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コーヒー豆を挽く3人の男たち|エッセイ



1人目


1938年生まれの少し変わった老人は、戦時中に食べ飽きたというサツマイモが苦手だ。
今では、食べることも料理をすることも謳歌している。
若き日の空白を埋めるように観劇に出かけ、映画を観て音楽を聴き、寝る間を惜しんで本を読み、読みながら眠ってもまだ読書灯で額を照らしている。
創作の近くで生きること私に示した、父である。
口数が少なく絵を好んだ私を絵画教室へ通わせた。
みんなと同じだからといって安心してはいけないし、みんなと違うからといって不安になることはない。
言葉ではなく日々の姿でそれを伝えられた。
家でコーヒー豆を挽く父は、その芳香を自分が作り上げているかのように、自信に満ちて子どもの私を安心させた。




2人目


そばにいないと酸欠になるようだった。
コーヒー豆を挽くどころか生豆と網を買ってきて、ユニコーンを聴きながら自分たちで焙煎する遊びもした。
ずっと一緒にいたかったのは、思い返せば哺乳類としての繁殖本能に操作されていたのかもしれない。それとも父と似た黒ぶちメガネのせいだったのか。
彼は大切な恋人で友人で相方だったが、父親にはなりきれなかった。自分の子どもを受け止めきれず、子どもと私を傷つけた。
彼もまた父親に殴られて育ったのだと知ったときには、もうほとんど手遅れだった。私は暴力に囚われた彼を助けられなかった。傷ついた自分の子どもを守ることで手一杯だったのだ。
酔った彼が投げた物は幸い人には当たらなかったが、部屋の壁や私の心にはいくつも真っ黒な穴があいた。
よくあるしあわせな家庭を子どもにあげられなかった私は、数年がかりで元相方と幾百キロの距離を取り、また絵を描く自分の姿を見せることにした。



3人目


キミは私の身体からだと時間を通り過ぎ、私を母にした。
キミが何も言わなくても熱心に勉強したのは、自分で食えるようになったらこの家を出ていけると話したからだ。

キミと会う日には特別においしいものを食べる。
食べながら、あのときは助けられなくてごめんねと言ったら、いいよそんなの何も思ってないよと笑う大人になっていた。
それでも父親のことは許さなくてもよいのだ、あの人は間違っていたのだからと伝えた。
怒りと暴力は連鎖する。その連鎖を断ち切りたい。
キミが出会う大切な誰かを、本当に最後まで大切にできるように。

中学生の頃だったか、意外と力がいるんだと、夜更けにコーヒー豆を挽いてくれたやさしいキミを思い出した。









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mu
ここまでお読みいただきありがとうございます。 思いのカケラが届きますように。