彦坂尚嘉個展&その他ちょっと前にみたやつ
というのを見に行ったのでそのまとめ
ついでにまとめてなかったやつを自分の備忘録的にまとめるっす
彦坂尚嘉個展「PWP: Practice by Wood Painting」
ミサシンギャラリーで絶賛開催中!!
まだぜんぜん間に合う!
残念だが富井玲子氏の講演は終了済である
尚、わい氏は行った模様
例によってこっからすべて文中敬称略
ミサシンギャラリーへの道のり
大使館エリアにあってすれ違う子供の人種的多様性が高けえ地域
で、ここを攻めるとなるとルートは3つなんだが、たぶんどっから行ってもけっこうな坂になる
自分的には白金高輪から攻略した方がラクだったが、麻布十番から行ったことないのでそっちのがいいのかもしんない
ステートメントは公式参照
めっちゃしっかりしたステートメントなので公式よんでplz
ただ、一応GPT4君の要約も載せとく
作家、そしてもの派と美共闘REVOLUTION
という作家である
美共闘(美術家共闘会議)の中心人物としてしられているが、美術史では(というか千葉成夫は)後継団体の「美共闘REVOLUTION」(以下、美共闘R)を重視する
なんでかを説明するとすげえ長くなるが、、、
もの派がぶいぶい言ってた70年代初頭、彦坂たちは正面からそれに反論したほぼ唯一の存在だった点
で、論理だけじゃなく美術的実践でやったのが美共闘REVOLUTION
もの派(李禹煥など)vs日本概念派(松澤宥など)って状況
→これは「制作の喪失」の両極だってのが千葉解釈。ものしかない!が李で、オブジェなんかいらんわ!が松澤彦坂らはこの問題について、そもそも「美術という制度」自体を疑うところから始めてるので意義がある
ってことなんす、たぶん
この「美術という制度」(=美術の根源的な制度性)ってのは、「美術にまつわる制度」じゃなくて
たとえばパープルームがかかげる「反美大」とか、そもそも最初に美共闘が多摩美封鎖中にいろいろ考えてたことが後者
一方で美共闘Rが問題にしたのは「いやそもそも俺たちが絵描いたり制作したりしてるけどそれ自体がいろんな制度で担保されてるものであって、まずれそれを打破しないといけないんじゃね?」っていう根源的ひっくり返しである
たとえば壁に対して垂直に掛かってる支持体とか、遠近法(透視図法)とか、あとは作品を目的とした制作行為(ポイエーシスからプラークシスへ)とか、そういうことを疑ってくってことだ
この辺のことは富井玲子の公演動画があるので興味ある人はみてもらえばよいと思う ノーカットなので長いが!
展示風景など
作品名メモってないので写真だけのストロングスタイル
入口横にあったこの2作品!
どうみても海だが、この作家がかつて発表した(今風にいうなら)写真のインスターレーション「アップライト・シー」を連想させる作品になってる
日本は四方を海に囲まれてるので、それが立ち上る壁のようになってる、というイメージを部屋にぐるって海の写真貼ったので表現した作品だった
引き続きテーマが連続してるのを感じられると興味深い
どうみても関係してる3つの作品
「買うならこれやな!」(by富井)という話だった
「マジで? いまいちピンとこないんすが」みたいなこと聞いたらいろいろ説明してくれたんだが、まずこの1作ですべてが入ってるということだった
木目が透けて見えてる
→これは一貫してPWPで行われてて自分もわかった横に入ってる線が575のプラクティスの反復である点
→これは気づかんかった
あと横に作品名が入ってて、それがなんか意味あるという話だったが忘れちまった・・・(すまん
自分的にはこれが好きだったっすね
透明性がはっきりでてて
講演で触れられてるフラクタルなパターンってやつがはっきりでている(もう1作品こういうのあったんだけど取り損ねてる
かんそう&まさかの峯村敏明
この70年代の彦坂の活躍についてはまだまだ書くべきことがあるがとりあえずこんなもんです!
また講演会中に和服着たすごいでかい人が遅れてやってきて、なんか偉い人だろうなと思ってたら峯村敏明だった!
うおおお70年代の美手帖の読者投稿欄でめっちゃ藤枝晃雄(尾崎信一郎が書いてて熱いので追悼文で)と罵りあってた峯村先生じゃんか!
せっかくなんで講演会後に話聞いたんだけど、やっぱ藤枝との論争から聞いてみたところ「議論は生産的じゃなかったけど、藤枝は嫌いじゃない」とのこと。なんでかっていうと「言いっぱなしのヤツは嫌いだけど、彼はちゃんと応答してたから」ってことらしい
当時の思い出として、彦坂の「五十一音のプラクティス」(っていう作品があった)については文字の方にいってもそっからは何も返ってこないんじゃないかと危惧していたそうだ
→まあ、あのころ林剛の「犬」に代表される文字ベースの作品多かった印象あるのでその流れだと自分は思ってた(柏原えつとむもやってた気がするけど見つからんかった)
正直、最近の作家でもやってる人(年号書いてる人とか)いるけど、50年前と同じってどうなんだぜ感ある・・・
また今回展示されてたものは峯村も初めてみるものらしく、その点を富井に尋ねていたが、(講演でも語られてるが)今回ならんでる作品は彦坂の自宅に残されてたもので、逆にいうと昔、東京画廊(の山本孝)がピックアップしなかったものっていうことだった
おそらくPWPのド本流みたいな作品が当時の画廊にならび、今回出品されてるような根底では同じなんだけどちょっと外れた作品は売れないってことでスルーされたのかもしれない
そのおかげでというか、美術館や昔の展評でみたものより、今回のやつのほうがずっとよく見えた
ちなサインももろたで!!
アートウィーク東京「平衡世界 日本のアート、戦後から今日まで」(会期終了)
保坂健二朗キュレーションというやつで、大倉集古館で3日間だけやってたので急いでいった
で、いきなり感想なんだが、なんつーか変な展示だった
3日しかやらないのにものすごい豪華な冊子
大倉集古館はいつもこうなのかもしんないが、ほぼフルカラーの冊子がついててビビった これなら2200円でもやむを得ないという気がするが、入館料下げて、こっちを800円とかで売って欲しい展示作品が全部買える
イッツ・アートフェアって感じだが、ぜんぶ画廊からの借り物だった冊子は豪華だが内容が薄い
カラー写真載ってんだけど、なんでこの作家がここにいるのか、みたいなのがまったくわからない。もちろん、展示側にもそういう説明一切ない。いったいどうしたいん?展示の区分が謎い
キュレーターの解説がもっとあればわかったかもしんないけど、ぜんぜんわからん・・・
展示風景
気になったものだけピック
後にプライマル・ストラクチャーの時代に抽象彫刻へたどり着く堀内正和の57年の作品
やっぱ時代なのかアンソニー・カロの影響がはっきりある
具体に所属してバリバリやってた女性
関東には「とりあえず田中敦子出しとけ」みたいな風潮が見え隠れしてる
それだけで「具体」・「女性作家」・「地方」で3翻つく
関東でももっと山崎、今中あたりを取り上げてほしい
こういう絵も描いてたんだ、ってなる1枚
よく見ると背景というか、この花の周り描かれてるのは非実在的な何かであり作家の個性が光る
桂の代表的作品については以下の記事にもある
当時の展評でみた記憶のある作品でテンションあがった!
70年代のあれこれを乗り越えてきた立体作品で、この時代は宮脇愛子もそうだが、空間を金属的な線で横断する作品が多く試みられていた
デザイナーとしても活躍してた岡本の作品
当時(50年代末~65年反芸術くらい)の流れの中でみると、岡本作品はなんか弱くみえ、そんなに高く評価できなかった
が、あらためて「現代」でこうやって岡本作品みると「意外と悪く無いのでは?」ってなるのがやべえ
確かに65年頃の絵画の世界は、ゾンビと恐竜がばっこしてたようなもんだから、場違いだったのかもしんない
岡本の作品はもっと絵画が弱くなってから見ると映えるような気がする
千葉成夫によると「真正もの派」に入る菅の作品
これも当時の展評で見たことがある。なおほぼ同じ時代に小清水漸はテーブルを作ってと思う
もの派の作品にしてはかなりコンパクトで保管しやすそうではある
会田誠の弁当もいっぱいあったで!!!
ミン・ウォン個展「宇宙歌劇」@オオタファインアーツ(会期終了)
例によってピラミデビルに行ったときについでにみたやつ
正直すげえよかったので、もっとちゃんと紹介すればよかったと後悔しとる
ちな、ピラミデビルについては以下で紹介してるのでそっち参照
まじで宇宙歌劇だった件
ステートメントあとで読んだ方楽しい思うので先に展示風景やってく
この外観からして期待が高まる!
横にインターフォンあって、それを押すと係の人が出てきて入れる、という仕組み
オオタファインアーツはかならず芳名帳に名前書かせるので、それを自動的にここで処理しちゃう仕組みだ 賢い
というわけで暗室になったギャラリー内に入ると、これが上映されてる
けっこう長かったと思うが、ちゃんと最後まで見れた(すごい
みた感じとしては、自分の民族と現代化、西洋化とのはざまで起きるアイデンティティの問題、また演劇という形式を再現してる通り、西洋文明風の人間を「演じている」ような気分を表してるのか、と思った
作中、時間が巻き戻るとか二重化されるような表現も多く、それがどういうことなのかはよくわかってない
という感じで作品のパネルが周囲を埋め尽くす特異な空間となっとったです
ステートメント
立派なステートメントがあるのでそれは公式見てほしい
ここでは一応GPT君にまとめてもらった版を載せておく
で、ついでにどんな意図がありそうかGPT君に聞いてみた結果が以下となる
だいたい自分が見た時の感想とおんなじような感じだ
ただ、「演じる」について言及がないので、ここは直接みないとわからんとこかもしんない
こういったフィルム、ビデオ作品はなんか東南アジアで盛んなような気がするんだけど、気のせいなんかな・・・
まえに小山登美夫ギャラリーでみたクゥワイ・サムナンとかもこういう形式だった
松谷武判個展「Matsutani Hardedge 1970’s」(会期終了)
だいぶ前だがぜひ見たかった展示!
MOT展のまとめが大変だったのでこっちを記事にしなかった事情あるが、かなり参考になる展示だったので適当にまとめておく
ちな、場所はピラミデビルである
ステートメント
ちと長いのでまとめると
具体美術協会の人
木工用ボンドを用いた抽象絵画作品をやってた
渡仏、Atelier17で銅版画やシルクスクリーンでの制作
70年代には短期間NYで暮らし、Hard edge paintingを目にする
という感じだ
ハードエッジペインティングは66年のベネチアくらいからアメリカを中心に全盛となる様式で、代表的作家にエルスワース・ケリーがいる
ケリーは写真もやってて、それが絵画と一貫してるという指摘
ちなみに自分はエル「ズ」ワースと書いてんだが、ステートメントではエル「ス」ワースなのでそっちにならっておく
で、それがどう松谷と関係するのかという話だが、とりあえずボンドを使った作品がどんな風に制作されてたのかは他のギャラリーの記事だがこれみてもらうとわかるはず
展示風景とか
あんまりちゃんと写真撮ってないので適当である
例によってキャプションもメモってない・・・
かんそうなど
めっちゃきれいな作品が多かった
一方でケリーとかと比較するとあっちが強烈な発色でフォルムをみせるものなのに対し、松谷の場合はそれとはぜんぜん違っている
何しろちゃんと「四角い」
で、これはギャラリーの人から教えてもらったんだが、そもそも松谷はハードエッジをやろうと思ってこうなったわけではないらしい(だろうな
ヨーロッパで版画やってるときに、たまたま昔のボンドの作品を見せたら「おもろいやんけ」ってなり、なら勉強した版画でやってみるか → 松谷的ハードエッジ爆誕 だという
なので「すべてつながってる」と松谷は述懐してるそうで、めっちゃいい話だと思ったっすね
あと、モチーフの話も聞いたんだけど、これは忘れてしまった(まじでよくない
ちなみに松谷はもともと日本画やっていたそうで、そういうのがハードエッジをやるときに役立ってるか、みたいな話もギャラリーの人は聞いたことあるそうなんだけど、「どっちも延長線上にあるもんじゃない」という意見だったそうだ(つまり無関係っとこと
アンフォルメルとかハードエッジとか、日本の伝統絵画の特性が活かせる!みたいにいう批評家もいたが、まあやる方としてみればそんなうわべの話されても困るってことなんだと思う
・・・という感じで終わる
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