いのっちの電話に発信してみて思ったこと
※4月10日にX(旧twitter)へ投稿した一連のポストから編輯・添削したものです。当時、以下の2つのリンクのように、炎上騒動が起きていました。この文脈において、私の投稿もされています。
坂口恭平さんはけっこうこわい
坂口恭平さんには、以前死にたくなったとき電話したことがある。
話題も気分も噛み合わなかったし、特別救われたわけでもないし、文字で読むよりぶっきらぼうな人だと思った。でも、時間もお金もかけて電話番号を公開する率直さの裏面が、ぶっきらぼうに感じられるんだろうなと少し納得もした。自分の父親や昔の世代と話していて、いいやつなんだけどぶっきらぼうだなと思うことが多い。そういう印象をもった。
とはいえ自殺を止める心理職的活動みたいなものと、ぶっきらぼうな言動って、現代だと食い合わせ悪いだろうが、それは坂口さんが悪いんだろうか?
アマチュア自殺予防ダイヤル「いのっちの電話」
人から見て怪しい活動とは思う。全部自分で背負っている活動だし他人がとやかくいうことじゃない気もする一方、有名で影響力もある以上、プロの精神科医やカウンセラーや学者がとやかくいいたくなる気持ちもわかる。希死念慮もってる人間にアマチュアが善意で話すな。自他境界が曖昧な相手もいる前で自分の厳しい信条を書くな。身銭を切っているからって、独りよがりな使命感で、生きるとか死ぬとか深刻な他人の心に触れようとしていいのかーー。
彼のおかげで救われたとも思わないが、彼と通話したあと、結果的に生き残ってしまった人間として、今回の件には態度が決められない。実際に彼と通話した感触と、炎上した文章の粗っぽさが、やはり同じ人物から発せられ書かれたものである以上、どこかつながっているだろうと、そのモヤモヤを言語化してみると、とりあえずこんな感想になる。
ぶっちゃけて言えば、著作は好きだけど、それで期待したようには通話できなかった人間としては、元々そういう人だよな、と。もちろん自分がぶっきらぼうに対応されたのは、時間がなかったり、性格が合わなかったりしたせいじゃなくて、単に「あっ、こいつは死なないな」と見通されたからかもしれない。なにせ結局生きながらえてるんだから。でも、そのときは冷たいなって思ったんだよね。本読んで期待しちゃってたし。ただ言いたいのは、彼の言動に冷たさや粗さがあったのは当初からだろうってこと。
アマチュアとプロフェッショナルのあいだで
坂口恭平さんが自費で「いのっちの電話」という活動をしているのは、彼がしたいようにするためなのだから、勝手に彼を聖人視して勝手にSNSの発言にギャップを感じて怒るのは筋違いだ。他方で、それが心理職上の倫理違反のようなものへの怒りだとしたら、そもそも彼のアマチュア活動自体を批判すべきだった。この問題は炎上する前から伏在していた。それがたまたま現在になって表面化しただけだろう。
彼が自費で希死念慮の電話対応をしている倫理的是非や、出版社がそれを好意的に取り上げて助長した点、問題視する専門家からの声が相対的に小さかった点については、全て医療職や心理職や福祉職などプロに任せる。論点を絞ったうえで、アマチュアとプロフェッショナルのあいだに対話が生まれることを望みたい。
余談
いまもこうして長文を書いて投稿しているのは、やっぱり彼にどこかで期待したり転移したりしていて、自分の書いたものが彼の目に触れて影響を与えたり反応くれたりしないかな?と外部の人からみれば信者みたいな感情を自分が持ってるからだと思う。やや散漫だが、会ったこともない著者に感情的にもたれかかる自分の甘えへの自己批判の意味も込めて書き残しておく。読み返すと、彼に「父親」みたいな存在を重ねていたり、「見通された」とか相手をそれでも理想化していたり、やっぱり信者っぽい。よくないな。