時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #15 函館本線④
千歳線・石勝線・札沼線
北海道鉄道網を支える基幹路線たち
千歳線は大正15年(1926年)に北海道鉄道が、沼ノ端ー北広島ー苗穂62.6㎞を開業させ、室蘭本線と函館本線札幌方面を結ぶ路線として重要な位置を占めました。昭和18年(1943年)には官設鉄道に買収され、千歳線と命名されています。
当初、札幌近郊部分では、白石を経由せず、その南側の月寒(つきさっぷ)を経由するルートとなっていましたが、昭和48年(1973年)にルート変更され現在のルートとなりました。
平成4年(1992年)には南千歳から新千歳空港ターミナルの地下まで乗り入れ、空港連絡線として大きな役割をはたすようになりました。
現在ではエアポート快速や、特急など、多くの北海道主要列車がこの路線に乗り入れて札幌と各地の間を結んでいます。
石勝線は、夕張炭鉱からの石炭運搬路線として、北海道炭礦鉄道が明治25年(1892年)に全通させたものが原型となっています。
明治42年に夕張線と線路名称が制定され、石炭産業が盛んな時代であったため、夕張は炭鉱の町として大いに栄えピーク時には人口12万人を数えるほどの賑わいをみせました。
しかし、昭和40年代に入り国策の転換により、石炭産業への依存度を下げようという動きから、炭鉱は次々と閉山となり、現在では7000人程度の人口にまで減少しました。
夕張線もそんな夕張の町の歴史に追随するように栄枯盛衰をたどり、紅葉山(現新夕張)ー登川は国鉄再建法による廃線を待たずに、廃線となってしまいました。
しかし、そんな夕張も、石炭の町から観光の町へと大きく舵を切り、夕張メロンなどを開発したり、元炭鉱の町のイメージを払しょくし、大きく生まれ変わることに成功しました。
夕張の歴史と並行して、北海道鉄道網における大きな懸案事項に、北海道内都市間連絡網の確立という問題がありました。
特に、札幌ー帯広を結ぶ路線は、函館本線で滝川まで行き、根室本線を経由するという大回りを強いられていました。
当時の国鉄としては、都市間連絡のスピードアップは飛行機との競争もありどうしても解決しておかなければならない問題であったのです。
そこで国鉄は昭和56年(1981年)、追分から新夕張の区間は夕張線を活用し、新得までを短絡する石勝線として路線を開業させました。
石勝線の開業により、札幌ー帯広の所要時間は38分短縮され、当時の最速として3時間5分となり、北海道都市間連絡の鬼門であった区間がついに完成したのでした。
令和6年(2024年) 7月号時刻表
特急 おおぞら1号 4001D
札幌発6時48分ー石勝線経由ー帯広着9時18分ー釧路着10時56分
札幌ー帯広所要時間 2時間30分
連結車両 グリーン車 全席指定席
札幌近郊の通勤通学需要を支える路線
札沼線は札幌から留萌本線石狩沼田を結ぶ、函館本線とほぼ平行して走る路線でした。
昭和6年(1931年)、石狩沼田方面から建設が進み、石狩沼田ー中徳富(のちの新十津川)が札沼北線として開業しました。札幌側は昭和9年(1934年)、桑園ー石狩当別(現当別)が札沼南線として開業、翌昭和10年(1935年)に残りの部分が開業し、全線開通となりました。
戦時中の休止を挟んで、昭和31年(1956年)に復活しますが、わずか16年後の昭和47年(1972年)には、石狩沼田ー新十津川が早くも廃止されました。残りの区間である、新十津川ー北海道医療大学については平成28年(2016年)の調査によると一日の輸送密度が200人/日未満の路線であり、JR北海道単独では維持困難な線区として指定され、令和2年(2020年)に同区間が廃止、札幌近郊の通勤通学路線として生き残るのみとなりました。
令和6年(2024年) 7月号時刻表
札幌発北海道医療大学行 2531M
札幌発6時19分ー北海道医療大学着7時10分 所要時間51分
北海道医療大学行 32本/日(区間列車除く)
札幌行 34本/日(区間列車除く)
次回へつづく
〔参考文献〕
・JR時刻表2024 7月号 (株)交通新聞社
・全国鉄道地図帳 昭文社
・駅名来歴辞典 国鉄・JR・第三セクター編 石野哲著 JTBパブリッシング
・日本鉄道旅行歴史地図帳 北海道 [監修]今尾恵介・原武史 日本鉄道旅行地図帳編集部[編] 新潮社
・鉄道ジャーナル 2021年4月号