過去の感覚、あるいはデジャメヴュについて Ⅱ Yu Amin
II. 火鉢?灰皿?
幻の過去の感覚は、わたしや弟がそうであったように、そのノスタルジーが逆説的なものであることが、つまり初めからリアリティのある幻であることがある程度自覚されて体験されることもあれば、そうした自覚なく何らかの混同や誤解のために、記憶の中で文字どおりの現実として体験されつづけているケースもある。初期のカズオ・イシグロは、彼の出自からするとベタにも「日本」ものを書いていたが、そのなかに『浮世の画家』(An Artist of the Floating Time, 1986)という小説がある。藤田嗣治を思わせる日本人画家が主人公のこの小説には当然日本の描写が登場するが、時代考証的なちぐはぐが目立つ。ある大学の英語教師がこの点について、事実上ほとんど日本語話者とはいえないこの英国の作家が「本人もわかっていない」ままある思い違いをしていると指摘している。「目の前に置かれたのは一つのash pot」。この単語ash potは、なにか日本特有のアイテムを表している様子なのだが、そんな英語もなければそんなものも日本にはない。なにせこの謎の単語は世界最大の英語辞典OEDにすら収録されていないのだから。情景からするとひょっとして火鉢かもしれないが、火鉢の定訳はおそらくbrazierだろう(『枕草子』冒頭の「冬はつとめて」に出てくる「火桶」もアイヴァン・モリスの古典的翻訳なんかを見るとそうなっている)から、火鉢とは違う何かのつもりだろう。現行の翻訳(飛田茂雄訳、早川書房、1988年)では、より近代的に解釈されたのかはたまた苦肉の策なのか「灰皿」と訳されているらしいが、作者がそのつもりならもちろんashtrayと書いていただろう。名うての翻訳家としても知られるかの英語教師は、イシグロのこうしたルースでデタラメな日本描写が我慢できず「彼がぼんやり覚えている日本なのか、[…]ありえないわけですよ」と吐露している(斎藤兆史・野崎歓『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』東京大学出版会、2004年)。そうかもしれないが、1960年に渡英しイギリス人となったとはいえ、1954年に長崎で生まれて以来6年日本に住んでいたイシグロの心的現実には、やはり彼の生きた日本が存在するのであり、英訳すればash potになるような日用品と(おそらくはそれに対応する日本語)が確かにおぼろげながらも現実のものとして記憶されているのだろう。それは結局のところただ単に火鉢や灰皿を思い違えていただけなのかもしれないが、そのどちらでもないなにかであったのかもしれない。いずれにせよ、彼の記憶の中で保たれているash potのリアリティを誰も否定できないだろう。もちろんこの新造語を、あるべき日本なるものをズラしその自己同一性を揺るがしてしまおうという意図からくる創作の結果とみなしてしまいたい欲望に駆られないわけでもないが、イシグロのここでの力点は画一的な日本像を撹乱することにはなさそうな気がするし(むしろ英語教師が示唆していたように、その日本描写の適当さからはむしろ、彼にとっては余白となっている日本経験が、オリエンタルで粗雑な日本のイメージで補われているという印象を受ける)、それにしてはあまりにもちっぽけな細工である。とはいえ傍から見れば、また作家本人もまたash potの呈しているズレを指摘されるならばそう認めるかもしれないが、彼の回想は想像的という以上に創造的に機能していることもたしかだ。いずれにせよ、実際には存在しないが記憶の一部となってしまい、ほとんど創造されてしまったごくごくささやかな過去の、誰しもが知らず知らずのうちに抱いているかもしれない幻の過去の感覚の片鱗をここに読み取りたいのである。
わたしたち兄弟のごく卑近な経験と、かのノーベル賞作家の思い違いを貫くのは、それについての反省的距離の有無にかかわらず、幻の過去の感覚とは基本的には幼年期に根ざすということではないか。よく知られた「黙るもの」という語源的な本性まで引き合いに出さなくてもいいかもしれないが、まだ確とした言葉をもつまえの時代、言葉の揺籃期にほかならない、幼年期(enfance)。一方では尽きることなく立ち現れ始めた現実に、言葉の数が追いついていなかったりするこの時代に、と同時に他方では次第に溜まっていく言葉に、ペアとなる現実や経験がまだ欠けていたりもするこの時代にあって、言葉と物の関係はずいぶん流動的だったはずだ。そして子どもは徐々に、対応する言葉をかつて見つけられなかった物たちに言葉を、それが指すはずの現実に出会えなかった記号に現実を、後からあてがっていくのではないだろうか。だとするなら、探せばたくさん残っているはずの、まだつがいをなしていない言葉と物をひとつひとつカップリングしていくのがわたしたちのライフワークでもある。薄着のままかほとんど裸だった現実にぴったりしたオーダーメイドの言葉をまとわせること。その限りでは、あの直観の哲学者の発見した新たな形而上学の方法論にも近い。反対に、寄る辺なく浮遊していた衣の寸法にあう身体を見つけること。それは、ときに言葉の寸法に合わせて現実や経験を裁断することであり、多かれ少なかれプロクルステルスの寝台のそしりを免れないかもしれない。田舎町のコンビニの醸す空気が80年代という記号と短絡したり、大陸の向こう側の島国の日常についての不純な記憶が概念さえもでっちあげてしまったように。しかし、言葉と物とを巡り合わせる息の長い貝合わせを繰り広げる限りで、人生は(直観を忠実に表現する「哲学」でもいいかもしれないが)、より一層文学として生きられている、と言いたくなる。もし文学というものがエロティシズムの思想家が言うように「ついに再び見出された幼年期」なのなら。錯乱と幻視の詩人が欠落していると痛感した「本当の生」(リアルな生)に一番近いのが——「超現実」(日常よりももっとリアルな生)の探求を始めたばかりの詩人が宣言するように——「幼年期」なのだとするならば。イシグロが、幼年期に知っていた日本の生活にまつわる何かを長じて無意識のうちにash potと呼んだとき、幼年期のわたしがまだ具現化できないでいた1980年代という記号がある日、デイリーヤマザキという空間によって乱暴にも一つの経験として受肉させられたとき、言葉と物の帳尻が合ったのかもしれない。記憶に強く刻まれたあの幻の過去の感覚こそは、この帳尻合わせの副産物なのだろうか。