ヒト・シュタイエル「Mission Accomplished: BELANCIEGE」について
国立新美術館でやってる「遠距離現在 Universal / Remote」というやつに展示されているヒト・シュタイエル(他)の作品についてのメモ
会田誠が芸術新潮で「美術に政治を持ち込もう」と書いたり、国立西美で抗議があったりして、美術において政治的、社会運動的なものをどう扱うべきかみたいな話してるときにタイムリーな内容だった
すげえよかったんだけど、複雑な話が複雑なまま呈示されるような内容で帰ってきてから思い出そうとしたら「で、けっきょく何なん?」ってなったので思ったことをまとめる
尚、文中敬称略
国立新美術館 遠距離現在 Universal / Remote
ちゅうわけでまだぜんぜんやってる
今回はシュタイエルの作品についてだが、他にもおもろいのあったので国立新美術館の展示としては正直かなりおもろかった
値段もまあ1500円ならオトクな方やろ!
他には徐冰(シュ・ビン)の映像作品も、ちょい長いけどすげえよかった
Mission Accomplished: BELANCIEGEの概要
映像インスタレーション作品、みたいな感じで、あんま長くないので時間ない人でも見れる
作品にクレジットされているのは以下の3人で、いずれも公式からの引用
シュタイエルとその教え子という感じだ
ドイツ、ジョージア、ボスニア・ヘルツェゴビナの人たちが作ったもの、という前情報はけっこう重要だった
で、おおむねどういう内容かというと
という2019年の作品
3枚のモニターがあって、そこに前述の作家3人が立ち、入れ代わりながらテンポよくしゃべる
みる方は青い円形のベンチに座ってそれを見る、みたいな感じだ
ざっくりどんな内容?
「1989年のベルリンの壁崩壊からの30年間の、格差という風景を永遠に見せ続ける資本主義の堂々巡りの旅を説く」
って公式には書いてあるが、見たあとの感想としていうと、この説明は(当たり前たが)めっちゃ省略されてる
より正しく書くと、こんな感じだ
「1989年のベルリンの壁崩壊後に起きた東欧民主化の波とボスニア紛争。その一因でもあるアイデンティティ政治、社会的分断、格差の拡大を、ミームバイトにもとづくバレンシアガのブランド戦略を手掛かりにたどり、エリート層、メガテックによるメビウスの輪的な『包囲』体制下のいま、個人はいかに生くべきかを説く」
川崎重工はおろかすべての資本を断罪しそうな内容だが、まあだいたいこんな感じだったと思う
すげえいろんな話が出てくるが、テーマとして絞ると以下になると思う
ベルリンの壁崩壊後の東欧革命の混乱
バレンシアガとジョージアの関係
バレンシアガ・メソッド
アイデンティティ政治
貧困の私有化(格差のメビウスの輪化)
いかに生きるべきか
ぜんぶ書くとひどいネタバレになるのでしないが、それぞれどういう話なのかかるく説明して、最後に「だから何なんだよ」ってまとめを書く
1.ベルリンの壁崩壊後の東欧革命の混乱
▽バレンシアガを着るサーカシビリ
物語は政治家のサーカシビリからはじまる
どんな人かしらん人もいると思うけど、こんな人だ
一番輝いてたのは、ジョージア(当時はグルジア)のバラ革命でシュワルナゼを追い込んだときだ(が、そのあとうまくいかなくなくて、ウクライナに逃げてあれこれある
で、このサーカシビリはいかつい東欧のおっさんなわけだが、なぜかバレンシアガを着てて、特に靴が好きっぽいという話がこの作品の導入
(本当はベルリンの壁が89年に崩壊した、から始まるがまあいいだろ
▽民主化を追求してるができない東欧
作品の中では、東欧諸国はずっと民主化をしようと頑張ってきたが、永遠に追いつけていない
が、もし(世界が)循環してるとしたらと、民主主義国家に先行してるといえるかもしんない、と語られる
▽民主化すると思った数年後にはボスニア紛争
また、ボスニア紛争も背景として出てくる
これは後のアイデンティティ政治の典型例として重要な情報となる
2.バレンシアガとジョージアの関係
この中だと正直どうでもいい話かもしんないけど、これ(バレンシアガ)が作品の骨格なので、まあ大事だともいえる
さっきのボスニア紛争で、その紛争から逃げる人たちの中に、デムナ・ヴァザリアがいた
デムナはヴェトモンを成功させ、後にバレンシアガのデザイナーとなる
これでボスニア紛争とバレンシアガが結びつく
3.バレンシアガ・メソッド
▽バレンシアガ・メソッド
「ブランドのつけたし、ノーブランドのブランド化」
これがバレンシアガ・メソッドである(って言ってた)
具体例としては、バレンシアガが出した高級なイケアのバッグ
あとはクロックスのバレンシアガ版が作中で登場する
(本物のイケアのあの青いバッグは、現場に展示されてる
▽すべてを私有化する方法
作中で何度も登場するたとえとしては、壁で囲い込むのがふつうのブランドだが、バレンシアガ方式では、壁で囲んだ中じゃなく外すべてを自分のものだと宣言する、というのがある
外部がすべて「私有化(Privatization)される」と字幕に出てた気がする
※Privatizationは日本語だと(国有に対する)「民営化」なので、なんかちょっと正しい意味をつかめてないかもしんない。まあここでは「私有化」で押し通す
つまり、イケアのバッグだろうがクロックスだろうが、(ハイブランドの)外にあって親しまれてるものは、あとから自分たちが出せばそれもハイブランドになる、っていう手法である やべえ、最強じゃん!!!
▽ミームバイトによる89年以降世代の取り込み
またバレンシアガはミームバイトによって若者を取り込んでいる
「ハイブランドを揶揄し、より親しみやすいもの」として、自分の形を自在に変えながら消費者に近寄ってくる、っていう話だった
だからイケアのバッグとかを出すんだろう
この話の中で、いまは日本に住んでるらしいこの人が登場してた
(この後も何度か登場する
否定的に語られてて、NZのモスク襲撃犯がこの人の視聴者で、事件前にこいつをサブスクしろ、みたいなこと言ってたらしい
これ以降、ミームの以降はまったく変わった、と作品内では語られる
▽ユーザーは無給の労働者になってる
こういうミームバイトによるマーケティングにより、消費者はつねに見逃し、とりのがし、という感覚に迫られて生きることになる
こうして無給の(ミームをバイラルする)労働者になってる、と語られる
これはビッグテックによるデータの「囲い込み」(これも包囲の一形態だろう)という文脈だろうが、そこまで具体的には語られない
4.アイデンティティ政治
▽ケンブリッジ・アナリティカ
トランプ陣営の選挙戦術とケンブリッジ・アナリティカの人が出てきて話す
作品内では、トランプの横でしゃべってるキム・カーダシアンがヴェトモンを着てるって話からここへ展開する構成
▽何ももっていない人が唯一持ちうるもの
社会が不安定化して経済的に困窮したとき、人が持ち得るのは「アイデンティティ」だけって話
ベルリンの壁崩壊→連邦解体→社会と経済の不安定化→アイデンティティ意識の増大→民族主義者の台頭→宣伝工作→ボスニア紛争の発生、みたいな流れが想定されてると思う
ちゅう文脈で、ボスニアは「アイデンティティに包囲」された国だった、と語られる
アイデンティティを「麻薬」のようなもの、と呼び、自分は変われないことを前提としてると作中では述べられてる
5.貧困の私有化(格差のメビウスの輪化)
3.のバレンシアガ・メソッドにより起こること
▽貧困の私有化
バレンシアガ・メソッドでは外にあるものは何でもブランド化できる
そんでハイブランドを揶揄して、身近にあるものをハイブランド化していく
この流れの中で、貧困すらもブランド化されてくという話
新品なのにボロボロに見える靴とか、バレンシアガ製のDHLの制服とかが参照されてた
本来ハイブランドを買う富裕層と真逆にいる労働者、貧困層のスタイルが、ハイブランド化されているわけだ
余談だが、ファッション系のYouTubeとか見る限り、デムナがボスニア紛争でどん底を経験したという経歴から、これを「いい話」的に捉えるのが一般的な文脈っぽい(まあ確かにアイデンティティ政治と絡めて評価しろ、みたいなのはハードル高すぎる)
これによって、支配・被支配の階級が平準化されてしまうというか、いっしょくたにされて、格差が見えにくくなる、ということなんだと思う(この後の文脈をみると)
▽格差のメビウスの輪化
バレンシアガのあるときのコレクションの発表会が、欧州会議の議場を模したものになっていた、という話があり、上から見るとそれはメビウスの輪になってる(ダンテの神曲の話も出てくるがスルー)
うえからみるとステージ上の高低差は見えないが、実際にはかなり高さの差があり、これと同じように(貧困の私有化により)格差は見えなくなってて隠蔽されてる、というような話がされる
▽バーニー・サンダースとスニーカー
アメリカの左派政治家のバーニー・サンダースが、ナイキのスニーカーの転売価格を当てる動画が流れる
バリバリの左派であるサンダースすらメソッドの一部になってる
▽〇〇の労働者よ団結せよ
昔は「万国の~」だったが、いまは「全アイデンティティの~」になってるぜ、という話
6.いかに生きるべきか
▽文化戦争の真っただ中
我々は「文化戦争」の真っただ中にいる
シャネルとバレンシアガ(orクロックス)の違いは何か?(→なんだったか忘れた)みたいな話もあったが、大事なこととしては「受け手によって
何が残るかは変わる」って話をケンブリッジ・アナリティカの人がする
「政治のクロックスになるのか、シャネルになるのか」というセリフは印象的だ
▽ベランシージ
サラエボ包囲の中で売られてた(んだと思う)バレンシアガのコピー商品みたいな靴
包囲された市民のための靴で、宗教、民族主義(つまりアイデンティティ)に対抗できるものなのかもしれない、と作中では述べられる
この靴は3つの使い方でベランシージであることを証明できるらしい
・フルシチョフみたいに国連で机をたたいたり
・食べたり
・ブッシュに投げつけたりする(↓具体例)
また、包囲はクラウドやファイアウォールでもある
▽わたしたちの服がクソださいって話
電話がかかってくる
服がクソださだから提供してもいいって話らしい
ここでオチがあって終わり
で、結局何がいいたいのか?
↑は主なトピックであって全部じゃないし、順番も正しくない
かなりフットワークを使って次々話題も飛ぶ
(このフットワークによるわかりにくさはわざとだと思う
果てしない循環
トピックとして触れなかったが、この作品は「終わらない」とか「循環」というのがテーマとして出てくる
つまり、何かがぐるぐる回ってるというわけだが、これはまず1つは
・永遠に民主化をもとめて同じとこを回る東欧諸国
というのが意図されてると思う
で、もう1個がバレンシアガ、アイデンティティ政治、貧困の私有化によってできる構造で、自分の解釈だとこういうことじゃないか説だ
バレンシアガ的な手法により、格差・貧困が見えにくくなり、固定化される
↓
格差・貧困によってアイデンティティ政治が発生、または強化される
↓
アイデンティティ政治と同じマーケティング手法がより有効になる
ちゅうことである
この話が皮肉なのは、バレンシアガとイコールで結ばれてるデムナ自身が、これに巻き込まれてる東欧出身っていう点で、デムナのようなアイデンティティ政治の被害者的な立場の人が、その手法を武器にしてそれを再生産していく、っていう(重層的な)構造も意図としてあんのかもしんない
支配・被支配の関係が・・・みたいな話あったから、考えられてはいそうだ
かんそうなど
見たあとで「何とも言えない気持ちになる」点で素晴らしい作品だった
日本人はまじめに見てたが、西洋人っぽい見た目の人は大笑いしてたので、もしかすると文化、政治的立場によってはすげえ面白い可能性もある
この作品はまぎれもなく政治的なものだし、メッセージも多いが、これを美術以外の手法で提示しろと言われるとかなり難しい気がした
強いて言えば映画だが、めっちゃ敷居高くなりそう
どういうところがいいと思ったのか、整理しとくと
東欧の問題は難しいが「難しい」印象をちゃんと与える点
内容のわりに短く、飽きない
多様な問題が複雑に絡み合ってることが直感的にわかる
起きている問題には、複数の原因があることがわかる
そもそも問題も複数あることがわかる
実際に行動に移せるメッセージ(SNSちゅういしろ的な)
この問題をこの時間内で提示するにはこの方法しかなさそう
という感じである
「なんでそれ美術でやるん?」にここまでぐうの音も出ない作品で応答してるのはすげえと思いました(まる)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?