考えでいては、人類はやがて滅びてしまわなければならないからです。
その真理を知らせようとして、いろいろ聖者がこの世に現われているのであります。
そうして、そうした聖者方をこの世に現わしていた守護の神霊方はたゆみなく肉体人間に真理を知らせようとして、身近に働いているのであります。 つづく
『自らを信ぜよ』五井昌久(著)白光出版