お正月に思ったこと

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今年もよろしくお願いいたします。

今年のお正月に思ったことなどを記録として残しておきます。

初詣の出来事

大晦日から、息子一家が帰省しており、にぎやかな年末年始を過ごしました。
2024年1月1日、家族で氏神様に初詣に行きました。
息子夫婦は、安心安全を思って子供が道路に飛び出さないように気を配ります。
駐車場から道路を歩く途中に、きれいな山茶花が咲いていて、足元にはたくさんの花びらが絨毯のように落ちていました。
孫①ちゃんは、それを見つけて花びらを拾おうとしゃがみましたが、息子は突然の行動に、「車が来たら危ないから立ってさっさと歩きなさい!」と、注意しました。
孫①ちゃんは、しかたなく花びらを一つ拾って、神社に向かって歩き出しました。 


参拝が終わり、自宅に戻って、私は孫①ちゃんに尋ねました。
「①ちゃん、神社で拾った花びらはどうしたの?」
すると、孫①ちゃんはにっこりとして、小さい手をポケットに入れて、
「ここにあるよ!」と見せてくれました。
「あーきれいやね。赤いお花がたくさん咲いていたね。」

感性の芽を摘まない

私、思ったんですよ。

感性を見過ごしてはいけない! って。

自分の時もそうでしたが、子育て中は子供の安心安全など、見える部分に意識が行ってしまいがちだと思うんです。
子供の行動に悩んだり、一日のルーティンを回していくことで精いっぱいな時もある。
自分自身のことも大切にしたいし。
そうなると、子供の見えない部分が置き去りになります。
子供の行動の背景にある心情、感性を見過ごして、行動だけで判断してしまうことってありませんか?

私の場合は、子供との「遊び」の時間を通してしか、感性や心情に向き合ってこなかった部分があります。

そんな私が言うのもなんですが、

自分は孫という未来に何を残せるのだろうか。
大それたことでなくても、日々目まぐるしく変化していく中でも、
大和魂というか、人として大切なものを伝えていきたい。
特別なことでなくてもいい。

そう思った時に、孫①ちゃんの、花びらを拾ったのに父親に注意されたときの、ちょっと悲しげな表情が思い出されて

「気が付いた私が、その心情を引き取ってあげよう!感性の芽を摘んではいけない」って思ったんです。

子供は、好奇心と感性のかたまりです。
「あ、きれいだ」と思ったのでしょう。
親にも、わかってもらいたかったかもしれません。
今、この瞬間を逃すと、もうその感性は色あせていくと思います。
そして、小学校に入学して、いろいろな知識が詰め込まれ社会性が育つ分、感性よりも思考が大きくなってしまうと思います。
思考の柔軟性は、感性を育てることです。
思考と感性の調和(バランス)が大切です。
大人の私たちは磨かなければいけませんが、子供の時は感性を充分に持っているので、その芽を摘んではいけないと思うのです。

孫は未来の私であり、過去の私である

両親は愛情がたっぷりあっても、気持ちに余裕がない時もあるだろう。
私自身も、小さい時に、もう少し親に共感してほしかったという思いが残っています。
そして親になって、自分の気持ちにも余裕がなく、子供に寄り添っているつもりでも、的が外れていたかもしれません。

子供の頃の自分が親にしてほしかったこと。
子育て中に自分ができなかったこと。

目の前の孫は、未来の自分であり、過去の自分。

今の中に、未来も過去も詰まっている。

今、私ができることとして、
未来の自分と過去の自分に、渡そうと思ったのです。

調和(バランス)って

私にとってメンターとなる存在の人から言われたのですが
「自分一人の中で調和を作ろうと思わなくてもいい」
この言葉が琴線に触れたのですが、
私は、自分の中に理想を掲げて、できていない自分を責めてしまったりする癖を持っています。

でも自分一人ですべてに完璧を目指さなくてもいい

誰かが苦手な部分は、気が付いた自分が引き取ればいいし
自分が苦手な部分は、できる人に助けてもらえばいい

両親に余裕がなく気が付かないのであれば、
そこを指摘したり批判するのではなく、
気が付いた「ばあば」が補えば
全体として調和(バランス)がとれている

それでええやん


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