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【小説】面影橋(二十一)
精神的な危機に際し翻訳によって心の平衡を保つというのはあまたの文学者に見られたことで、私もそのひそみにならったと言えるのかもしれませんが、そうした危うい均衡はちょっとしたことで崩れかけました。今考えてみると、あの人がきっかけのきっかけくらいにはなっていた、そんな風にも思えてきます。
いつ頃からかとんとピアノの音を耳にしなくなっていました。半分忘れかけていたようなものですが、記憶から完全に削除されることはなく、何となく気にはなっており、家庭教師に行った時に、「隣りの幼なじみ、順調?」と話題を振ってみたのです。その子は自分の才能に早々と見切りをつけ、作曲科から指揮科に志望を変更した、そのうちどうせ音楽すらあきらめるに決まっている、そういう子だし云々とのことでした。さり気なく作曲の先生はどうなったのと探りを入れると、首になったって、収入を絶たれてホームレスにでもなったんじゃない、家賃が払えなくてアパートを追い出されたみたいだし、今までもそんなことがあったらしいよ、との答えでした。まさかそんなこと。でももし本当にそんなことになっているならお気の毒なこと、人生はいずこも厳しい。その時はその程度の感想でうっちゃったのですが……。
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