ここでは自由な子供
やっと最近、いつもの調子が戻ってきた。
怠けていたnoteだが、やはり言葉に残すことの大切さを思い出した。
今年の中盤は、音楽とは別のことで、
「自分のできる限りの力で表現しよう」と
心に決めて取り組んでいたことがあった。
だけど、結局自分が思う100%の表現は叶わなかった。
それなりの時間と労力をかけて書いた文章だったからか、
自分から生まれた表現を諦めなければいけない状況だったことが、本当に辛かった。
そして、そう判断せざるを得なかったのは、
私が生きている業界の、見識の狭い人たちの為であるのが
余計悔しくて遣る瀬なかった。
実力不足と無知だけが原因だったら、まだどれだけ楽だったろう。
女だから。若いから。経験がないから。学がないから。
そういう理由で、平気で人を軽んじ、
これからは多様性だ、
と言いながらも理解しようとさえせず、
今だに空虚な見栄ばかりの世界。
そういう不自由な場所で私は生きている。
そして、そこで生きていくことを選んだのは自分だった。
一番身近にあって
私を掬い上げてくれた世界に
本当に感謝している。
だからこそ、そこで生きている人たちに拒絶され、軽んじられることは
予想以上の失望と傷になってしまった。
これからのことを考えると、
手放さなければいけない自由を思い知った。
正直、こんなにも時間を費やし、
お金にもならないこんな役目は辞めてしまいたい。
それでも、表現を諦めないことで、
もっと私にしか救えない人たちに出会いたい。
出会った時、互いの違いを認められて、
助けてと言われた時、手を差し伸べられる人でいたい。
そしたらきっと、過去の私もまた救われるだろう。
大丈夫。私には『音楽』という表現が残されている。
ここだけは誰にも邪魔されない、自分のことも空っぽにできる場所だ。
引っ込ませざるを得なかった私の分身も
ここでは自由な子供で
ケラケラと笑い、走り回れる。
それだけは、私が大切に守っていくんだ。