20.最後の魔法昆虫

 金曜日、美奈子が学校から帰るなり、館長から電話があった。
「美奈子君、わかったぞ、シャリオン・レリアリウム・クレイアンティス・パナハヒュウム・マニールキラ・スタムミア・トゥーレリア・フォルディラクスの正体が!」
「ええっ、どんな怪物なんですか?」
「怪物? とんでもない。シャリオン・レリアリウム・クレイアンティス・パナハヒュウム・マニールキラ・スタムミア・トゥーレリア・フォルディラクスはまったく害のない魔法昆虫だ。『太陽から降り注ぐ光が羽に真珠を散りばめたようにきらめくアゲハチョウ』という意味で、わしは勝手に光アゲハと呼んでおる」
「でも、それがなんで失敗作なんですか?」美奈子は不思議そうにたずねる。
「なんの害も及ばさない、だからこそ失敗作なのだ。あの悪い魔法使いにとって、まったく意味をなさない存在だったということだな」
 なんだ、苦労して銀のオカリナなんて探しに行く必要はなかったんだ。

 館長からの報告はまだあった。
「実はな、博物館の裏の森にそれらしい存在を見つけたのだ。光り輝く美しいチョウだった。さあ、君達、さっそく光アゲハを捕まえてきておくれ」
 タンポポ団は博物館の裏手にある森へと集まる。美奈子は手に魔法の網を手に持ち、ちらっとでも見かけたらすぐに振り下ろしてやろうと身構えていた。
 一同が手分けをして森の中へ散ろうとしたそのときである。梢の間から日だまりのようなチョウが、ひらひらと舞い降りてきた。自ら光を発し、それこそ真珠の粒をちりばめたかのように美しいアゲハチョウだった。
「いたっ! 光アゲハだ」と浩が叫ぶ。
「任せて!」美奈子はすかさず網を振るった。光アゲハは思いのほかすばしっこく、さっとよけると、はるか向こうへ飛んでいってしまう。
「なんて動きの速いチョウなんでしょうか。まるで、鏡遊びでもしているみたいではありませんか」鏡に反射した日光を、壁に向けて行ったり来たりさせる遊びを、美奈子は思い浮かべた。
「これじゃ、捕まえるなんて無理だよお」さっそく和久が根を上げる。

「お姉ちゃん、これ使ってみたら?」緑はポケットから、銀のオカリナを出した。
「あら、ずっと持ってたのね。じゃあ、あんた、何か吹いてみなさいよ」美奈子が言った。
 緑はうなずくと、オカリナを吹き始める。風に揺らされた鈴のように、清らかな音色が響き渡った。
 すると、どうだろう。あんなに素早く動き回っていた光アゲハは、中で羽ばたきを止め、木の葉のようにはらりはらりと落ちていった。
 そこを美奈子が、魔法の網でサッとすくう。
「採った! 銀のオカリナ、やっぱり役に立ったわね」
 光アゲハをカゴに入れると、一同は館長のもとへと出向いた。
「おおっ、これぞ最後の魔法昆虫! みんな、これまでよくやってくれた!」踊りださんばかりによろこぶ館長。

 館長がカゴを繭に近づけるのをみて、美奈子は「ちょっと待って」と声をかけた。
「ねえ、緑。これであんたは元の世界へ帰れるんだけど、本当にそれでいいの?」
 緑はじっと美奈子の顔を見つめる。
「いやっ。まだ、こっちにいたい。みんなと一緒がいい!」緑にしては感情のこもった声だった。「それに、このチョウチョ、何も悪いことはしてないじゃない。このまま閉じ込めちゃうなんてかわいそうだよ」
 なるほど、緑の意見には一理ある。
「でも、これが最後のチャンスなのよ。光アゲハを封印しなければ、あんたはこの先、決して自分の国に帰れないの。それ、わかってる?」
 緑はこくんとうなずいた。
「ぼく、前のところに戻れなくたっていいんだ。あっちも素敵だったけど、いまはこっちのほうがいい。それに光アゲハも自由にしてあげたいの」

 館長は困り果て、ポリポリと頭を掻くばかり。
「はてさて、どうしたものか……」
 けれど美奈子は違う。緑の気持ちを汲み取り、光アゲハをこのまま逃がしてやろうと決心した。元の世界へ戻れないのであれば、緑はここに残って、美奈子の弟となればいい。
 この選択は、とてもすばらしいものに思えた。何より、緑自身がそのことに賛成しているではないか。これ以上の結果は望めなかった。
「そうね、光アゲハは悪いことをするどころか、あんなにも美しいんだもんね。これからもきっと、見る者の目を楽しませてくれるに違いないわ。逃がしてあげましょう。そして、あんたはわたしの家で、ずっと暮らせばいいわ」

「封印はしないんだな? 本当にそれでいいのかね?」館長はカゴを手に下げたまま、美奈子の顔を真剣にのぞき込んだ。
「ええ、もう決心したんです。光アゲハは逃がしてあげてください」
 これを聞いて浩が言う。
「どうせならさ、夜まで待って、星降り湖で放してやろうぜ。こんなにキラキラ輝いているんだ。ホタルの百倍はきれいだろうな」
「おや、浩にしてはロマンチックなことで。実を言えば、わたしもまったく同じことを考えていました。いいですねえ、今晩はちょうど満月。光アゲハとと共に、幽玄な輝きが湖面に映し出されるわけですよ。なんとすばらしい光景でしょうか。そうですとも。どうせなら、星降り湖に行きましょう!」

「わかった、君達の言う通りにしよう。光アゲハのことは任せた。ところで、どうだね。1つ相談があるんだが」館長は改まった態度で全員を見渡した。
「なんですか、館長」やや首を傾げながら、美奈子が聞く。
「わしも行っていいかのう? いや、どうしても行きたいんじゃ。生まれたこのかたこんなにも美しいチョウを、わしは見たことがない。放されたあとでは、この先も再び目にできる保証などまったくない! 神秘的な星降り湖を舞台に、群青の闇で舞う光アゲハを見る機会はこれ1度きりのことだろう。そう思うと、年甲斐もなく興奮してしまってな」
 タンポポ団の面々は互いに顔と顔を見あせていたが、ようやく話の内容が飲み込めたとみえ、代表して浩が答えた。
「何かと思えばそんなことかあ。当たり前じゃん、館長。館長は、おれ達タンポポ団のサイコーに信頼できる仲間なんだぜ。いいに決まってるだろ」
「そうよ、わざわざ許可を求めるまでもないわ。館長がいなかったら、どの1匹も捕まえられなかった」美奈子は心からの感謝を込めて言う。
「そうなっていたら、今頃は大惨事だったに違いありませんよ」額にしわを寄せながら元之があとを継いだ。
「うんうん、そうだよね。想像しただけで、なんだかくらくらしてきちゃった」と和久。
「ぼく、館長さんと一緒に行きたいなって思ってたの。だからね、すごーくうれしいっ」最後に、緑が心の底からそう言った。

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