十八 狂気
(何だ?どこだ?ここは?)
様々な疑問が飛び交う混乱したままの頭で僕は周りを見回す。円形のホール、綺麗に配置された数々の長机。目の前の資料には、塾長対象説明会資料と書かれた資料があり、中央の教壇には、講師と見受けられる人間がマイクを持って学校の説明をしている。
(塾長対象説明会……)
自分が塾長であったことなど、もう随分昔のように思えた。とにかく冷静になりたいと思った僕は、説明会の途中ではあったが、トイレに駆け込み、顔を洗って自動販売機で飲み物を買った。
(今のが……夢?)
もう頭が狂いそうだ。何が現実で何が夢なんだ?僕は携帯を取り出し、日付を確認し、またアッセンブリホールと書かれたホール脇に立てかけられた看板を見て、この日は初めて下山田と出会ったあの高校説明会の日であることを確認した。看板前に設置された簡易受付にいた学校関係者と目が合い、軽く礼をして、説明会会場の自席に戻る。説明会の内容など当然、頭に入ってくるわけがない。辛うじて僕が思い出したことと言えば、この説明会後の名刺交換会にて、僕は下山田教授と出会ったということだ。
(彼にも……何か、あっちの世界の記憶が残っているかも知れない……)
とにかく僕は話を聞いてくれそうな人……、仲間が欲しかった。そう、さっきまで苦楽を共にしていたような……。説明会が終わり、場は一転して賑やかな名刺交換会に変わった。その雰囲気に一人取り残された僕は、フラフラと前回のことを思い出しながら、名刺交換に向かった。
「やけに……お疲れのようで……。お忙しいんですね……」
僕はその言葉に何も反応出来なかった。ただ口から
「下山田……教授はいらっしゃいますか……?」
とだけ言葉が出た。だが返答は僕にとって信じがたいものだった。
「下山田……教授?ウチにそんな先生いたかな……」
「あ、すいません。高校の先生じゃなくて……。大学の……心理学科の教授さんで……」
あの心境の中、我ながらよく言えたと思う。僕の言葉に長椅子の向こう側で数人の教師が相談しあった結果、
「すいません。ウチの高校にも、大学にも、下山田という教授はいないようでして……。どこか他の学校とお間違いではないですか?」
と、絶望的な返答。僕は名刺を交換することも忘れ、その場を後にした。下山田が存在しないのであれば、永瀬も存在しないかも知れない。いや、存在していたとしても、その所在を確認する術がないのだ。
(何よりも……ここは現実なのだろうか?)
そのまま僕は当てもなく街を徘徊していた。ふと電気屋の前に巨大なテレビがあり、あるニュースが耳に入って来た。
『奈良県山中の廃寺の撤去作業中、本堂の地下深くに空洞が発見され、そこから古代の遺物が発見されました。そこに安置されていた品々は、寺に関わるものではなく、それよりもはるかに古代の物である可能性があり、紀元前の日本に既に文明があったという可能性すら見え、考古学界に衝撃が走っています』
(それは……抽象世界や疑似世界に関する三十億年以上前の物だよ)
指したる興味もわかなかった。
(どうせ……ここも……現実じゃないんだろ?)
先刻からループする世界の中でも、何かが少しずつ違っていた。僕がここが現実ではない、と確信したのも、街を徘徊している最中に、現実にはなかった決定的なものを見つけたからだ。
(中途半端な疑似世界だ……)
僕は唾を吐きかけて、僕はそれを通り過ぎた。それは奇妙にクロスされたのっぺりとした板が屋根に、シンボルのように立てられている西洋風の建物で、その入口には『キリスト教』と書かれてあった。多分、この疑似世界における宗教の一環なのだろう……。町を徘徊している間に何度かそれを目にした。人が磔になったなったような恐ろしい物まであった。そんなものを拝むなんてありえない。
たぶん僕はひどい顔をしているのだろう。周りの人間どもが僕を避けるように距離を取るが、所詮、創造された疑似であり、気に掛ける必要もない。だがそんな宗教を見て思い出した。この疑似世界において、もう僕が頼れる存在は……ヨギしかいない……。僕は一度、ヨギと意識の接続に成功している。そのときに……既に、偉大なるヨギは僕に道を示してくれていたのだ。
僕はこれから、奈良の『目隠し村』へと向かい、古代の意志が保存された洞窟に向かう。その場所なら、再びヨギの意志と接触が出来るかもしれない。もう、どれが現実で、その現実に戻る価値があるのかすらもわからなくなった。僕は『ハブネ』へと向かう。
ごく稀にだが、他世界の物が現実に紛れ込むことがある、と秋山の資料に書かれてあった。僕も……彼に倣って、僕が見たもの、聞いたことを、出来るだけ正確にここに書き残すことにする。僕がまだ正気であるうちに……。いつか誰かの役に立つことを信じて……。
僕はもう狂ったか、狂いかけているのだろう。夢か現実かもわからない……この赤い大地の上で……。
『祈り求めよ。ヨギは再び現れ、我らを導く。ヨギの創りたもうハブネこそが楽園と知れ。我らは皆、そこに向かって旅をしているのだ』
了
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