十六 再来
車で約一時間前後、道がはっきりしない分、前に来たときよりも、少し時間がかかった、いや、前に来たことなどないのか……。黄色と黒のロープが張られた山道の、『立入禁止』を示す看板は、赤く錆び付き、もはや道の端に転がっているだけだった。スマホの地図を見ながら、その脇に停車を促し、僕はそのまま道を先導する。
(この道を歩きながら……岩村博士はあの村の過去の慣習について話していた)
現実ではない記憶に引っ張られるようにして、不気味な廃村が見え始めた。前回も荒れてはいたが、それとは決定的な違いがある。目の前にある廃村は、スプレーによる落書きなど、比較的、近年に、俗な人間が訪れた跡が目立つことだ。
(廃墟や廃村などは……これで当たり前なのかも知れない)
つまり前回の来訪は夢で、今回の来訪が現実であるという証拠なのかも知れない……、いや、前回の来訪など無いのか……。
「こっちです……」
その不気味な雰囲気に圧倒される両教授を横目に、僕は廃村の奥へと足を進める。そして辿り着いた二階建ての飾り気のない建物……、頑丈な青い鉄扉……。風化や荒れ具合は違うが、やはり僕はこの場所に来たことがある!
「これが……その秋山の住居ですか……」
ふぅ、と息を突きながら下山田が呟く。
「しかし……、これでは中に入るのは難しそうですね……」
コンコンと鉄扉を叩きながら言う永瀬に、
「教授たちは……この村に何か手掛かりのようなものがあるか……、探しに行ってもらってもいいですよ。僕は……この建物の中にいますから……」
と伝えた。顔を見合わせた両教授の次の質問はわかっている。どのようにして侵入するか、だ。
「近くの廃屋に梯子があります。それを少し拝借して……二階のベランダのテラスから入れるのです。確か……そこには鍵のかからない扉があるはず……」
そんな僕の言葉に
「そんなバカな……」
と、言いかけた永瀬を、下山田が止める。
「わかりました。では先生。我々はこの辺りを調べてみますので、もし侵入に成功なさったなら、この扉の鍵を開けて頂けますか?」
と、僕に肯定的な意見を言い、
「もしもそれが事実であるならば、あなたの言っていることの信憑性がさらに高くなる。つまりこの建物に何かがあり、それが我々の探す手掛かりである可能性も高くなる、ということでもあります」
と、誰に向けて言うでもなく、そう口に出した。そして僕は、記憶にある岩村の背中を追って、あのとき彼が向かった廃屋の方へと足を進める。崩れ砕けた納屋の中、二つ折りのかなり大きめの梯子があった。岩村が持っていたそれと比べて、少々古ぼけてはいたが頑丈で、その使用には問題なく思えた。それを肩に担ぎ僕はまた岩村の背を追った。彼は建物の右脇を抜けて、裏に回ったはずだ。同じように裏手に回り、見上げるとそれと思しきテラスが見えた。僕はそこに梯子を立てかけ、安全確認の後、それを登りテラスへと辿り着いた。そこにあったドアは建付けが悪く、開きにくかったが、確かに鍵は掛かっていなかった。埃っぽく、かび臭くはあったが、長期間に渡ってこの建物には部外者の侵入を許さず、荒廃の色は見えなかった。だが、見知らぬ封鎖された建物の中、たった一人というのは少しおかしくなった僕にさえ、恐怖を与えるには十分だった。
(とにかく……今は玄関の扉を開けて、逃げ道を確保しよう)
と急ぎ、薄暗いエントランスに向かい、鍵を開けたが、錆びついていたのか、開放するのも一苦労で、足でガンガンと蹴ってやっと人が一人通れるぐらいの隙間が出来た。意外にも、両教授は扉の前で待機していたようで、扉を開けることに手を貸してくれた。扉の隙間から外の光が射しこんでくる。
「これは……」
両教授が中に入った瞬間、永瀬が異常なものに気が付いた。彼が膝を折って見入っているもの……それは、何人分かの足跡だった。
(誰か……僕ら以外にもこの場所に入って来ていたのか……)
それは比較的、近日についた物のようだが、どうにもおかしい。その足跡は方向的にもつき方にしろ、どうにもエントランスから入って来た者のようだったからだ。
「玄関の扉が長い間、開いていないことは、間違いありません」
両教授たちは僕が内側から鍵を開けるまでの時間、外側から扉などを調べていたようで、とくに錆びついて開きにくい扉が開くときには、その跡が出来るものだ。しかしその跡が見当たらないことから、この扉は長期間に渡って開いたことがない、と確証を持って言った。
「開いていない扉から、複数の何者かが侵入した痕跡……。どういうことでしょう?」
と呟く永瀬に、
「開いていない扉から、複数の何者かが侵入したということです。どれだけ非現実的であっても、現状、それしか答えがないというのならば、それが唯一の答えです」
と、非現実を肯定する意見を出した下山田の顔色も良くない。非現実的にしか肯定できないそれらは少なくとも三人以上の足跡で、エントランスから、そして二階へと続いていた。
「行きましょう……」
足跡の続く二階への階段を見上げながら、下山田は言った。天窓から入る一筋の光しか入らないエントランスで見た下山田の顔は、薄暗さに映えるように真っ白だった。
僕の先導の下、僕らは今、あの黄色い部屋に向かっている。例の足跡群もそちらに向かって続いているようだ。僕は、所々、壁に描かれた謎の記号に浮かび上がる違和感を飲み込んで、足を進めていた。
「ここが……秋山さんの書斎です」
と、ドアを開けると、やはりそこは黄色く塗られた窓から入る光で真っ黄色で、
「奇妙な部屋ですな……」
「ここに長居すると、妙な気分になりそうな……そんな落ち着かない部屋ですね」
と、両教授の至極真っ当な意見とは対照的に、なぜか懐かしさと、安心感のようなものを感じた僕は、もうあちら側の住人なのだろうか?そんな僕の心持ちも
「気が付きましたか?例の足跡は……この部屋で消えています。つまり……この部屋から出て行った形跡がないのです」
という言葉で我に返された。
「謎の人物たちはこの部屋に入って……そのまま消えた……ということですか?」
「わかりません。ここで靴を脱いで足跡の付きにくい何かに履き替えたのかも知れませんが……、消える、すなわち失踪する……。ひょっとしたら連続失踪した患者たちに関係がある可能性が大いに出てきたのかも知れません」
と、彼なりの推理を語った。
(この部屋に入って消えたって?)
僕はあのとき、この部屋に入ったが、その後も外には出ていたはずだ。つまり消えてなどいない。だがこの足跡を見る限り、足跡の主たちがこの部屋から出て行った形跡がないのも事実だ。僕はこの足跡を、過去に自分たちがつけた物だと勘ぐっていたのだが、それは外れたようだ。頭を捻っても回答など浮かぶはずもなく、とりあえず僕は本棚を押し、隠し戸棚の中の資料を取り出した。当然のようにそれを行う僕に、
「本当に……そんなものが……」
と絶句する永瀬。
「我々も、現実的な考えを捨てなければならない時が来たのかも知れません」
と、下山田も額の汗を拭きながら呟き、その言葉は幾分、僕の気持ちを楽にするものだった。やっと仲間が出来たような……そんな安心感。前回と同じように窓際の机に資料を並べ、僕はまた同じように『民間伝承』と書かれた資料を手に取った。偶然なのか必然なのか、下山田が手に取った資料は『奇病』、永瀬の方は『意識科学』といった具合に、それらも前回と同じだった。
(で、ここまでは来たが、どうすればいい?)
僕は自身の資料を開きもせずに、黄色い日の当たるソファに深く腰を掛けた。
(僕が両教授についてここに来た理由は……ここに来れば何か……、そう、僕が体験した奇妙なことが、現実なのか、そうでないのか、またあの奇妙な世界が存在するのか、について何かの手がかりがあるかも知れないと思ったからだ)
ため息をつき、
(秋山邸や隠し戸棚の存在などを考えると、僕の体験した奇妙なことは、現実に起こったことである……と徐々に証明されつつある。つまり、あれが現実に起こったことである可能性が高くなってきたわけだ。で、どうする?)
行き詰ったような感覚の中、僕は黄色い窓の外を見た。
(そう言えば……秋山さんは……何を参考にしてこの精密な資料を書いたのだろう?)
と、僕は手に持った過去に読んだ資料を開いてみた。
『民間伝承』
『この村には遠い過去から伝えられてきた祭事があった』から始まる、前回にて読んだ文章……。
(いや……違う!)
そこで気が付いたことがある。抽象世界で読んだこのノート……、もう一人の僕の後ろから読んだこの資料は……確か前半にはわけの分からない記号や絵が描かれていて、後半からがまともな文章になっていたはずだ。
飛び起きたように、僕はそのノートの後半部分までノートをめくる。後半には、わけのわからない記号と日本語ではない文字で書かれた文章が連なっていた。
(相違点は手掛かりになる)
そう考えた僕は、読解中の下山田と永瀬を中断させ、彼らの読む資料の前半と後半を見比べた。無言のまま目を丸くして僕を見る両教授を横目に僕はいそいそとページをめくる。やはり前半にはまともな文章があり、後半には奇怪な天体のような絵や、謎の丸文字が連なっている。
(これも……つまりあの世界で見た物とは逆になっている……)
僕は資料を返し、どうしました、と尋ねる下山田に応えもせずに、深々と椅子に腰かけた。
(どういうことだ……?)
まず、あの世界で見た物と同じ物が、現実にて存在していることはもう間違いないのだろう……。だが、所々変わっていることがある。それはあの世界においてもそうだったんだ。これが意味することとは何だ?
(今、文章と見えるものがあのときは記号や絵に見えていて、あのとき文章と見えていたものが、今は記号や絵に見える)
『抽象的現実において、転生当初の意識においては、視覚、聴覚といったいわゆる知覚が変貌したように認識される』
資料のどこかに書かれていたことが頭に浮かぶ。しかし今やそれは絵や記号でしか認識されない……。
(認識!?)
そこでハッとして思いついたこと……。
(つまり……これらの絵や記号は、抽象世界で意識だけの存在となった者の目には文章として認識されるんだ)
その逆もまた然り、抽象世界において書かれた文字は、現実世界においては奇妙な絵や記号として反映される、そんな結論に辿り着いた。知的障害者たちが描いた謎の絵も、ひょっとすると彼らが話したという理解不能な言語でさえも、抽象世界においては意味がわかる言葉だったのかも知れない……。
いや、遠い過去より世界に残る意味不明で解読不明なものも全てこれの類であり、『ヴォイニッチ手稿』や『ナスカの地上絵』、タッシリナジェールの壁画や前方後円墳すらも、何かを伝えようとした抽象世界から来た文字なのかも知れない……。そんなことを考えている内に、再度その絵や記号を確認したくなり、机の上の誰も手を付けていない資料、すなわち……岩村が読んでいた資料を広げてみた。それは絵や記号で埋め尽くされていたが、もう今の僕には読むことが出来なかった。
(そう言えばこの岩村博士のノートを読んでいる途中に……僕の意識は現実に帰って来たんだった。このノートの最後の方のページには何が書かれてあったんだろう……)
と、もういちどパラパラと、ある意味では見事なほど、意味不明なものに埋め尽くされたノートをめくってみた。そして衝撃と共に気が付いた。
(このノートは……最初から最後まで……絵と理解不能の言語で埋め尽くされている……)
前回、岩村はこのノートには、迷信や超考古学に関する遺跡について書かれていると言って、まるでプレゼンのように発表したのだ。これが何を意味するのかお分かりだろうか?岩村は……現実では理解不能のこの言語を、初めから読むことが出来たということになる。
(やはり……、岩村博士は、あちら側の者で……、抽象世界においてハブネへと意識を導くもの、ヨギ……なのか?)
衝撃と驚嘆に襲われたが、意外と僕の頭は冷静に働き
(前回はどこからおかしくなった?)
と、記憶を探り始めた。
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