探し物は何ですか?
昔、母と一緒に母の実家である岩手に行く車中のBGMは
決まって井上陽水が流れていた。
探し物はなんですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も机の中も
探したけれど見つからないのに
好きな曲を詰め合わせたCDをひたすらエンドレスループして、
母は高速道路を乗りこなしていた。
私はそれを聴きながら後部座席でグーすか寝ていたのでよく母から恨まれたたりしたなあ。
当時は夢の中へ行けたけど、今は夢の中へいけない。
なぜなら
探し物が見つからないから!!
さっきから心を落ち着かせようとこの曲を思い出して頭の中でリピート再生しているが、どうにもならない。頭の中を整理しようと最近怠っていたnoteをしたためている。だが時すでに遅し。なぜ去年から日記をつけていなかったんだと後悔している。こういうとき日記をつけていれば過去の自分が何をどうしたのか、記憶をさかのぼれるのに。
探しているものは本。おととし京都で勉強した時に使っていた教科書である。コロナの影響で狂わされた予定がやっと来月末に差し迫ってきた。そろそろ勉強し直さないとと思い、教科書を引っ張り出してみようと所定の場所を探したが見当たらない。あれ?そういえば去年段ボールに詰めていた関連書類一式はどうしたんだっけ?また別の場所を探しても見つからない。もう一度自分の部屋を探しても見つからない。心当たりある本棚を探しても見つからない。あれ?まずいぞ。。。
去年も同じように探し物をしていた。一人暮らしの時に使っていた植物用おしゃれ霧吹きがどこを探しても見つからない。父も母も心当たりはないという。自分は詰め込んだ場所に確固たる自信があったので、「ない」という事実を受け入れられず、忘れっぽくてしまい癖のある父のせいにしていた。そして今年の三月、別のものを探して違う段ボールを開けたところに、おしゃれ霧吹きはあった。
なんということだろう。記憶とはこんなに曖昧なものであろうか。
父と母の年代ならわかる。まだぎりぎり二十代の私が、こんなにいい加減な思い込みをしているなんて信じたくない。そんな自分を押し隠しながら、すぐさまGoogleで「探し物 見つからない」「探し物 記憶がない」「探し物 見つけ方」を検索する。何でもかんでもネット検索をするのはよくないとは思うが、気が競っていたので落ち着かせるために適当に記事を読んでいく。目にとまったのは探し物が絶対見つかる!今すぐできる潜在意識を使って見つける3ステップ
正直、「絶対みつかる!」なんて文言は胡散臭いのだが、記されているのは「人間が意識して行動しているのは3%で無意識の行動は97%である」ということ。だから覚えていないのは当然のことであるらしい。そして人間は覚えていないのではなく、正しく思い出せないのである。本当は潜在意識ですべての出来事を覚えているのだが、上手く情報を潜在意識から引っ張りだせない事を、私たちは「忘れた」とか「覚えていない」と言うのだろう。私は単純なのでこの言葉で大分気が紛れた。どうせどこかにあるだろう!
そういえば、岩手のじいちゃんは毎日手帳に日記を書いていた。
「昨日は何を食べたっけか?どこに行ったっけか?」
と思い出せない事は近くにいた私やばあちゃんに聞きながら、
淡々と事実を書き記す系の日記だった。
じいちゃん、あなたのやっていたことはとても大切なことだったのですね。
ボケない為にやっていたかもしれないけれど、年齢に関係なく
人間に備わったシステムとして、きっと意識できる記憶はたくさんは保持できないようになっているのだ。
意識できないそれ以外の記憶にはきっと知らず知らず鍵がかかっている。
ふとした時にあくこともあれば、何かをきっかけとしてあくこともある。
大切なことは、鍵をすぐ取り出せるようにじいちゃんのように日記にしたり、
井上陽水の歌みたいに、
「探し物はなんですか?」
と己に問い続ける事かもしれない。