ソル・ルウィット + 高松次郎 「Line for Earth Project」@"ハリウッドビューティープラザ3F" ユミコチバアソシエイツ
こんばんは!今日もお疲れ様です!
久々にいまの興味ど真ん中!みたいな展示があったので早速出かけた
例によって70年代でたぶん大半の人は無関心な内容だが、どうせみんな横尾忠則とか落合陽一とか見に行ってるはずなので、ここは逆張りで行きたい
今月丸々やってるので余裕で見に行ける!!!
どっちの作家も過去に興味ない人にとっては「無」になってしまうと思うので、いちおう自分がなんで興味もってるか、についても書いとく
尚、文中敬称略
公式ステートメント
ちょっと長いので要点だけ先に書いとくと、
・コンセプチュアル・アートはアメリカで生まれたものだが、地域性があるものではない
・高松もほぼ同時に同じようなことをしていた
・それは同時並行的に発生していたと考えられる
という形で、その両者をならべてみたらどうなるか、というのが企画意図といえるだろう
この2人の組み合わせが興味深い理由
▼高松次郎
※※※高松次郎しってる人は読まないでいい部分※※※
・そもそも誰?って話だが
高松はしらなくても赤瀬川原平は知名度高い説ある
世間的には「トマソン」(賞味期限切れか・・・)の人、歴史的には「1000円札裁判」(作品のためにお札を印刷したら立件され有罪で結審、執行猶予ついた)の人だ
・ハイレッドセンター
いま問題にしてる高松は、その赤瀬川、そして洗濯バサミで有名な中西夏之と組んで(63年の個展から)ハイレッド・センター(高・赤・中)っていうグループで活動した人で、たぶんそれが一番知名度高いと思われる
・もの派出現以降
で、細かい話は端折るが(68年関根伸夫<位相-大地>の件)、その後「もの派」の論理的支柱として歴史に残る李禹煥が登場すると、また例によって日本美術界隈は「これからは<もの>!」みたいな空気(何度目だよ)になるわけだが・・・
具体とかと違って、もの派は最初からもの派グループがあったわけではなく、李が「この人は自分の理論に近い!」って人をツモってもの派的なものを形成していった
高松次郎はそういう意味では別に「もの派」ではなく、そのフォロワーでもないのだが、独自にそれに近い実践を行っていた点、また李禹煥に高く評価されて対談とかもやったこともあり、60年代はより一層活躍して露出も増える
・なぜ「もの派」か
「もの派」がなんでそんな高く評価される(た)のか?という点だが、雑にいうと「日本で初めてうまれた理論のある芸術運動」だったから、ってのがあると思われる
このあとのソル・ルウィットを見るとわかるが、日本の作家はこれをあんまやんない
やったとしても(以前も東京現代まとめとかに書いたが)「いや、そんな個人的なこと知らねーよ」みたいなことをポストモダン思想を引用しつつ小難しく書くだけのことが多い
(別にいまの話ではなく、70年代からそうなので悪化してるわけではない。ずっと病気なまま
そもそも李は日本に「こっそり入国」(国立新美術館、李禹煥展の子供向けパンフレットにガチで書いてあった)した美術家であり、日本土着の何かに汚染されてなかったためこれができた可能性はけっこうある
・・・やばいくらい長くなったのでルウィットについては簡単にする
▼ソル・ルウィット
・キーポイントで言及される謎の作家
コンセプチュアル・アートのマニュフェストを出した、という点だけで重要な作家なのは確定だが、ルウィットはあんまり日本で紹介されていない
少なくとも高松が活躍した60~70年代の誌面で作品画像みた記憶ない
しかし、けっこうクリティカルなところで言及される、という重要なのかそうでないのかがわかりにくい作家である
自分が興味をもったきっかけとしては美術家の彦坂尚嘉の指摘
「もの派」爆誕のひとつのきっかけともなる重要な作品である「関根伸夫の<位相-大地>はルウィットの先行作を参照している」・・・という指摘である
(彦坂は当時から「もの派」を論理的に批判しているが、上記の指摘は最近の彦坂なおよしチャンネルのYoutubeがソース 時代だな
また、高松とルウィットについては当時の批評家の中原祐介が、後に桝田倫広がその関連性に言及してるそう(ギャラリーの人に教えてもらった)
なので、ぜんぜん紹介されてなかったのに、実はけっこう影響してそうな謎の作家、というのが自分の中の立ち位置であり、今回これを見るまで高松との関連性についてはまったく考えていなかった
とりあえずギャラリー紹介と展示風景にいってから続きは書く
場所はヒルズ!飯が高い!
ギャラリーの場所はギロッポンのヒルズ
近くにほかのギャラリーも多いし、まとまってるのは助かる
ただ、食いたくもないシェイクシャックに行きたくなるのは困る
で、そのヒルズの横にある建物にギャラリーが入ってんだけど・・・
この米国信仰っぷりよ・・・
まあ、金出した人が好きにすればいいんだけどさ
こっから結構あるくのかな、とか思ってたらあっさりあった
ドアも開いててウェルカムな感じ
ちなみに汗だくで自転車こぐ施設がとなりにあって音楽がうるさかったです
展示風景など
すごいすっきりしたギャラリーだったが、天井高くて見やすい
入口の本棚に関連資料がずらっと並んでて、めっちゃ勉強になった
なるほどな! 確かにけっこう共通性あるやん!(←影響されやすい)
いろいろギャラリーの人に質問したんだけど、二人の作品の作り方があれだって話だった
高松:
幾何学的な構造、構成で作品を組み立てる
→展示されている立体作品などは立方体で構成、そこにだまし絵というか透視図的な線が引かれている
→その他の有名作だと遠近法を逆手にとったテーブルセットのやつ
遠近法の椅子とテーブル
ルウィット:
造形単位として小さな立方体を規定し、それで作品を構成する
高松と同じく幾何学的な構成となる
→展示されている彫刻がまさにそれ
この造形単位を設定するというのは、わりとふつうの手で、レジェもそういうことやってたと思う
ただ、抽象が「様式」としてとらえられがちだった日本では、こういうガチの抽象、というか「モチーフなしの抽象」があんまり根付かなかった
(特に抽象彫刻とか立体の分野で
なので高松のこうした実践は、コンセプチュアル・アートを規定していくルウィットの実践とほぼ同じことを同時代に並行的にやっていたと評価できるのでは?(また、そういう風にとらえて再評価すべき)という展示であると自分は理解した
おもったこと
▼めっちゃよい
いやー、にわか高松次郎好きとしてこういう構想画的なの一切みたことなかったんで「めちゃよい」という感想
謎の作家だったルウィットがどんな人でどんなもん作ってたか、というのをナマでみれたのもうれしい
なお、あの立体作品は本邦初公開らしい(そもそもルウィットの立体作品の展示がまれという話だった
▼参照について
ちなみに「高松次郎がソル・ルウィットを参照してたってことはないんすか?」みたいなけっこう失礼な質問したんだけど、まあ、昔っていっても
70年代だし当然「雑誌とかで見たことはもちろんあったろう」ということだった
ただ、作品に特に影響は感じられないので、そういう形(参照したとか)というような形ではなかったろう、ってギャラリーの人は言ってたが、自分もそう思う
考え方は似てるが、最終的なアウトプットはあんま似てない
また、関根伸夫と高松次郎の接点は、多摩美がそれで、関根伸夫が斎藤義重研究室にいたとき、高松は先生として多摩美にいってる(と教えてもらった
のでかなり早期から接点はある
また、たしか多摩美閉鎖中(学園闘争で)に斎藤義重が学外でひらいたいわゆる「Bゼミ」で、高松次郎も教えてたと思うので、その辺も接点としては考えられる(Bゼミってのは教える内容の段階で高松はもっと実践教えてたのでゼミ名はほんとは違うけど便宜的にBゼミと書いておく)
▼高松のトリック・アート的側面
これも彦坂が指摘しているところだが、高松次郎にはトリック・アート的な側面もある
今回展示されていた立体が好例だが、だまし絵というか錯視の効果を狙った作品だ
代表作である(さっき言った)遠近法のテーブルもそうだ
彦坂は「もの派」批判として展開している(もの派っていうよりトリック寄りの人も「もの派」に含めてんじゃん!的な)が、面倒なのでそれは置いとくとして、高松の幾何学的な構想とか発想がルウィットと似ているのはあくまで結果なんじゃないか?という気がしないでもない
遠近法シリーズに代表されるように、高松はトリックや錯視を使う作家でもあり、(このあと70年代後半で大流行する)エッシャーを引き合いに出すまでもなく、そういう作品のためには幾何学は必須になるからだ
まあ、ちゃんと資料に当たらないとわからんのだけど、その辺、作家の当時の意図、については今後も自分の中で気にしてみてきいたいと思った
おわり
かんぜんに偶然なんだけど、自分がちょうど興味ある時代の人たちの展示がドバドバでてきてビビる
とりあえず駆け足でみてきたが、この高松・ルウィット展はその中でもクリーンヒットのど真ん中
あとはTARO NASUでやっている松谷武判「Matsutani Hardedge 1970’s」
(松谷は元具体の人
国立近代美術館でやってる所蔵作品展「MOMATコレクション」
この近美のやつすごくて、マジで興奮したのでたぶん近々noteにすると思われ
そんでは
参考資料:コンセプチュアル・アートについての文章
ソル・ルウィットがマニュフェストを書いたというようなことを前の方で書いたが、pdfが転がっていたので翻訳してここに転載しておく
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