# 13 180度ひっくり返った性質 -ウーラ編- 2. 精神的な自立ができないワケ
ジコギマン
私は、生まれてからずっと
自分の真実に辿り着くまで
私ではない性質で生きてきました。
私がウーラに依存してしまった原因の
キーポイントになりますから
エルによって、この4年間
小出しにされてきた
私の本質と過去のニセ性質を
まとめてみたいと思います。
私の自己分析が
真逆の結果を叩き出すようになったのは
学生の頃か、社会人になってからか
いつなのかはっきりわかりませんが
自分の都合の良い状態に持っていくために
その環境に性質をつくり上げて
ツジツマ合わせして
生き抜いてきたのでしょう。
例えば、本来は社会的ルールには
従えないはずなのに
適応するために、ルールも約束も
絶対に破ってはいけないと
自分に課して閉じ込める。
コレは単純に”我慢”ですから
周りの人たちが破ると苛立つんですよね。
こんな風に
客観的で冷静にルールに従ってます風な
自分をつくる。
自分もストレスですし
周りにも迷惑かけますし
いまでも
我慢はしないように心がけてます。
多重人格に近いのかな、とも思いましたが
私は人格は一つで記憶もあり
別の”性質”をつくり上げたわけなので
やはり全く違うのですが
でもなんとなく
今の生活を普通に生きるために
私自身を守るために
つくり上げたという部分では
似てるのかもしれません。
こんな状態を
自己欺瞞(ジコギマン)というらしい。
“本心では違うとわかっているのに
正当化してしまうこと”
最初は違うとわかってるんですけど
騙し続けていると
しんしんと染み込んできて
それが”自分”になっていく。
以前、たまたまこの言葉をネットで見つけて
ピンときたので
これじゃない?と
エルに尋ねたら
「そうね」
やはり正解。
似た言葉に「自己暗示」とありました。
自己ギマン&自己暗示の
ダブルだと簡単には解けませんし
一般的に普通でいることと
”めんどくさい” ”やりたくない”が
掛け合わされてしまって
からまる、からまる。
さらにいうと
感覚的な右脳がほぼ停止していたので
理屈的な左脳が働きすぎていまして
あれやこれやと理屈を後付けしていって
こねくり考え
余計にギマンが加速する一方です。
”頭でっかち”です。
基本的にやりたくない、ですから
考えて考えて、行動をしない。
机上の空論ってことで終わる。
まさに頭でっかちです。
過去のギマン性質の頃は
偽りの性質を演じている
ようなものですから
例えば
ロジカルに戦略を練って
慎重に仕事を計画的に進めていこうとしても
結果的にいつも滞って
タスクも課題も山積していきます。
できないことは
できるわけはないのです。
当たり前ですけど。
そんな風に何度も壁に行き当たることが
多かったはずなんですが
なぜだ?なぜだ?
なぜ上手くいかないんだ?
などと
また考えるふりして演技を重ねていると
ツジツマ合わせの言い訳を思いつく。
そのループです。
しかし逆を返せば
ギマンを貫くプロってことなので
自分を守り抜くことに賭けては
負けないはずです。
自分の本質を奥底に隠して
自己ギマンの深海深くで生きてきましたから
たぶん一生、海面に出ることもなく
危うく人生を終えるところでした。
ギマンの先
過去の勘違いしていた性質と
本質の状態を見比べてみました。
:
:
:
人を気に掛けている利他的なタイプ
ではなく
自分が大切な利己的なタイプ
内向的でインドア派
ではなく
外交的でアウトドア派
客観的で共感力はなく
超主観な自分の世界しか解らない
物事は熟考して決められないので
動きながら決めていく
慎重に時間をかけて調査できないが
情報収集は本質らしい。
でも興味の範囲が幅広いし
自分が満足したら終了するので
専門家としてはやっていけない。
左脳的でロジカルだから
起承転結と理屈で説明するフリをしていた。
実は右脳的で
だいたい、なんとなく、なので
もう言葉が出てこない
:
:
:
人に不審がられていないでしょうか、、。
よくこれで
自信を持って仕事してこられたなと
もう逆に関心。
こんなに偽り続けたままでは
必死で頑張って生きなきゃいけないので
かなり疲れる。
ストレスも溜まるのは当たり前です。
体も壊しますし、人との争いも起きます。
自分の真実を知ることは
本質的な人生を歩む上での基板なのだと
本当に実感します。
経済的な自立をしてくために
色々とやって来ましたけど
コレではうまくいくはず無いわけです。
建造物でいうと基礎の部分ですから
少しでもずれたら潰れます。当たり前ですけど。
私とウーラは
自分を知る前に、本質ではない状態で
共同でお店を開業してしまったので
おかげさまで、すったもんだと
ケンカや言い争いも含めて
衝撃な荒波を経験させてもらいました。
それもそのはずです。
お互いの役割はチグハグで
我慢しながらやりたくないことはじめて
ストレスたまりますし
全部が
とっ散らかっていたわけですから。
そもそも自分で決めたことなのに
本心ではやりたくなかったってことは
なかなか認められませんでしたけど
認めてしまえば
次にやることができて来ますし。
エルが現れてから1年
動かなかった私が、ほんの少しづつ
動けるようになってきて
やりたかったのに、着手できなかった
新商品や広告を
数年越しに進めることができて
お店にもお客さんが増え始めて
業績が好転しそうだったんですけど
やはり
終了する事態が起きるんです。
倒産ということではないので
不思議でした。
自然と店をたたむことに。
お互いの船出の時期で
次のフェーズをスタートさせるために
終わるべくして終わった、
としか思えません。
この時期に二人で
お店開いたのは完全に学びですから
やって良かったと思います。
得たものも数知れずです。
一見悲しいお別れのような出来事も
その先には新しい世界が待っています。
終わりは始まり。
後ろ髪引かれることもなく
本当に良い形で終わらせてもらったと
思います。
何が良くて、何が悪いということではなく
そこでどう受け取るかです。
このお店での数年間で
自分自身の真実である”本質”を知り
過去の自分から抜け出すことができました。
どんな関係性であれ
本質であれば、役割を自覚しますし
自然と適材適所に収まるので
今後のウーラとのパートナーシップは
今までとは違ったカタチになると思います。
私たちは大きく遠回りしましたけど
望んでいる人生を最短で現実化するのなら
最優先することは
自分の真実を追求する。
この基礎固めだと
実感しています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?