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Vol.1武士道を体得する ~武士道とは何か~
はじめに
はじめまして!無知の大学生と申します!
僕は、毎日Noteを投稿しており、今後数回は、新渡戸稲造先生の「武士道」について、書こうと思います。
単なる感想ではなく、「武士道」の内容をこれまでの経験や社会の現象と重ねて理解を深め、今後その道をどのように体現していくのか、まで踏み込みたいと思っています。
進め方としては、各章毎に内容を簡単にまとめ、その内容について上述の観点で、振り返ろうと思います。
なので、このシリーズを通して、読んでいる方も「武士道」について理解を深めることができると思います。ぜひ皆さんと一緒に、勉強することができればと思っています。
今回は第一章、第二章を取り扱います。この二つの章では、新渡戸先生が語る、「武士道」の中身ではなく、
武士道自体の説明や成立の背景が主になるので、今回は章の内容をまとめた後は、その内容には踏み込まず、「なぜ僕が武士道を学ぶのか」について書こうと思います。
それでは「武士道」をはじめましょう!
第一章 武士道とは何か
第一章では、他国の文化と比較しながら、武士道の特異性を説きます。そして、武士道を以下のように説明します。
「日本の封建制度の中で自覚された、サムライの心に刻まれる、不文律の強力な行動規範である」
つまり、文字にされることなく、口伝によって受け継がれた、武士の守るべき掟のことだと。そしてその武士道にはいくつかの源泉となるものがあります。
第二章 武士道の源はどこにあるか
武士道は、仏教、神道、儒教という三つの主要な思想的源流から影響を受けました。
仏教は「運命に静かに従う心」を、神道は「忍耐心」「謙譲心」を植え付け、儒教は「君臣関係における忠義」を吹き込んだといいます。
また、王陽明の「知行合一」の流れを組み入れ、知識よりも行動を重んじる、道徳倫理になりました。
そして、このような源流を持つ武士道は、単なる軍事的な規律に留まらず、平和時にも求められる、生き方へと発展していったのです。
僕が武士道を会得する理由
ということで、ここからは、僕が「武士道」に関心を抱き、学ぶ理由をお伝えしたいと思います。
これは、「なぜこの時代に武士道を学ぶのか」といった(そんなタイトルの本があったはず)、一般的な内容ではなく、僕個人が感じたことを書いています。
道徳規範としての武士道
前提として、武士道とは、戦争での規律を伝えるものではなく、武士の生き方全般を伝えるものです。
武士道と聞くと、その響きからどうしても戦法書のように聞こえますが、第二章の説明でもあった通り、平和時にも求められた道徳倫理なのです。
そのため、現在の戦うことが身近にない現代の我々にとっても、参考になる普遍的な道徳心を説くものです。
自由の刑に処せられている
今の時代は、「正解」がなくなり、自由な時代です。
よく言われることですが、ひと昔前は「大手企業に入り、出世して、結婚して、貯金して、余裕のある老後を送る人生」が良い人生としてレールが引かれていました。そのレールを進むための選択が「正解」とされており、自分のやるべきことが明確でした。
しかし、サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と言ったように、現代の我々は自由を手に入れて、人生の選択肢が無限になったが故に、選択に迷って悩むことになりました。
例えば、現代ではキャリアの選択肢が多様化した故に、社会人は、今の会社に残るべきか、それとも転職するべきか、はたまた起業するべきか、迷い、悩むのです。一方昔は、ひたすら会社で働くこと以外は考えずに済みました。
何を選択すればいいのか分からない
これは、行動規範をはじめとする、価値観にも同様のことが当てはまります。
考え方が多様化し、自分が今この瞬間、どのような行動を取ればいいのかが分からない。アドバイスを求めれば、人によって言うことが異なる。全部正しいような気がしてくる、
価値観が自由な故に、何を選べばいいのか分からないのです。
僕は完全にこの状態に陥っていました。どんな極端な意見も間違っているとは思えないし、考えようには、どれも正解になるような気がするし、という風に、自分の意見や価値観がはっきりしない、いわば、「中身のない人間」になっていました。
完全に「自由の刑」に処せられていたのです。
中には同じような悩みを抱えている方も、おられるのではないでしょうか。
武士道に委ねる
そこで、僕は「武士道」に自分の行動規範を委ねることにしました。
行動規範があることで、行動に迷いがなくなり、悩むことがなくなります。選択を迫られたら、「武士道」の価値観に正解を求め、その価値観に沿った行動を選ぶのです。
これが僕が「武士道」を学ぶきっかけです。
ある意味、これは自分を不自由にする行為です。自分の行動を「武士道」の価値観に合わせるわけなので、時に自分の感覚的な意思とは反する場合があるのです。
しかし、それこそが「道徳」です。本来、道徳とは、感情の生き物である人間が、善悪をわきまえて、正しい行為を行うための規範となるものです。自分を律することで、立派な人間になるために、自分を「不自由」にするのです。
おわりに
今回は、武士道の導入を紹介し、僕が「武士道」を学ぶ理由についてお伝えしました。
そして次回からは、さっそく武士道の礎である「義」を扱いたいと思います。
皆さんもこの機会にぜひ、一緒に日本を支えてきた「武士道」を勉強しませんか?