書評:斎藤幸平著『人新世の「資本論」』
人新世とは、地質学的な年代区分として現代を指す名称である。
現代の人間の活動は、数十億年単位の地質学的年代区分にも明らかな特徴を与えるほど、地球環境に影響を与えていることを示している。
つまり、この書籍のタイトルは、人間による環境破壊が地球規模に拡がった時代の資本論という意味になる。
これまで「資本論」は、経済学の理論書とと考えられてきた。
それに対して、本書は、マルクスの「資本論」を環境問題に接合し、持続可能な社会を「脱成長コミュニズム」への変革によって、達成するべきだと主張する点で注目される。
多くの人たちに読みやすい体裁とするため、難解な議論は省かれているが、ソ連の崩壊によって、廃れてしまったマルクスの思想に、環境問題解決のための理論としての可能性を見出そうとしている。
商品は、人の労働を媒介して、自然を加工することで生産される。そして、生産された商品は、貨幣を媒介して、人と人との間で交換される。つまり、商品は、「自然と人」、「人と人」、という二つの関係の上に成立する。
従来、マルクスの「資本論」は、後者の「人と人」との関係を扱う経済理論の書として捉えられてきた。
一方、本書では、マルクスの「資本論」に、前者の「自然と人」との関係が検討されていた点を提示する。
しかし、なぜ、これまで多くの研究者によって、研究されて尽くしてきた思われる「資本論」に対して新しい解釈が可能なのか?
本書によれば、「資本論」第一巻はマルクス本人の筆によって執筆され、1867年に刊行されたが、その後、第二巻、第三巻は、マルクスの資本主義批判に関する苦悶の中で、未完で終わってしまった。そのため、現在出版されたものは、エンゲルスがマルクスの遺稿を編集したものに過ぎず、第一巻刊行後にマルクスが遂げた理論的な大転換が、隠蔽されてしまっている。
ところが、近年MEGAと呼ばれる新しい「マルクス・エンゲルス全集」の刊行が進んでおり、晩年のマルクスが残した 地質学、植物学、科学、鉱物学など自然科学に関する膨大な研究ノートが、新たに加えられている。そこでは、「過剰な森林伐採、化石燃料の乱費、種の絶滅などエコロジカルなテーマを、資本主義の矛盾として扱うようになっていった」と理解できる、という。
先に述べた通り、商品は、人の労働を媒介にして、自然を加工することで生産される。環境問題とは、その過程で発生する。
よって、今後は、これまで、別のものとして扱われてきた環境問題と労働問題が、「資本論」を介して理論的に接合されることになる。
また、革命はブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争により達成される、と考えられてきたが、地球温暖化や放射能による汚染、食糧危機など、生物としての生存条件が棄損されるような事態に対して、人々が生き延びるためにやむを得ず蜂起することになるかもしれない。
物質循環を維持するために必然的に革命が行われる。
このような考え方こそ、史的唯物論というべきだろう。