茹ですぎたブロッコリー
年末年始、それは特別なごはんを思うままにたらふく食べられるボーナスタイム。
帰省前日、新宿の伊勢丹で友人に誕生日プレゼントを買うついでに、デパ地下で帰省土産を探した。帰省土産は毎回違うものを買うというのが私の密かなマイルール。このせいで私は池袋の西武はほとんど制覇してしまったし、新宿の高島屋も怪しい。次に行きやすいところと言えば新宿の伊勢丹なのだけど、デパートの王者というだけあってやはりお高めなのだ。
まあお正月だしね。自分が食べたいものを買って行って、一緒にいただこうじゃないの。山梨出身の母と静岡出身の父を持つ私は、冬に帰省すると実家でも祖母宅でもわんこそばにも勝るハイペースで静岡茶が出される。だから年末年始の手土産は和菓子と決めている。
今年は前から気になっていた老松で買うことにし、迷った末に香果餅というのに決めた。わたし、いい和菓子屋さんに行ったときに目の前で箱を包装してくれる時間がちょっと好き。ここは包装紙を紐だけで固定するタイプで、難易度高すぎやしないかと、店員さんのお手元を息を呑んでじっと見つめてしまった。とても日本的で、なくなってほしくない粋な文化だなと思う。
いつからか私は、お年賀のおのしをかけてもらうことを覚えた。これは私のささやかな意地。おのしをかけることは、私の本拠地はあくまで東京だという意思表示なのだ。そうして手土産を持って山梨の実家に帰省した。
大晦日は毎年、両親と共に静岡の祖母の家に行くのが恒例で、山梨に帰省して早々に私は静岡に飛び立った。今年の年末はみんなでおでんをつつきたいと1年前から祖母に繰り返し言っていたので、大晦日はみんなで静岡おでんを囲んだ。
下戸の家系なので家族の中でお酒を飲むのは父だけなのだが、おでんに日本酒の誘惑に負け私も晩酌に加わった。私は祖母の静岡おでんが大好き。鰹と昆布で軽く出汁をとった後、寸胴鍋に大きな具材をごろごろ入れ、濃口醤油をダバダバ注ぐ。最初に牛すじを突っ込んでおいて、出汁をとりつつ1日かけて煮込む。静岡名産の黒はんぺんと、大きなジャガイモを丸ごと入れるのが鉄則。あとは大根とか卵とか昆布とか、適当におでんらしい具材を入れる。
もう想像できると思うけれど、このおでん、汁は煮詰まっているので飲めたものではない。だから基本的に平たい小皿に好きな具をとって、酒を飲みつつちまちま食べるのだ。ご飯のお供としてももちろん優秀で、この場合は肉じゃがみたいな感覚で食べる。
しかし幸せはこんなところで終わらない。静岡では、おでんといえばお刺身も必ずついてくる。祖母宅からほど近い焼津ではミナミマグロが有名で、祖母は毎回これを振る舞ってくれる。ミナミマグロは本マグロよりも甘みが強く、濃厚な脂がのっているのが特徴。これがまた、濃い口のおでんとの相性抜群。これが本マグロだったら、淡白すぎて静岡のおでんには負ける。関西風おでんでないとダメだ。
そんな幸せ満点の食卓なのだが、私は20年来ある疑問を抱いていた。この食卓の片隅には、いつも茹ですぎて潰れかけたブロッコリーと、山盛りのマヨネーズが鎮座している。
ヤツは一見慎ましやかにそこにいるように見えて、この食卓で凄まじい人気を誇る。おでんより、お刺身より、漬物より先に、ブロッコリーだけが一瞬でなくなるのだ。私はその密かな争奪戦争に巻き込まれる前にと、ヤツを食卓に運ぶ途中、どさくさに紛れてこっそり一つパクリとやる。
あぁ、たかがブロッコリー、しかも茹ですぎてふにゃふにゃになったやつなのに。一体なぜなのよ。
きっとそれは安心感なのだろう。おでん、刺身、カニ、おせち、ところせましとごちそうが並ぶ食卓の上で、一番飾らない存在。それが茹ですぎたブロッコリーなのだ。どれから食べようかと迷うとき、豪華さに飽きが差してきたとき、ちょっと一旦休憩させてくれやとブロッコリーをつまむ。
それは例えばクローゼットの中にある、10年選手のパジャマみたいだと思う。新しい服を買っても、高い服を買っても、なぜだか手放せないあの年季が入ったTシャツ…そういうものを、誰しも1着くらいクローゼットの中に隠し持っているのではなかろうか。
ごちそうだけじゃ、人は生きていかれない。
これはわたしがブロッコリーにつけている、個人的な花言葉である。(花でもないのに何をやっているんだか…でも、この前大掃除中で見つけた5年前の日記に、そう書いてあったんだもの。)
大晦日の夜、特別なごちそうに囲まれても尚そんなことを考えている私は、どこまであまのじゃくなんだろうか。遠い先の未来で、私がおばあちゃんになって家族にごちそうをふるまう番がきたら。その食卓には必ず、茹ですぎたブロッコリーを置くだろう。そして何も語らず、そのブロッコリーがどんなごちそうよりも真っ先になくなっていく様を眺め、微笑むのだ。定員オーバーの食卓の一番端っこに台所用のスツールを持ってきて座り、温かいお茶をすすりながら。
-茹ですぎたブロッコリー