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どこか似ている鬱の契機とほぼ同じである回復に大切なこと

私が鬱の最悪な状態の2年を過ぎて、本を読めるようになった時、鬱の経験を書いたいろいろな本、軽い鬱で仕事を継続できる人が書いた、頑張ればなんとかなるという本、アメリカの精神学会の治療法の本、日本の医学者が書いた、こうすれば良くなるという本、鬱なんか気分の問題だと主張する心理学者の本、もろもろ百冊ほど読んだ。

鬱の症状が残っている頃に読んだ本の内容ははっきりとは覚えていない。自分の行動すら覚えていない。ある日仕事の打ち合わせをしたと思うと、一週間なにもできず、日記も書けず、自分がしたことを思い出すことができない。連れ合いが話してくれてはじめて、そういえばそんなことをした記憶がかすかにあるということがたくさんある。

読んだ本でも、あっこの人は本当に鬱を知っているわけではなく、想像で書いているとはっきり印象に残った本や、ある医学者が、自分の奥さんが性的暴力を受けて鬱になり、それまでの本の内容とまるで違う姿勢で鬱に向かって書いた本ーーそれは借りものの理論でなく、家族と患者の心が通じないまま両方ともに苦しむ生活を書いたものだったーーそれまで人格者のように思っていた心理学者が実際は鬱の患者のカウンセリングを研究資料にしたいんだなぁと思わせる本とかは記憶に残っている。しかし、多くは過去の研究書から集めた言葉で鬱患者に決まった定義をしようとするものだったように思う。

今回、偶然山本文緒さんの小説をFBで知り、すぐ買って読んだ。鬱の回復期に彼女の『再婚生活 私のうつ闘病日記』と『そして私は一人になった』を読んでいたので、鬱を経験した作家として記憶に残っていたからだ。それは離婚、鬱、再婚という私がとおった道といっしょだったからである。そして、この人の鬱の始まり、症状の変化、記憶にうっすらとしか残っていない2年少しの時間、ある日はまるで鬱でないかのように活発に動き、仕事をして、翌日からはまったく動けず、生きていく意味があるだろうかと思いながら横になって何もできないという鬱の始まりと回復期の症状は、その頃の私の状態と似ていた。

それで『自転しながら公転する』の表紙を見て、すぐ読んでみたいと思った。伊野尾さんがストーリーや物語のポイントを書いてなかったので、復活したんだ、どういう作品か知りたいと思った。

正直、『そして私は一人になった』は私が失った記憶といっしょに薄らいでぼんやりしか思い出せない。しかし、『私のうつ闘病日記』は、仕事や家庭生活で疲れている方とそのご家族や仕事仲間には是非読んでほしい。多分、鬱を発病する契機はみんなどこか似ているし、回復するために大切なことはほぼ同じであるように思うから。

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