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意味のない虚無~ニヒリズム~
最近私が思うこと。それは、ニヒリズムに完全にはまってしまったことです。
私はいつからか、小難しく答えのないようなことを、時間があれば考えるようになりました。それは、答えなどきっとないであろう事柄ばかり。
眠りが浅くなり、まどろみに入っている一番心地のいい時間にも、ひどいときはそうした答えのない考えが頭を巡り、目が覚めてしまうこともあります。
哲学なのか真理なのか、「なぜ人は生きるのか」「なぜ人は群れるのか」「なぜ人は疑問を感じずに生きていられるのか」と、そんなことばかり考えていました。
人生のピンチというか、毎日崖っぷちをスレスレで歩いているような生活を送る私ですが、躓いてもうダメかもしれないと思う場面が何度かありました。支援を受けながらも、ようやく崖っぷちに這い戻れたとき、いろいろと振り返りをしていたのです。
これからどう生きていくのか。どう生きたいのか。どうなりたいのか。そんな「なぜなぜ問答」を繰り返していたとき、ふと気づいたことがありました。
こうやっていろいろ考えていることに「意味」ってあるのだろうか。ずっと生きる意味とか生まれてきた意味とか、自分の本当の居場所を探し求めていましたが、そもそも意味も理由も存在しないのではないか。
意味という人間の解釈
生まれてきた意味などない。私が生まれたことにも意味はない。男女が性行為をした結果が私であって、私の意志で決めたことではありません。ただ、それを考えるとき、私たちは「愛」や「意図」といった背景に意味を見出そうとする習性を持っているのではないでしょうか。
例えば、親がどのような理由で子どもを持つことを決めたのか。その背景には、愛情であれ計画性であれ、個々の事情や感情があるはずです。とはいえ、正直それは私が思い悩む問題ではないわけです。
意味というのは、人間が後付けで決めた解釈なのかもしれませんが、その解釈によって私たちは自分の存在を形づけているのだと思います。そう考えると、意味の有無に振り回されず、どのようにそれを捉えるかが大切なのかもしれません。
居場所という曖昧な概念
本当の居場所はどこか。思春期の私は、ずっと「ここではないどこか」に本当の居場所があるように感じていましたが、居場所というのも実に曖昧な言葉だと思うようになりました。
居場所なんて固定されたものではありません。ずっと居てもいい場所は本当にあるのでしょうか。賃貸なら支払えなくなれば退去しなければなりませんし、家を買ったとしても、本当に死ぬまでそこにいられる保証なんてどこにもありません。職場だっていつなくなるかわからない。永遠なんてものはどこにもないのです。
自分がここにいることに安心できる場所が居場所だとしたら、それは個々が意味づけたものにすぎません。
意味を探す人々
毎日多少の不満を感じながらも同じことを繰り返し生きる人間。なぜ疑問を抱かないのでしょう。そうやって考えると、すべてのことには意味などないのに、人は意味を求め、探し、自分の腑に落ちる意味と出会えたら満足し、安心し、安堵します。そして、その意味に出会えなければ不安になり、焦り、絶望するのです。
生死だってそうです。生まれたことに意味はなく、また死ぬことにも意味がありません。人は誕生したらいつか死ぬようにできています。ただそれだけ。だからこそ、人はそこに意味を持ちたがるのでしょう。納得がいくように時を過ごすために。
そうやって意味を自分なりに形づけて納得できれば、それは「良いニヒリズム」なのだと思います。ただ、私のようにへそ曲がりな考えを持っていると、意味に意味がないと思ってしまい、永遠に虚無の世界から抜け出せなくなるのです。
生きる意味を提供するもの
SNSなんかでよく見かける、意味を探している人たち。私も探していたから、その気持ちはよくわかります。でも、納得のいく意味なんて、きっと存在しないのだと思うのです。
だからこそ、宗教やスピリチュアルなんかの道しるべに人は吸い寄せられるのかもしれません。例えば、宗教では「生きる意味」を明確に定義し、人々に希望や安心感を与える教義があります。スピリチュアルも同様に、宇宙や魂のつながりを通じて、生きる理由や目的を提示することがあります。そこには、生きる意味がその世界観でちゃんと存在しているからです。
最後に
だから何なんだ、どう締めたいのか自分でもよくわからないので、結論がありませんが、ただ、こうやって混沌とした世界でさまよっている現状を言葉にしてみたかった。それだけのただの掃き溜め記事でした。
お付き合いいただき、ありがとうございました。