思い出のお仕事|紙もの印刷が好き過ぎて文具メーカーに就職編
これまでのお仕事で特に思い出に残っているものをお伝えしよう!と思いたち、まずは最初に就職した企画デザイン部のお話になるのですが。
なぜそこに?とふり返っているうちに、どんどん過去をさかのぼってふり返ることになりました。
昔むかし、おじいちゃんとおばあちゃんがおりました‥‥
活版印刷屋の孫
かつて保育士として多忙だった母は、幼い私が熱を出した、水ぼうそうにかかったといっては自分の両親に預けていました。
台所が低い土間になっていて、和室がつながった平屋造りのおばあちゃんの家で、通算かなりの月日を過ごしていたはずです。
おばあちゃんは私を仕事場にも連れて行きました。
おじいちゃんの活版印刷の工房です。
大きな機械がいくつも並んで、ガシャン、コー、ガシャン、コー、といいながら動いていました。
おとなしく椅子に座って待っている性質の子どもだった私は、おばあちゃんが棚から活字を拾っているのをじっと眺めていたのでした。
そしてそれに飽きると、おばあちゃんが渡してくれるいらなくなった紙や、カレンダーの裏に機嫌よくお絵かきをしていました。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」で、同じ組の子が夜の星祭の相談をしているとき、ジョバンニが仕事をしていたのは活版所です。
おじいちゃんは無口で厳しい人に見えましたが、私が描いた絵を見せると、うんうんと頷きながら笑っていた記憶があります。
ベニヤ板の切れっ端に黒マジックで格子を書いて囲碁の盤にしていたり、針金をねじって輪にしたところへ洗濯バサミを取り付けて、小さな洗濯物干しを作っていたりもしました。
そして白いきれいな紙があると、両手で目の高さまで持ち上げて眺め、「紙には裏と表がある。うん、こっちが表だな」と判定をしました。
おじいちゃんは活版印刷屋さんで紙のプロなのだ、と私は子どもながらに確信していたように思います。
活版印刷の工房を叔父が継ぐ頃には、業界ではオフセット印刷が台頭して機械も全て入れ替えられました。
今でこそ、ひとつのアートとして活版印刷を多くの人が愛し大切にしていますが、いっときは灯が消えるのではと感じたこともありました。
あのときおばあちゃんが指を黒くしながら拾っていた活字を、ジョバンニも拾っていたこと。
活版印刷は金属の版がぎゅっと押された重みで紙にほんの少しの凹凸を持ってインクが刷られること。それがなんともいい味わいで、指でなでたり、目の高さで眺めるのが特別に楽しいこと。
おじいちゃんとも、おばあちゃんともお別れして、ずいぶん長い時間がたってから気づいたことです。
紙に印刷されたものになぜこんなに惹かれるのか、それは活版印刷屋の孫だからに違いない、と。
文具メーカー企画デザイン部の新入社員
なりたい職業のアンケートで、漠然とデザイナーと書いていた中学生の自分。
就活生になっても希望にそれほど大きな変化はなく、じゃあ何のデザイン?紙に印刷するもの。
という答えを見つけて、文具メーカーをいくつか回りました。
絵や文字を書く黒色のペン、虹の色を細かく分けて並べたような色数の多い色鉛筆や絵の具、スケッチブックや、気に入ったザラザラ具合の水彩用紙など、いつも身近にある文房具が好きでした。
そして何よりレターセットを作ってみたかった私は、運よくとある文具メーカーに入社することになりました。
同期は10数名いて、いろいろな美術系の大学や短大、専門学校から集まっていました。美大は浪人することもよくあるので、年齢もファッションも得意なことも、全部バラバラな新入社員たちでした。
入社式から間もない社員旅行では、仕事をはじめる前に「隠し芸大会」でそのバラバラな才を熱を持って発揮し合い、新入社員チームが見事に優勝したという思い出があります。
それぞれデスクに向かい、1人でイラストを描いたりデザイン案を出しますが、いくつかのデザインラインやカタログのチームなどに同期が散らばっていたので、アイデア出しから商品化まで見渡したときに「みんなで作っている」という感覚を持てたのは、隠し芸大会のせいだったかもしれません。
小さなミーティングや会議を重ねて、いよいよ商品化するときは大きな会議会場で、全国の営業さん方を前にプレゼンします。
自分の絵柄を印刷してくれる工場へ行って立ち合いをさせてもらったり、商品が置かれた店舗を回ったり、いつもおもしろい!と内心はしゃいでいました。
お給料はそんなに高くなかったし、それなりに苦労もあり、目標設定はあくまでも「売れるもの」で、自分がいいと思うもの、描きたいものばかりではありませんしたが。
それでもいろいろ差し引いても、楽しさが残るようなお仕事であったのは本当です。
後半の数年は、ついに立ちあげたレターセット&カードのチームに所属して、やりたいこと、できることをひとつずつやらせてもらっていたような、ありがたい環境でした。
そしてサブディレクターになってから少しして、いくつかの理由が重なり退職することに。
フリーのイラストレーターになったら、もっと自由に描けるのだろうかと、ふんわり夢見ていたような世間知らずな私でした。
いいと思うもの、描きたいもの
レターセットのデザインをしながら思ったのは、そもそも用途としては、罫線のある用紙と無地の封筒だけでいいのでは?ということでした。
そこへ付加価値として絵柄や色、紙の質感などをプラスしていく意味って?
おしゃれとかごちそうとか、その人らしさの表現とか、文化って生活に余裕がなければいらなくなってしまうもの?
もちろんそんなことはなくて、人類はどんな時代でも何かにつけて声をあげ、語り、歌い、描き、記し、社会を創造してきていると思うのですが。
レターセットのくまは、平和な場所でしか存在できないのか?
それともくまは、平和を謳うことはできるのか?
小さな四角い紙の上で、くまと一緒にまだ見ぬ世界に思いをめぐらせていました。
思い出深いお仕事をふり返ってみました。
描きたいものと、描けるものが同じではなかったり、いいと思うものと、求められるものがちがうこともよくあります。
かなり大人になった今、また描いているのは、実はただ、描きたいから。
そして自分が気に入っているものを、もしかしたらほかの誰かが気に入ってくれる?という期待と興味でもあり、描きたいように描けるだろうか?というトライでもあります。
作風について迷子になっていたときもありましたが、昔懐かしいクリスマスカードのくまを見て思いました。
そんなに今と変わっていないのでは?
結局、楽しく力を抜いて描くと、自分から出てくるのはこんな「くま」なんだな、ということに気がつきました。
また、くまを描いてみようかな?
最後までご覧いただき
thank you somuch☆彡