【旅日記】名古屋で出会った奇抜すぎるお寺たち(桃厳寺/強巴林)
2024年の盆休み。軽い気持ちで初の名古屋へと足を踏み入れたわたしは、これまでに経験したことのないようなディープなお寺たちに出逢った。
桃厳寺
「とうがんじ」と読む。公共交通機関の場合、地下鉄本山駅から歩くとこのお寺の裏口にたどり着ける。……そう、なぜか我々は裏口から入った。墓地の横を抜けると、背中だけ見せていた名古屋大佛が全貌を現す。基壇含め15メートルもある立派な大仏様だ。
一目で感じる異質さに息を飲む。裏口から入ったのがいけないのかもしれないが、閑静な住宅街の中の、さらに鬱蒼とした藪の中に、精巧で巨大でエキゾチックな大仏が突如として現れたのだ。この大仏はあまり見ない形の印相(仏像の手のかたち)を結んでいる。調べたところ転法輪印という、釈迦が真理を説く意味がある形に似ている気がする。
足元のリアルな象にも目が行く。写真だと小さく見えるが象だけでもかなりの大きさである。よく見てみると雌雄が判別できるほどリアルで感心した。(※これ伏線です。)
大仏から少し移動したところには犬や猫の姿が象られた供養塔があった。
本堂まで歩き、お寺の方に拝観料をお渡しする。そうして初めて、本堂の奥へと続く扉を開くことができる。この時点でわたしの桃厳寺に関する前情報は、友人が「年齢制限をかけざるを得ない内容」と言っていたことだけだった。まさかnoteで本当に年齢制限をかけるわけにもいかないので、なるべく表現に気を付けながらここからはご紹介していきたい。
有料拝観エリアの最大の見所は、「ねむり辨天尊像」だろう。文字通り弁才天様が横になって眠っているという像なのだが、……上半身裸である。下半身は布で覆われている。彩色は美しく、どことなく表情が艶めかしい。弁天様のキーアイテム、琵琶を枕にしちゃってる。な、なんだこれは……。後ろには弁才天の元ネタ、インド神話のサラスヴァティー女神の絵が置いてある。こんな仏像、他に見たこと無い。
この時点でこのお寺は「そういう感じ」なんだなというのが何となく察しがついてくる。さらに奥に進むとまたしても弁才天が祀られているお堂になっており、よくよく見てみると、奥の薄布がかけられたスペースに、所狭しと並んでいるのである。無数の、性器崇拝のオブジェ。特に男根を象ったオブジェがわんさか並んでいる。う~んこれは確かに年齢制限かも!
単なる民間の男根崇拝の痕跡なら民俗資料が展示してある場所に行くと見れたりするが、今も信仰されている日本のお寺でここまで交合の聖性(?)を感じる空間があるのか!と感動した。そしてそのオブジェたち、よく見るとひとつひとつが非常にユニークで面白い。是非ともご自分の目で確かめてほしい。
桃厳寺の面白さはこんなところでは終わらない。屋上まで非常階段みたいなところをスリッパで登る。(怖っ) すると「パゴダ塔」が現れた。いや、あの、ここ日本だよね……?
塔内には雌雄の白蛇を象った「白龍霊神」が中央に祀られ、その左右には明らかに日本のものではない「ラマ佛」の雌雄が鎮座している。並々ならぬエネルギーというか、凄みを感じる。白蛇の頭部が欠けているのが逆に神聖さに拍車をかけている気がする。
帰ってからパンフレットを読んだら最後のほうに控えめに「和合の精神は生命の根源で神聖な心理」と書いてあった。このお寺が伝えたい熱いメッセージ、是非とも現地で聖なる空間に身を置いてほしい。きっと分かるはずだ。
強巴林
「チャンバリン」と読む。……いや何語!?チベット語である。
強巴林は日本で唯一のチベット寺院である。まさかそんな面白すぎるお寺が名古屋にあるなんて!
友人の記事を読んで以来、絶対に行ってみたかったのだ。
ここで強巴林への交通手段の話を少々。名古屋の中心地からは離れた場所にあるが、公共交通機関でも全然行ける。「ゆとりーとライン」というバスで行くのだが、途中までガイドウェイバスという形態であり、要は鉄道のように専用の道路が設けられている。こんなんあるんだ、とびっくりした。専用道路と専用の駅みたいな空間があり、本数も多ければ利用客も多い。そのバスで「竜泉寺」のバス停から徒歩5分。比較的便利だと言えるだろう。
さて話をお寺に戻そう。昼の新幹線までに名古屋駅へ戻らなければならなかったので、お寺が開く朝9時に合わせて訪れた。一歩敷居を跨げば、そこは別世界。日本のお寺にはそうそうない鮮やかな色彩で視界がいっぱいになる。2005年に建立されたという、まだ若いお寺である。
御本尊はまばゆい金色に輝く十二歳の釈迦牟尼仏。12歳像というのはパンフレットを読んで知ったが、肉眼でお会いしたお釈迦様はとても煌びやかで、日本のお釈迦様とはまた違う、海の向こうの雰囲気のするお顔をしていて、とても不思議な気持ちになった。
個人的に心惹かれたのは、御本尊の側面の壁に並ぶ菩薩立像たちだった。それぞれ異なる色と柄の衣服を纏っているのだが、それがたまらなく美しかった。異国情緒と、芸術としての美しさと、宗教的オブジェとしてのありがたみ……それら全てを一気に視界に投げ込まれて心が満たされた。
また、タンカ(仏画)がたくさん飾ってあるのも強巴林の魅力だ。緻密で美しく、色鮮やかな仏画を見るのは本当に楽しかった。日本の仏画と似ているものもあったが、チベット仏教と言えばで思い浮かべるような、主尊と女尊が抱き合う姿の尊格(守護尊)の仏画も見ることができた。日本の仏教には存在しないため、まずは異質さに目が釘付けになるのだが、もの凄いエネルギーが込められていることに気づくだろう。
また絶対に来よう、と心に誓い、御朱印を頂いてお寺を後にした。桃厳寺では異国の精神文化と日本の神道・仏教との自由なコラボレーションという趣があったが、強巴林はまさに異国そのものを体験できる場所だった。両者に性のエネルギーが共通していたのも面白かった。名古屋にいながら異国体験。これだから旅することと神社仏閣めぐりはやめられない!
最後までご覧いただきありがとうございます。名古屋旅シリーズはこれで終わりです。他の記事もよかったらどうぞ。
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