尾崎豊 衝撃のデビューアルバム・『十七歳の地図』
まえがき
昭和後期、文化の最高潮にあった日本の音楽界に颯爽と現れては消えていった風の青年・尾崎豊。
学生の自由、社会からの解放を歌った彼は自然と若者たちの支持を受けるようになり、『十代の教祖』とも称された。
そんな彼の伝説の始まり、弱冠十七歳にして世に送り出したデビュー・アルバム 『十七歳の地図』について存分に語ろうと思う。
概要
1983年にリリースされた尾崎豊のデビュー・アルバム、『十七歳の地図』。最初はLPとカセットのみの発売で、CDが発売されるのは、セカンド・アルバム『回帰線』との同時発売だった。最終的にはミリオン・セールスに到達するほど、売れに売れたアルバムだけど、リリース当時の最高位は60位と、散々な成績だったという。ていうか、初回プレスのみ出荷してしまった後、バック・オーダーがほとんど来なかったため、再プレスまでにかなり時間がかかったのだ。なので一時、このアルバムは品薄状態が長く続いていた。英題は『SEVENTEEN'S MAP』。 ちなみにこのアルバム、リリース当時はほとんど話題にならなかったらしいが、ライブが口コミで評判を呼び、それがピークに達したのが伝説の「アトミック・カフェ」のライブでの骨折事故。その体を張ったパフォーマンスで一気に注目を浴びるようになった。ライブ中に勢いあまって高所から飛び降りて足を骨折したアーティストがいた、というのを週刊誌などで報道された。かなり大きな代償ではあったけど、結果的に尾崎豊という存在はここで少し知られるようようになり、そして次にセンセーショナルな楽曲が日の目を見ることになる。青春時代の赤裸々なメッセージをテーマとしたミュージシャンというのが、尾崎以前にもいなかったわけではない。四畳半フォークの時代から、それは連綿と続いているのだけれど、そのほとんどはティーンエイジャーといっても大学生以上、もしくはテーマを中学・高校に設定したとしても、大方は懐古的な視点、すでに成人して以降に作られたものばかりであって、現在進行形の十代にとってはリアル感が足りなかった。彼らの目線はすでに大人の目線となっており、言ってしまえば彼らは「あちら側」の人間だった。そういった状況から、普通の中高校生と同じ目線の高さと視点を持つ尾崎が受け入れられたのは、ある意味時代の要請に沿ったものと言える。尾崎のデビューから、すでに30年が経っている。私の父親世代においてこのアルバムはレベッカの『Maybe Tomorrow』同様、「わざわざ買ってなくても誰かが持ってるため、一度は聴いたことのあるアルバム」という位置づけであったという。その世代をターゲットに、商売上手なソニーが節目ごとに、タイアップやらニュー・アイテムのリリースやらで、常に新たな話題を提供しているため、おかげでコンスタントなセールスを上げているようである。ただし、そんな世代ばかりを相手にし続けていても、ゆくゆくは先細りになってしまう。大抵の懐メロ・アーティストの場合、過去マテリアルの蔵出しによって、最初はそこそこの売り上げを記録するのだけど、露出が多くなるとレア感が薄れ、ファンの新陳代謝も起きずに失速するという流れがほとんどである。その点、尾崎は露出の加減がうまく行っている方である。一時は死後の便乗商法によるリリース・ラッシュがひどかったけど、今世紀に入ってくらいからは、その辺がうまくコントロールされている。 ほとんど鼻歌レベルのデモ・テープまで発掘リリースされてしまう状況が長く続いた尾崎だったけど、幅広いジャンルのアーティストを集めて制作されたトリビュート・アルバム・リリースあたりから流れが変わってきた。ミスチルや宇多田ヒカル、槇原敬之らがカバー曲としてセレクトしたのは、これまでのパブリック・イメージだったメッセージ色の強いナンバーではなく、流麗なメロウ・タイプのものばかりだった。旬のアーティストが取り上げたことによって、これまでのファン以外にも再評価の機運が高まり、うまい形での新陳代謝が行なわれた。特に”Forget-me-not”なんて、実のところファンの間でも地味な扱いをされており、(非常に良いラブ・バラードソングなのだが)彼が取り上げない限りは誰も気づかなかったはず。
「過激なアジテーター」というのは、デビュー間もなくしてから後付け設定された、あくまで作られたイメージであって、そこを外してフラットな視点で改めてこのアルバムを聴いてみると、叙情性の強いシンガー・ソングライターとしての側面が見えてくる。
俺世代が聴いた場合、ジェネレーション・ギャップによるファースト・インパクトが強すぎたため、そのセンチメンタルな部分は見えなくなっていた。
逆に、変な先入観のない若い世代であるからこそ、見えてくる本質もある、という好例とも言える。
そうするとメッセージ性の強い曲は、アルバム・タイトル曲"十七歳の地図"と"15の夜"くらいしかなく、ほとんどは丹念な情景描写を歌った曲か、ストレートなラブ・ソングで埋められている。ていうか、ちゃんと聴いてみると、その2曲もメッセージ・ソングですらないことに気づかされる。
尾崎はこのアルバムの中で、「学校を辞めようぜ」とか「社会をぶっ壊そうぜ」とも言っていない。彼はただ、彼なりの現状への不満や社会への憤りを歌としてぶつけているだけであって、「お前らもそうしろ」と言ってるわけではない。あくまで身辺雑記が強く無粋な口調になっているだけで、無力なティーンエイジャーを扇動するために歌っているわけではないのだ。
強烈なメッセージにとって、歌はあくまで「手段」でしかないけど、この時点での主役は歌である。メッセージはあくまで添え物に過ぎず、ここにいるのは、ただ気ままに曲を作り、みんなに聴いてもらいたがっている、ほんと普通のシンガー・ソングライターである。
この時点の尾崎はまだ不特定多数の「誰か」を引っぱってゆく力はない。信頼できない大人たちによって作られた体制への反抗、そこからのドロップ・アウトを表明してはいるけれど、同じ立場の少年少女たちの拠りどころになれるほどの力はまだない。せいぜい半径5メートル程度の友人知人に対してグチったり、または夜通しダベったりする程度だ。
その力はまだ小さい。けれど、その半径を徐々に広めることができれば、最終的に彼は多くの人の心をつかむようになる。
そして、その広がる速度は、尾崎やソニーの予想を超えることになる。
この後到来する”卒業”の大ブレイクによって、大きな自信と確信を得た尾崎は、ソニー・スタッフによってお膳立てされた「若者の代弁者」的役割を引き受けてゆく覚悟を決める。ファンが抱く理想の尾崎像を忠実に演ずることを、自分に課された使命として、作品だけでなく、行動や発言、そして生きざままでも背負ってゆくことになる。
それが重荷になってゆくのは、もう少し後の話だけど。
曲解説
1. 街の風景(SCENES OF TOWN)
『無限の色を散りばめた 町の風景』
オリジナルは10分くらいあったのを、プロデューサーの須藤晃がばっさり切り捨ててコンパクトに収め、歴史的デビュー・アルバムのトップに位置付けられた、今後の方向性を示唆した曲。
サウンドはモロ80年代、軽くリヴァーヴのかかったドラムが特徴的だけど、歌を前面に押し出したミックスのため、そんなに古臭くは聴こえない。アレンジのおかげでポップに聴こえるけど、曲自体は時々変拍子の入る、オーソドックスなフォーク・ソングである。
曲調も柔らかめで、身の回りの心象風景を素直に写し取っているため、メッセージ性は薄く、ビギナーにも聴きやすい曲。
2. はじまりさえ歌えない(CAN'T SING EVEN THE BEGINNING)
『君を抱きしめ離したくない 愛の光をともし続けたい』
浜田省吾とBruce Springsteenの影響下にある、ややメッセージ性を強めた曲。佐野元春や浜田省吾同様この年代のシンガー・ソングライター、特にエレキ・ギターを抱えて歌うスタイルのアーティストは大抵、彼やJackson Browneの影響から逃れられなかった。
3. I LOVE YOU
『悲しい歌に 愛がしらけて しまわぬように』
未だカラオケのトップ・ランクに余裕でチャートインしている、もはやアラフォー世代だけでなく、すべての世代が耳にしたことのある代表曲。石原裕次郎と美空ひばりしか聴かなかった、90代の俺の祖母が、この曲の入ったカセット・テープを持っていたくらい、影響力は強い。
シンプルなアレンジとメロディーに、若いカップルの焦燥感と疼き、儚さが描かれている。普遍的なテーマなので、多分、何十年経っても古びることのない、永遠の名曲。
純愛、真実の愛をテーマとすることの多い尾崎豊の原点であるような気もする。
個人的にAパートとBパートの繋ぎの間奏が素晴らしいと思う。
ベタではあるけれど、バラードとしてはこれが最高傑作であり、そしてこれを超えることは遂にできなかった。
4. ハイスクールRock`nRoll(HIGH SCHOOL ROCK'N'ROLL)
『満員電車に押し込まれ 言葉さえ失くしたStrange Boy』
原題は『セーラー服』。
なぜか一部でレゲエ・ビート。歌詞は佐野元春からの影響も垣間見える、横文字の多用。ちょっとヒネたティーンエイジャーの社会や学校への不満が、リアルな生活感を交えてストレートに描かれている。後半はやはりSpringsteenっぽくなる。
実はいすゞのトラックのCMでおなじみ、HOUND DOGの大友康平がコーラスで参加している。
尾崎を内省的なシンガーソングライターとしてでなく、Bruce Springsteen & E Street Bandをモデルとしたバンド・サウンドで売り出そうとしたプロデューサーの先見の明は見事だと思う。こうした出会いそのものが、人との「縁」なのだろう。
5. 15の夜(THE NIGHT)
『盗んだバイクで走り出す 行く先もわからぬまま 暗い夜の帳の中へ』
恐らく最も彼の楽曲の中で知名度をもつものであろう。「盗んだバイクで走り出す」という過激なサビは"卒業"と併せて今なお昭和の不良の代名詞となっている。
ピアノとベースが紡ぎ出す、シンプルかつスリリングな導入部から、徐々に気持ちが高ぶり、サビでバンドが爆発する。スネアとギターのパワー・コードが重い響きを奏で、ホーンがむせび泣く。日本人にとっては、ある意味演歌的な響きのため、これも人気が高い曲。
反社会的な面が強調されるが、この曲の本質は「社会からの解放」ではなく「どうやっても自由を得られない現代社会とそれに徐々に組み込まれてゆく思春期の悲哀」であろう。
歌詞に「誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした15の夜」とあるが、この歌の主人公はバイクを盗んで自由になった訳ではなく、盗んだバイクに乗って暴走する今、この瞬間自由になれた"気がしている"だけなのである。
以前公開された映画『ホットロード』ではI LOVE YOUとOH MY LITTLE GIRLが主題歌となっていたが、世界観としては、むしろこの曲が一番しっくり来るかもしれない。
6. 十七歳の地図(SEVENTEEN'S MAP)
『十七のしゃがれたブルースを聴きながら 夢見がちな俺はセンチな溜息をついている』
リアルな17歳がその心情を素直に書き連ね、若作りの大人たちがロック調のアレンジで着飾らせた、こちらも一般人気の高い曲。タイトル曲だから当たり前か。
この曲もそうだけど、この人はホント、歌が上手い。情感の込めかたはもちろんだけど、緩急の付け方、聴かせどころでのシャウトや力の抜きどころなど、細かなニュアンスのどれもが、ちょうど日本人のツボにはまっている。
パッションをテクニカルに聴かせるのは演歌の技法だけど、それは日本人のDNAに刷り込まれているのだろう。だからこそ多くの日本人が、尾崎の歌に魅かれるのだ。
7. 愛の消えた街(LOVELESS TOWN)
『愛という言葉を容易く口にするのを嫌うのも 一体何が愛なのか それは誰にも解らないから』
ハードなギター・ソロから始まる、歌詞もロック・テイストの強い曲。このアルバムの中では一番ハードな内容となっている。
冷静に考えて、"愛の消えた街"とは、かなりの大風呂敷なタイトルだ。17歳でこれを書いたことに対する驚きは、多分今の若い世代の方が大きいだろう。
石川啄木など、幼い頃から文豪の作品に親しんできた尾崎にこそ書ける歌詞なのだと思う。
実際、プロデューサーと題名について軽く揉めたらしい。
8. OH MY LITTLE GIRL
『ふたり黄昏に肩寄せ歩きながら いつまでも いつまでも 離れられないでいるよ』
リリース当初から「隠れ名曲」として語り継がれ、死後、ドラマ主題歌としてシングル・カットされてから脚光を浴びた、シンプルなラブ・ソング。路線としてはほぼ"I Love You"とかぶっており,故に普遍的なテーマとして古びることなく、いつの時代でも人気が高い。
9. 傷つけた人々へ(TO ALL THAT I HURT)
『僕を睨む君の瞳の光は 忘れかけてた真心教えてくれた』
ポップ調で爽やかに歌い上げる、"街の風景"と同路線の、半径5m以内の身近な心象風景を素直に描いた曲。アレンジも素直で耳に馴染みやすく、ラス前の箸休めとしては最適。
名曲ぞろいのこのアルバムの中では地味な扱いだけど、なかなか詞曲のクオリティは高い。まだ恋ともいえないくらい、切なく甘酸っぱいティーンエイジャーの想いの瞬間を、優しげな視点で切り取った歌詞は、ネガティヴなイメージの強い尾崎の作品の中では異彩を放つ。一般的な名曲に飽きた人にも聴いてほしい。
10. 僕が僕であるために(MY SONG)
『正しいものは何なのか それがこの胸にわかるまで』
これもリリース当時はそれほど話題にならなかったけど、SMAPの同名のスペシャル・ドラマの主題歌で取り上げられたことをきっかけとして、「実は俺も好きだったんだ」とでも言いたげに、ミスチルがカバー、最近ではmiwaもアルバムで取り上げていた、フォーク・ロック調の優しい曲。マイルドな自分探し、とでもいう内容の歌詞を、噛みしめる様に丁寧に歌う尾崎。
やはり、この人は歌が上手い。
"シェリー" "ダンスホール"と共にアンコールやラストで演奏される傾向にある。
おわり
少し前まで運用していたブログのリンクが切れてしまって、このnoteに移住してきたが、この編集画面のなんと使いやすいことか!
時代の流れをしみじみと感じる。
俺はまだ若者と分類される年齢だけれど、80〜90年代の音楽が好きだ。少し前まで昭和ブームだなんだと言っていたが、なかなかそういう趣味の人とは出会わない。まこと、生きづらいものである。
幼い頃は自分だけゲームを買って貰うことができず、専ら家にあるレコードやCDを聴き漁っていた。
そのせいで、小一の頃はクイーンにどっぷりハマって、毎日CDプレイヤーをランドセルに忍ばせ、『キラー・クイーン』を聴きながら登下校をしていた。
昔の音楽となると周りで話すことの出来る相手がなかなかいない。そうなると吐き出すところもないので何年もブログに書き連ねていた。
今まで同様、このnoteにも長らく世話になることであろう。
尾崎豊のアルバムについては全作書くつもりだし、ほかの好きなアーティストについても、ジャンルに囚われることなく色々書いていくと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?