松ヶ谷鉄道

時刻表に関連する話をしたり、 時刻表と地図帳片手に時刻表に乗る旅に出たり、ざっくばらんな内容となっています。実際に旅も行きたいな。今のところ週2.3回の更新を目標にやってます。Xもよろしくお願いします。少しでも気になる内容でしたら、フォロー、スキよろしくお願いします!

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時刻表に乗る vol.1

~旅のはじめに~  現代社会において多くの人々が“時間”に追われ日々の生活を送っている。日常生活の中で”タイムスケジュール”を組み、その予定通りに概ねの日常イベントをこなしている。  その人々が移動手段として日常的に利用する公共交通機関であるバスや鉄道にもタイムスケジュールがあり、そのタイムスケジュールのことは”ダイヤ”と呼ばれ、日本全国のJR線や私鉄路線、代表的なバス路線等のダイヤが記述されているものが”時刻表”と呼ばれる冊子である。  現代社会においてはスマートフォ

    • 時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #16   函館本線⑤

      歌志内線・深名線 それぞれの役目を全うした両路線  歌志内線は、北海道炭礦鉄道として、幌内炭鉱の次、明治24年(1891年)に早くも全通しました。  歌志内炭鉱は年間70万tの石炭を産出し、昭和38年(1963年)には国鉄4番目の黒字路線になるほど、石炭輸送で活況を呈しました。  しかし、北海道の他の炭鉱鉄道と同様、石炭炭鉱の閉山が相次ぎ、輸送量が減少、赤字路線に転落していきました。  最後は、国鉄再建法の第二次特定地方路線(輸送密度2000人/日未満)(1002人/日)

      • 時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #15   函館本線④

        千歳線・石勝線・札沼線 北海道鉄道網を支える基幹路線たち  千歳線は大正15年(1926年)に北海道鉄道が、沼ノ端ー北広島ー苗穂62.6㎞を開業させ、室蘭本線と函館本線札幌方面を結ぶ路線として重要な位置を占めました。昭和18年(1943年)には官設鉄道に買収され、千歳線と命名されています。  当初、札幌近郊部分では、白石を経由せず、その南側の月寒(つきさっぷ)を経由するルートとなっていましたが、昭和48年(1973年)にルート変更され現在のルートとなりました。  平成4年

        • 時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #14   函館本線③

          瀬棚線・岩内線 地味な路線ながら函館・札幌からの直通急行も走った路線  瀬棚線は長万部から二駅函館側の国縫(くんぬい)を起点とし、噴火湾と日本海側の瀬棚を結んだ路線です。  昭和4年(1929年)に花石までが開業し、その3年後の昭和7年(1932年)に瀬棚までが全通しました。  路線が通過する途中の町である今金から瀬棚の乗客が多く、区間列車も設定されていました。昭和59年(1984年)までは函館からの直通急行「せたな」も運行されており、需要がそれなりにあったと思われますが

        • 固定された記事

        時刻表に乗る vol.1

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #13   函館本線②

          江差線・松前線・海峡線 函館近郊の鉱物資源を運んだ路線たち  江差線は大正2年(1913年)に上磯からの石灰石を輸送するために開業しました。その後昭和11年(1936年)までに江差まで延伸され、江差線は全通しました。  昭和63年(1988年)に青函トンネルが開通すると、一躍脚光を集め、五稜郭-木古内は「津軽海峡線」の一部となり、交流電化され、活況を呈するようになった一方で、木古内ー江差は旅客の減少が著しく、北海道新幹線開業の2年前の平成26年(2014年)にひっそりとそ

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #13   函館本線②

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #12   函館本線①

          函館本線・手宮線・幌内線 北海道における鉄道の草創期  明治15年(1882年)、官営幌内鉄道が、手宮(小樽市内)と幌内太(のちの三笠)(幌内炭鉱)を結び、幌内からの石炭を小樽港に輸送する路線として、開業し、北海道における鉄道の歴史が始まりました。  その後も、明治22年(1889年)には、北海道炭礦鉄道に譲渡され、砂川方面の炭鉱にも路線を延伸していきます。  手宮線・幌内線の原型はこのころにはすでに完成しています。  函館方面は、北海道鉄道が明治35年(1902年)に

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #12   函館本線①

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #11   日高本線

          日高本線 災害に振り回された不幸な路線  日高本線の歴史は古く、大正2年(1913年)に苫小牧軽便鉄道として苫小牧ー佐瑠太(のちの富川)として開業しました。日高地方の開発と、日高山脈から産出される木材の輸送がその主な役目でした。佐瑠太から先は日高拓殖鉄道が路線を延長し、大正15年(1926年)には静内まで延伸されました。昭和2年(1927年)に官設鉄道に買収され、その後も延伸を続け、昭和12年(1937年)に様似まで全線が開業しました。  路線は、苫小牧から太平洋沿岸を南

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #11   日高本線

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #10   室蘭本線

          室蘭本線 北海道を支える基幹路線としての役割  室蘭本線は明治25年(1892年)北海道炭礦鉄道として、室蘭(現東室蘭)ー岩見沢134.54㎞が早くも開通しました。明治30年(1897年)には室蘭を輪西(現東室蘭)に改称し、室蘭を西側4.67㎞の位置に新設しました。そして、明治39年(1906年)には官設鉄道に買収されます。  その後、室蘭より西側に延伸していた長輪線(おさわせん)を編入し、昭和6年に室蘭本線として、長万部ー岩見沢の現在の形に落ち着くことになります。  

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #10   室蘭本線

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #09   留萌本線

          留萌本線 日本海側からの海産物輸送のために開業した路線  留萌本線は、当初は、札幌から増毛方面への延伸路線として計画されていました。その理由としては、増毛港で水揚げされるニシンを輸送する路線という位置づけでした。計画は変更となり、留萌方面から延びてきた留萌本線で増毛と接続され、昭和30年(1955年)頃までは、ニシンの輸送で活況を呈していました。しかし、その後の大幅な旅客量の減少や、日本海側に路線があるが故の厳しい気性環境におかれた路線保守費用がかさみ、平成28年(201

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #09   留萌本線

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #08   根室本線②

          池北線・広尾線・士幌線・白糠線 《開業したものの苦戦を強いられた各路線たち》  池北線(①)は、当初は網走と帯広を結ぶ「網走本線」として計画され、石北本線や釧網本線が開業するまでは、幹線としてその地位を維持していました。しかし、石北本線が全通すると、網走方面への経路は石北本線経由に移り、池田ー北見間を結ぶ池北線という、いち地方路線としての位置づけとされました。今回の4路線の中では唯一定期の急行列車が設定されるなど、池田ー北見の連絡路線として、重要な役割を果たしました。  

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #08   根室本線②

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #07   根室本線①

          根室本線 道東の中心とを結ぶ重要路線としての整備  明治33年(1900年)北海道官設鉄道十勝線として、下富良野(現富良野)ー鹿越【①】36.85㎞が開業したところから建設がスタートしました。釧路側は明治34年(1901年)北海道官設鉄道釧路線として、釧路ー白糠【②】27.84㎞が開業。富良野側、釧路側から順次路線を伸ばし、明治38年(1905年)には北海道官設鉄道から、官設鉄道へ移管されました。明治40年(1907年)には旭川ー下富良野(現富良野)ー釧路309.15㎞が

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #07   根室本線①

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #06   釧網本線

          釧網本線  釧網本線の網走側は池田との間を結ぶ網走本線として、大正13年(1924年)網走ー北浜11.59㎞が開業したことから、建設がスタートしました。釧路側は昭和2年(1927年)、釧路ー標茶【①】48.12㎞が釧網線として開業しました。昭和4年(1929年)に網走側の斜里(現知床斜里)ー札鶴(現札弦)(さっつる)【②】19.63㎞が開業し、池田ー札鶴の網走本線が全通、釧路側からの工事も昭和6年(1931年)に札鶴に達し、釧網線も全通しました。その際、網走ー札鶴を釧網線に

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #06   釧網本線

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #05   石北本線

          石北本線 石北本線  石北本線は、大正1年(1912年)に野付牛(現北見)ー(網走(現))ー網走(旧)(のちの浜網走)53.75㎞が網走線(すぐに網走本線に改称)として開通したところから建設がスタートしました【①】。同時に、野付牛の反対方向には留辺蘂(るべしべ)まで22.85㎞が湧別軽便線として開業しました【②】。大正5年(1916年)には湧別軽便線は遠軽まで(37.5㎞)到達しますが、常紋トンネル【③】の工事では、タコ部屋労働者が人柱にされるなど、悲惨な工事を経ての到達

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #05   石北本線

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #04   名寄本線

          名寄本線 《栄光の時代》  名寄本線は湧別軽便線として遠軽ー社名淵(のちの開盛(かいせい))【①】4.51㎞が大正4年(1915年)に開業したところからスタートしました。翌大正5年(1916年)社名淵ー中湧別ー下湧別(のちの湧別)【②】16.58㎞が開業し、同時に狭軌への改軌を行いました。その後は名寄側からおよび中湧別側から徐々に路線を伸ばし大正10年(1921年)全線が開業しました。開業当時は名寄線と名乗っていましたが、大正12年(1923年)に名寄本線に名称変更されて

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #04   名寄本線

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #03   宗谷本線③

          美幸線・興浜北線 《壮大な計画もあった悲劇の路線》  路線の全てが美深(びぶか)町内にあった美幸線(びこうせん)【①】は、昭和50年代日本一の赤字路線として話題になり、当時の町長がそれを逆手に取って「日本一の赤字路線にの乗って行こう美深町」のスローガンのもと、東京や大阪で大いにPRを行ったことが有名になりました。  美深線は元々、オホーツク海沿岸の北見枝幸(きたみえさし)を目指し建設が計画されましたが、その大部分が計画凍結となり、名前にその爪痕を残したまま(美深の"美"と

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #03   宗谷本線③

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #02   宗谷本線②

          《昭和戦前時代》  昭和時代に入ると、函館ー稚内路線は樺太経営の為にますます重要度を増し、北海道の中心である札幌を経由しない列車も現れました。これは、北海道内で新規路線が続々と開業してきた関係(札幌を経由しないほうが距離が短いルートができた)もありますが、今では考えられないことです。  また、スピードアップも図るため、昭和5年(1930年)には全区間が急行に格上げされ、函館から稚内は18時間2分に短縮されました。  大正時代の最初の急行が22時間59分かかっていたわけですか

          時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #02   宗谷本線②