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過去の感覚、あるいはデジャメヴュについて Ⅰ Yu Amin
プラトン的な想起[アナムネーシス]が、過去の存在を捉えるのだと主張しているのは、本当に確かなことだ。ただし、この過去とは、記憶にないほど古いもの、あるいは記憶されるべきものなのであるが、また同時に[…]本質的な忘却に襲われたものでもある
——ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
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1998年生まれの弟はしばしば、90年代後半のドラマやアニメ映画、さらにはCMなどに愛着を感じると訴えてくる。今日、あどけなさと妖艶さを併せ持つようになったそのさまをまだ微塵も予想させず芋っぽさをそこはかとなく漂わせるギャル役で深田恭子がデビューを果たしたドラマ『神様、もう少しだけ』(フジテレビ系98年)、異色のタイムスリップ・ギャグアニメとして怪作の誉れ高い『クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望』(96年)、桃井かおりと野村沙知代が二人して仲良く腰痛にのたうちまわる「タンスにゴンゴン」のCM(95年)。93年生まれで5歳年上のわたしが実際に観ていたような、あるいはわたしも直接には観ていないこういうのが弟にはなんといっても「懐かしい」らしい。彼がリアルタイムで知っているのは、物心つき始めた5歳頃に放送・上演されていた、深キョン主演作で言えば『南くんの恋人』(03年)、クレヨンしんちゃんの大長編で言えば『嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(03年)あたり、キンチョーの同じシリーズでも、マリリン・モンロー風のセクシー歌手に扮していたりする沢口靖子の方(04年)だったりするが、それ以上に、先ほど挙げたような実際に同時代人として観てもいなかった作品に奇妙なノスタルジーを感じている。とはいえ、なんのことはなく、両親やわたしがVHSで録画していたものを、生のテレビよりも前に弟が視聴し始めており、いわば番組のお下がりばかり見ていたというだけの話である。しかしながら、2000年代初頭に経験したテレビにまつわる記憶の多くが、録画を介して観た90年代後半のテレビ番組やらCMによって占められていたという、この記憶と時代とのささやかなねじれについての彼の証言は、このわたしの身にも長らく名状しがたい不思議な感触を残していた。彼はほとんど生きたことのない90年後半の空気を、ほんの一部とはいえ分有し、あたかもこの過去に自らも帰属していたかのような口ぶりなのだ。アニメもドラマも90年代のが面白いよね、今より。よかったねえ、あの頃は。
もちろん、ただ解像度の低い画面を通して再生した、数にも限りある番組やCMを通じて彼が思い描く90年代後半と、その時代の雰囲気に幼いながらも浸っていたわたしやさらには親の世代の思い出す90年代後半との間に断絶や懸隔があることなど言うまでもない。それでも、実際に生きたことはないのにリアリティを惹起する過去には、彼が「よかったね」と「回想」している90年代後半には、どんな身分を与えればいいのだろうか。実際には初めてなのにすでによく知っているかのような感覚が「デジャヴュ(既視感)」なら、これはデジャヴュの変種なのかとも思う。たしかに弟は直接知らないはずのことを知っていると感じている。しかし、90年代を懐かしむ弟のなかでこの時代は「実際には知らない」という客観的な距離で隔てられているとは言いがたいほどに最初からすでに親しみ深いのである。それでは、たしかに実際よく知っているわけではない(90年代後半はテレビを通してしか知らない)が、初めて見るわけでもない(それでもテレビで間接的に知ってはいるから)、それでいて(そして、だからこそ)よく知っている(「懐かしい」)ような気がする、というこの感覚にはなんと名付けてやろうか。もし弟がタイムスリップでもして実際に90年代後半を目の当たりにするなら、彼はデジャヴュとジャメヴュ(実際にはよく知っているのに初めてであるかのような感覚)がないまぜになったような目の眩む心地になるのかもしれない。この時代に生きたことはいままでなかったけれど、テレビで見ていたのでやはりどこか懐かしい。でも、テレビで見ていたし勝手に懐かしさを感じていたほどよく知っていたはずなのに、思い描いていた時代と当然のことながらズレてもいて新鮮にも感じる。デジャメヴュ?
I. コンビニ
デジャヴュとジャメヴュのあわいにたゆたうこの想像上の「過去の感覚」は私にも無縁のものではなかった。幼稚園に入りたての頃、父の車にのって休日ドライブをする習慣があった。東京郊外の多摩も奥深くなってくる甲州街道沿いを回遊し、途中でコンビニに寄って新聞や雑誌を買い、ガソリンスタンドで給油をして、ファミレスに行くというのがルーティーンだったが、何か急用の買い物があったのか、いつもの道を逸れて、見ず知らずのコンビニに入ったことがあった。わたしたちが普段訪れるのは、セブンイレブンかローソン、あるいはファミリーマート。しかしときならず入店したこの店はどれでもなかった。こうしたメジャーなコンビニの看板や屋号は蛍光性の強い原色とそれを補強するような白いラインの組み合わせであしらわれているが、そうしたお馴染みの配色ルールからすると割合に簡素な仕様——白地に赤文字——のもとその商号はごく控えめに名乗られていた。Daily Yamazaki. 今日でも、少なくとも東京では比較的希少なコンビニチェーンであるデイリーヤマザキのこの店舗はさらに例外的だったようで、その看板と屋号が通常とは異なり赤地に黄色の文字ではなかった。どうやら、同じ名を冠する製パン会社が事業の拡張の一環として展開したこのチェーンは、競合他社以上に地域の酒屋やタバコ屋、あるいは駄菓子屋、そして当然のようにパン屋から業態変換した店舗が多いようである。そんなことは当時は思いつくよしもなかったがいま振り返ると、店内を目の当たりにした私が奇異の念に襲われたのは、もしかしたらこの店舗が個人営業の老舗商店の名残を強く留めていたからかもしれない。セブンイレブンにあるようなシステマティックでぎっしりとした商品配置に比べてやや雑然とした棚々には、下町の問屋で売られているような昔ながらのおもちゃや駄菓子——組み立て式のプラモデルやシャボン玉一式、赤白黄色の三枚一揃いの風船、線香花火、児童の小さな手のひらですっぽり包み込まれ、握りしめられることを唯一の条件としているかのような、ありとあらゆるささやかなせんべいや飴——がコンビニ弁当やよくあるポッキーのようなお菓子と入り交じり、奥には自家製なのだろか惣菜を直売りするとおぼしきカウンターが垣間見える。飲み物を格納する透明な冷蔵庫は酒類の占める割合が心なしか多かったような気もする。とはいえ、通りに面した吹き抜けの窓沿いに配列された種々の雑誌や漫画コーナーを見る限りでは、よくある当世風のコンビニの風情をしてもいた。しばらくして、こうしたもろもろの印象をわたしはこうまとめていることに気づいた。あ、80年代ってこんな感じか。自分がそれを生きる前に先立っていった直近の過去を——子供らしく大雑把に「今」よりも「昔」っぽい、ぐらいに形容してもおかしくはないのに——わたしは80年代で代表させていた。1980年代とは、1993年に生まれそのとき1998年を迎えていた私にとって、両親の世代の大人やメディアによって、(今日でもそうだろうが)実にしばしばその楽観的で享楽的で無憂の、あの躁病的な時代精神への郷愁をともなって回顧されていたのを見聞きしていた時代であり、身辺に濃厚な残り香を感じながらも、その実態を知ることは叶わないだけに一層関心を掻き立てられる時代だったのかもしれない。なにせ大人たちはJRがもう「国鉄」ではないことをまだ冗談のように確認しあっていたし、あの空前絶後の消費の時代には「消費税」なんてなかったとぼやいていたし、選挙の際には党名の変更を知ってか知らずか「社会党」支持者を自認する親戚もいたりした。私はなんとなく伝え聞いていた80年代を、あの瞬間にようやく直に掠めたような気がしたのである。決して経験したことはないが馴染みがないわけでもなかったこの時代について得ていた断片が、どこかレトロで今なら「昭和」風とでも形容される空気と、紛れもなく便利な現代の情景(いわゆる「平成」?)が地続きになっていたあのデイリーヤマザキによって、結集されて像を結び、蜃気楼のように一瞬立ち上ってきたのである。それ以来今に至るまで、私の80年代についてのイメージにはいつもこの風景が密かに付き添っているような気がする。私が「80年代」と不意に口をついて出した言葉が、本当に的を射ていたのかはわからないし、あのとき結ばれた「80年代」のイメージとても多分ごく不当な想像に過ぎないだろう。でもこの感覚には、これこそ80年代だ、と思わせる否定しがたいリアリティがあったことを、90年代後半をあたかも生きたかのように懐かしむ弟が思い出させてくれたのだ。長じていろんな書物の頁を繰るようになると、こういう幻の過去についての感覚は、言語と記憶を背負って生きるあらゆる人間に無縁ではなく、人文的、社会的、ときに科学的想像力の沃野に広く浸潤したごく一般的な感覚ではないかとさえ思うようになった。以下に走り学のは、さまざまな位相を垣間見せつつ、反響し合うこの幻の過去の感覚たちについてのささやかな物語である。