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自分の中の掟を書き出してみた

白いロンTに着替えた数分後に
キムチの汁をこぼしてしまった。
洗濯機を回した直後にこれである。


昨日の記事に、
人や自分の言葉に影響されて、気づけば掟が増えてしまったことを書いた。

例えばどんな掟があるのか、書き出してみようと思う。
この先、またそれぞれの掟を掘り下げていくのもよいかもしれない。

こうした方がいい、こうしなければならない の数々

ごはんは手作りで
なるべく体によい食事をとる
住環境は片づいている方がよい
友達は大切に
夫婦は仲良く
仕事には真摯に全力で
できるだけ相手に伝わる話し方を
子どもたちにはいろいろな経験をさせてあげたい
家庭のルールはみんなで話し合って決める
子どもの気持ちにできるだけ共感してできるだけ否定しないように
要求にはできる限り応えてあげる
でも口出しはしすぎない
締め切りは必ず守る
ごみの分別はしっかりと
環境に悪いことをなるべくしない


…こんなもん?いやもっとたくさんあるはず。
思い出そうとすると思い出せないくらい、自分の行動決定の拠り所となっている。
もはや無意識の領域に埋め込まれた掟がたくさんあるはず。

もちろん、全然体現できてない。
掟に背く度に喉の奥の深いところがちくっと、いや、ウゲェっと、
うーん、詰まったような、そんな感覚になる。
そんなふうに掟にジャッジされてる感じがよくないなーと思っている。


ちなみに我が家は全然片付いていないし
物が多くて散らかっていて、埃もたまっている。
だから家にいると結構ウゲェっとなり続ける。


修士ももう折り返しだというのに修論の第一歩の研究構想が全然ビシッと決まらなくて、ゼミの度に教授に叱られてる中で

「論文を書くことで誰かを否定することになる」かもしれない
(そうならない構想を練らなきゃいけないんだけど)
という事実に直面して、悩んでいる。

悩んでいるときにこそ、逆の気づきがあるもので

あぁ、私、
誰の役に立たなくてもいいから誰のことも傷つけない文が書きたいな。
それで4年寝かせたnoteにログインしてみた。それが昨日。


そして、誰のことも傷つけない これを大事にしすぎて、自分のことを下げるような振る舞いをしてきたかもしれないな。
これに気づいたのが、。書くことってやっぱりおもしろい。


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今日ここまででやらなかったこと

・祝日だからみんなで出かける、はやめた


手放したり削ぎ落としたりすることが今の目標で
修論出すこと自体を手放す可能性も、なくはない、と思っている。




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