新たな挑戦。 「絵本や歌を通じて、いのちの尊厳と力につながっていく世界をえがく」
「こんな世界をみんなで生きたい。」という憧れに動かされて
最近、新たな表現活動をはじめました。
それは
子どもも、大人も、あらゆる違いを超えたすべての人が
自らの存在や感情を軽んじたり、ないことにしたり、
否定したりせず、そのままに大事にできること。
社会的に「良い」とされている範囲から外れた自分を
恥じたり、批判したり、「悪い」と罰し、教育する代わりに、
自分が自分であることの尊厳と力につながり、
それがあることを、思いやりをもってみつめること。
恐怖や不安に掻き立てられ、周りの目を気にして、
「これをしなければ」「期待に答えなければ」と
義務感に動かされ続けるかわりに、
自分自身が一体、心の奥底で何を望んでいるのかに気づき
溢れ出るあたたかな感覚から、日々の選択ができること
日々体験すること、その想いを孤独に感じ、
もしくは感じる余裕のない日々を過ごす代わりに、
互いに今ここにあるものをわかちあい、
私達がつながりの中で生きていることにきづくこと。
私自身との、あなたとの、地球との
血の通ったつながりを取り戻すこと
こんな世界を願いながら、私自身今も
自分の存在を否定したり、バカにしたり、恥じたり、
自分の感情をないことにしたり、
人と関わることが怖くて一人とじこもったり、
社会的に受け入れられるために自分を教育したりすることがあります。
それでも、
「自分がどんな気持ちで、何を望んでいるか全くわからない」
と想っていた、あのときの自分から
本当にたくさんの人、存在、知恵のおかげで
だいぶ遠いところにやってきました。
その道すがら
宝物のようにうけとった言葉や知恵を
何度も思い出しながら、改めて、
私はいのちの尊厳と力につながった世界を共に生きたい。
そんな思いで、今 絵本と歌をつくっています。
内なる感覚や望みにつながっていく絵本
子供のとき、私は自分がどんな気持ちなのか
わからないことがよくありました。
もしくは悲しいことはわかるのだけれど
一体なんでこんなに悲しいのかわからない、
なんてことがありました。
それは、
自分のことがわからない漠然とした不安感や
自分が「存在しない」ような虚無感や
自分のことを理解してもらえない虚しさ、悲しさ
「どう感じる?」と聞かれたときの緊張やもどかしさになって
自分が真に何を望んでいるのかがわからない。
何をしても根本的に満たされることがなくて
から回りばかりしつづけていた20年でした。
「私と仕事のどっちが大事なの?」という質問は、
実際にはどちらが大事かを聞くことが望みなのではなく、
「寂しさや悲しさがある。存在を大事にされたい。共に時間をすごしたい。」という願いがあったりする。というように、
本当に願っていることが、実は自分でよくわかっていなくて
的はずれなお願いをしていることがよくある。
例えば、
同僚の悪口を言うことで、その場はスッキリするかもしれないけれど
それを言いたくなった自分が本当に望んでいることは、
仕事がスムーズに進むことや、良好な関係性をつくることかもしれない。
(悪口を言ってもその根源的な望みは叶わないし、逆に遠ざかってしまう)
「夫が家事を手伝ってくれない」と文句をいったり、強制的にルールを決めて家事を分担すれば、その場ではスッキリするかもしれないけれど、
それを言いたくなった自分が本当に望んでいることは、日々自分が努力していることへの労いや感謝の表現をもらうこと。その気持から、自発的に協力してくれる関係性があることかもしれない。(ルールを決めても、その根源的な望みは叶わないし、逆に遠ざかってしまう)
友達を仲間外れにして、「ざまあみろ」ということは、その場ではスッキリするかもしれないけれど、それをやりたかった自分が本当に望んでいることは、相手とのやり取りで傷ついたことが理解されること。自分の尊厳を守ること。許しや和解がおこり、存在を大事にしあうことかもしれない。(仲間はずれにしても、その根源的な望みは叶わないし、逆に遠ざかってしまう)
自分が何を感じ、何を望んでいるのかがわからないことが、
自分との関係性にも歪みをうみ、
他者との関係性の中でも
勘違いや反発、すれ違い、不足感、不和につながっている。
「どのように、この不満を解消するか?」を考えることも大事だけれど、
解決に急いでも、対処療法的にばんそこうをはるだけで、真に満たされないことがよくありました。
解決方法を考えることに焦点があたりすぎて、自分がどんな気持ちなのかを繊細に感じとることや、その奥で真に望んでいることに気づいていくことが、置き去りになってしまうことがある。
でも、そこに気づく力こそが
自分や他者との健やかな関係性の土台になると想っています。
自分が「どんな気持ちで、何を望んでいるのか」に
自分で気づき、それを表現できるときには
自分が自分である。真実である。というような納得感や
理解されているという安心感
より本意なあり方や関わり方を共に選べる、つくりだせる喜びがある。
そんなふうに、それぞれが自分の気持ちや望みにきづき
それを大事にすることができたらいいなと想っています。
今まで、私はNVC(非暴力コミュニケーション)の世界観や知恵をベースに、自分や他者との関わり方について学び、場づくりをしてきました。また2019年からは、その学びの要素を日々の習慣にとりいれた「つなぐ手帳」というものをつくってきました。
今回はその世界を、絵本にしたいと想っています。
「自分の気持ちや望みに気づいていく絵本」は来年の2月頃の完成を目指して今動いていて、その後はこんなテーマで絵本をつくりたいと思っています。
いのちをやしなう歌
もうひとつは、うたをつくること。
そしてうたうことについて。
2022年のはじめ、
これは一人でかかえきれないとおもうような悲しみの中で、
どんなふうに日々を生きたらいいかわからなかったとき、
最後に自分をたもち、共にいさせてくれたのが音楽でした。
自分の感情を感じるには、
それが受け取られるための器が大事で
それが人のときも、音楽のときも、自分の呼吸のときもあるのだけれど
「そうか、音楽の中でそれが起こると
より美しさや愛にふれやすかったり
ちゃんと没入して感じることができたり、
一人でも、誰かと共にいられているような心強さが感じられるのだ。」
と感じたところから、自分の感情を hold するような歌をつくっています。
歌というのは、自分のエネルギーの流れをがらっとかえてくれたり
大事なことを何度も、シンプルに思い出せたりするという力もある。
ということに最近あらためてきづいて、今は
・日々、ここにあるものに感謝し、また捧げるいのりのうた
・自分の存在、力を思い出しエンパワーするうた
・どんな世界に向かいたいのか、その鮮やかさを思い出すうた
などをつくっています。
2023年2月に舞台を。
そして、2023年2月、
自分の30歳の誕生月という節目に
猫のあおちゃんの一周忌もあわせて
「生命をいわうこと」「はじまりとおわり」
というテーマで、ライブをさせてもらおうと想っています。
舞台で一人で歌うのは初めてだし、
歌をつくるのも初めてだし、と恥ずかしさと緊張が満載だけれど
新しい挑戦として、いろんなものを超えてやってみます。
そのときに、絵本も一緒において紹介する予定です。
興味があったらぜひ、当日応援にいらしてくれたら嬉しいです。
(日程、場所はまだ調整中ですが2月、東京予定です。)
最後に、リクエスト。
絵本のプロジェクトと、
歌づくり、ライブのプロジェクト
実は、割と難航しています。
初めてのことばかりなので、一体何をしたらいいかブレストしたり、学んだりしながら、自分の選択基準を設定して、選んで、実行して、というループのなかで、割と迷子になることもあって、
そのなかで、「こんなこと、やめなよ。大丈夫なの?やる意味はどこにあるの?」勢に内側から説得されることがあり、そこから自己対話がおこって、足踏みをすることも。
そんなわけで、今回の宣言にふみきったのですが、
今まで1ヶ月ほどやってみて、ひとりでやりきるのがかなり難しい。
というのがひしひしとわかってきました。
そこで、もし「これであれば、手伝いたい」という方がいたらお声がけいただけたら、とても嬉しいです。頻度や時期、その他条件については個別で希望があればきき、相談したいと想っています。
【絵本プロジェクト】
・プロジェクトの進行を伴奏をしてくれる方
(全体像を掴んだり、方向性やスケジュールの設定)
・ストーリー(キャラ設計)のブラッシュアップ
・印刷、出版準備(自費出版の予定)
・販売、広報、発送サポート(販売ページ作りやSNS発信など?)
・イラストレーター探し(今すでに声をかけている人はいますが、確定していないため)
【ライブプロジェクト】
・プロジェクトの進行を伴奏をしてくれる方
(全体像を掴んだり、方向性やスケジュールの設定)
・ライブの会場選びや、準備
・その他まだ未定
なんと。最後まで読んでくれてありがとうございます。
なにより嬉しいです。
もし具体的なことでなくても、気持ち的な応援や「こういう絵本がよみたい」「こんな歌がききたい」というリクエストなどがあれば、励みや力に、そしてやる「意味」の広がりになるのでぜひ聞かせてください。