人に愛されないことではなく、自分が他者を愛せない(ロマンティックやセクシュアルではない、親愛方面ですら)ことに深傷を負っている。
何かや誰かを好いたり愛したり慈しんだり尊んだりすることがひととして当然かつ善なるものとして扱われるの、否定はしないけど規範性がすごすぎる。自分にはできない。無理だ。
たぶんもう、人間性だとか善っぽさ、おおむね規範に紐づいた「望ましさ」みたいなものから自分の意志で距離を置いて、自分にとっての他者たり得るもの……人でも人以外でも……を自分のために探していくほかないのだろうね。
この期に及んでセルフイメージみたいなものがぶっ壊れてしまう、というのは、難がありすぎる。
愛は結局のところ規範だ。もう疲れた。本当に疲れた。 何かを好きでいることにすら疲れた。そんなことにすら、なぜ自分は疲れてしまうんだろう? と思いながらも、もう答えは出てしまっている。 もちろん、規範「だから」人が愛を営んでいるわけでもないこと、重々承知です。 おそらくは自然な感情として、「人として当たり前の」感情として、ひろく共有され共感を呼ぶ愛や好きといった感情は、だからこそ否応なしに規範性を帯びるのだと自分が考えているだけのことです。 推し文化、家族愛、友愛、