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いぬがしゃべりました ⑫【天才犬、オトナに】
「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする、冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)
<第12話>「天才犬、オトナに」
時が過ぎ、現在。
ようやく今の話。
私は中学2年になった。
ちゃんと進学もし、学校に通い続けている。人前で話すのが苦手なのは相変わらずだけど、バカを言える友だちがいたり、苺乃大福も”同中”だから相変わらずおせっかいを焼いてくれる。たいして成績も良くないし、将来の夢もない。自慢できることもないけど、それなりの毎日だ。
もう少ししたら、亡くなったタル兄ちゃんと同い歳になる。
私は少しくらい恥ずかしくない大人になれているのだろうか。
夏が終わって、運河を渡る風に少し秋の訪れを感じたころ。
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家に帰ったら、ママがリビングで小さな箱を片手に持ち、耳をそばだてて振っていた。アマゾソの宛名ラベルが貼ってある。
「届け物?」
「パパが買ったんでしょ。LIMEしといて。なんか届いたよって。」
と箱をテーブルにポイと置いた。
あいかわらず、ママとパパの間は微妙なまま。
「自分で言えばいいじゃん。」
もう私だってハッキリ言えるくらいは成長した。
箱を持つと、思ったよりちょっとズシリとする。
食べ物かな?冷やしておかないといけないもの?箱を振ってみたけどわかんない。「冷蔵しなくていいのかな?」
ママは洗濯ものをとりに行きながら、
「賢い先生に聞いてみたら?」
「はいはい。」
私は、いつものように元々タル兄ちゃんのだった部屋の前に立つ。
閉めきった扉越しに、滑らかな弦楽器の音色がうっすらもれ聴こえてくる。
ノブを回しながら、「開けるよ。」
がちゃりと開けたドアのすき間からのぞくのは、勉強机のイスに座るサトーさんの後ろ姿。
パソコンから流れるクラッシックの調べに、とがった耳をピンと立て、いつものように背筋を伸ばして体を揺らせている。
「あのさ、これさ…」
箱を見せようとすると、サトーさんは振り向きもせず、右の前足をすうっと挙げて私の言葉を制する。
やがて大人っぽくなった長い横顔で、
「ノック。」
と静かに言った。
「ごめんて。」私は肩をすくめる。
サトーさんがやってきてから、あっという間に2年以上の月日が経っていた。
見た目はすっかり成犬。イヌ年齢では20歳をとっくに超えている。ある意味、身体の成長は完成してしまった。中学2年の私を追い越してしまったのだ。
凛々しい横顔は、なんだか大人の雄の色気のようなものを感じさせてドキッとさせられることがある。
ノックなしを咎められたから、わざとおどけ気味で部屋に入り込んでみる。
「なんだっけこの曲?”ジイさんのアリャリャ”だっけ?」
「”G線上のアリア”。ボケが0点。」
冷たい。あの可愛かったサトーさんはどこへ?
サトーさんは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハをこよなく愛し、特にこの有名な曲に心酔している。
「冒頭の2小節の間、F#が動かず延びていく様が限りなく美しい。」
と意味の分からないことを言う。『死ぬ時に棺桶に入れてほしい1曲』だそうだ。かわいい声で『ムーンケーキマン』の歌を歌っていたころの面影は、もうない。
「これ。」箱を差し出すと、黒い鼻を近づけ、ワインソムリエのような所作で匂いを嗅いだ。本物のソムリエを見たことないけど。
「中身なにかわかる?お菓子?」
「ちがうね。」
もう一度、クンクン。
「んー、この豊かな香りはプラスチック…それに…芳醇なリチウムイオンバッテリー。ステンレス。日本製。」
「で?」
「うん、僕のバリカンだ。パパに頼んでた。」
そう言って、パソコン画面に落としたサトーさんの視線を追うと、ネット記事に、
” 愛されワンちゃん・ゆるふわ人気トリミングカット集50選 " とあった。
…ったくよ、色気づきやがって。
◆
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まだ2歳なのに、イヌ年齢だと20過ぎの大人。
精神的には高校生か大学生といったところか。少しお兄さん。
日々、頭の良くなるスピードがどんどん加速している。
サトーさんは、とにかく文字が好き。たくさん本を読みたがった。
図書館に行きたがったこともあったけど、ペット禁止だと言ったら機嫌が悪くなり、以来、「借りてきて。家族3人限度数の15冊。」と余計に人使いが荒くなった。
「読み足りないな。」と、パパの新聞、スーパーのチラシや、食品の成分表、家電の説明書など、文字という文字をなんでもかんでも読みあさった。
一度見聞きしたものは記憶してしまう。だから異常なまでに知識量が増えていく。
いつからか、とっくに私たちより賢い。
以前は文字や絵を描くのにエンピツをくわえていたけど、それだけだと物足りなくなって、パソコンを使いたいと言い出した。
パパが調べて買ってきたのは、手の不自由な方が使っているキーボードとマウス。マウスはトラックボールタイプ。はめ込まれたボールを転がしてクリックできる優れモノだ。キーボードは11個のボタンがついており、押す回数で文字を入力できる。前足を器用に操り、文字を書けるのがとにかく楽しいらしい。
ある時、学校にいる私のLIMEに『ポーン♪』と知らないアカウントからメッセージが届いた。学校ではスマホ禁止だから、こっそりトイレの個室で見たら、
” 水筒忘れてる。注意散漫。"
見ると、アイコンの写真は、サングラスのサトーさん。
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いつの間にか勝手にアカウントを作っていた。
「何やってんの?バカ。あんたの写真使ってバレたらどうすんのさ。」
「大丈夫。ペットの愛犬をアイコンにしてる人、何千万もいるから。」
ま、まあね。
イラストアプリで描くその絵は私より上手。むしろプロ並みだった。
気がついたら、ごくごく単純だけど簡単なゲームまでプログラミングしていた。
飛んでくるフライングディスクを犬が飛び上がってパクッって掴む。ただそれだけだけど、すごい。
「どうやって覚えたの?」
「そんなのネットに作り方くらい転がってるよ。」
だが問題があった。
私の銀行口座に50万円もの知らないお金が入金されていたのだ。せいぜいお年玉分しか入っていなかったのに。
サトーさんが自作のゲームをネットで販売して、いつのまにか50万円儲けていた。
「あんた、金儲けはダメでしょ。さすがに。ひくわ。」
「誰にも迷惑かけてませんけど。」
やがてサトーさんはネット上の情報だけでどんどん学習していった。真っ白なスポンジが吸い込むように、どんどん吸収していく。
動画サイトYouTofuで英会話を学習し、人類の起源や進化について論文を読み漁ったり、なんでも習得していった。やがて、大学入試の過去問をマスターしてしまっていた。
最近興味があるのは、サイエンス系らしく、
「生物学と医学を学びたい。遺伝子についても。」とのたまっている。ネットに転がっている論文や医学書から勉強できるそうだ。
「あんたね。犬がそんなの勉強してどうすんのさ。」
「犬をバカにしないで。僕らは、匂いで病気を見つけることができる。」
「匂いだけで?またまたぁ。」
「呼気や汗、尿などからガンを発見できるよ。有機化合物の変化でね。アドレナリンの成分から糖尿病を探知することだってできる。アメリカには『低血糖探知犬』の育成機関があるくらい。」
「へえ、すごそ。意味わかんないけど。で、お医者さんにでもなりたいの?」
「当たっているようで当たってないかな。人間と犬の違い。自分自身についてもっと知りたいんだ。それともう一つ目的があって。将来の夢っていうか…。」
「将来の夢?」
「…あ、いいんだ。なんでもない。」
「なによ、言ってみなさいよ。宇宙飛行士は卒業したの。」
「別にいいじゃん。人に聞くんだったら、桃々ちゃんこそ夢はなんなの?」
「私はまだないよ。ごまかさないで、言いなさいよ。」
「うるさいなあ。」
「ねー。」むぎゅー、と首にまとわりついてやる。
「いてて。」
◆
そんなワケで、言うことがいちいち可愛くない。
例えば…、
【かわいくない例、その1】
お出かけしている時に、私が散歩中の犬を見て、
「カワイイ!あのワンちゃんの着てる服見て!サトーさんもあんなのどう?着る?」とたずねても、
「あれね。飼い主の『自己満』だよ。犬が喜んでるかどうかは分からない。」
「その言い方。あんたも服着てるじゃん。」
「僕は別。人間と同じ尊厳がある。」
【かわいくない例、その2】
「ねえねえ、この『犬語翻訳アプリ』ってどうなのかな?本当に犬の言葉が分かるのかな?」
「なに言ってんの、バカじゃない。人間の気休めだよ。なんにもわかっていやしない。」
【かわいくない例、その3】
「聞いて、聞いて。超笑ったんだけど。学校でね…でね、でね…。」
日常の面白エピソードを披露しても、
「下手くそか。フリが効いてないから全然落ちてない。」
…この調子だ。
だけどそんなことない。
私は信じている。
きっとサトーさんは昔の無邪気な心を忘れていないはず。
私のことも好きなはず。
実はかわいいトコも絶対残ってはいるはず。
犬の本能的な部分は、なかなか消えないみたいで…。
狙い目は、サトーさんが油断している時。
毎日、私とサトーさんの攻防戦が繰り広げられる。
例えば…、
【好きなはずな例、その1】
私が学校から帰ってきたとき。
ドアを開けるなりサトーさんが胸に飛び込んで顔をペロペロなめてくる。
犬の本能で、反射的に家族が帰って来た喜びが爆発しているらしい。
「えっ!サトーさんも嬉しいの?私も嬉しい。」とニヤニヤしたら、
「ハッ」と我に返ってプイッと去って行く。
照れ隠しに「ママと間違った。」とか言い訳しながら。
「負けを認めな。私が好きなんでしょ。」
「別に。」
【好きなはずな例、その2】
サトーさんがソファの上であお向けにウトウトしている。
お腹を出して両手両足を広げた姿で、昼下がりにすっかりとろけている。
よし、チャンスだ。息をひそませ、そおっとお腹を撫でると、しっぽを振って恍惚の表情。ぐったり全身の力が抜けていく。
よしよしカワイイやつめ。偉そうなこと言ってても、チョロいもんだ。
と、不意に「ハッ」と我に返って、私の顔を見ると、プイッと背筋を伸ばして去って行く。
「間違った。」
「好きなんでしょ。」
「別に。」
【好きなはずな例、その3】
廊下に、サンダルを片方わざと落としておく。
サトーさんが通るのを横目で見ていると、一度通り過ぎてから、また戻って来る。
クンクン匂いを嗅いでじっと考え、おもむろに嚙み始める。前足でおさえ、くわえて引きちぎらんばかりに伸ばしたり「ぐるるるるるる」とノドを鳴らしながら、夢中になって遊び始める。
「こら!サトーさんッ!」と叫ぶと、
ビクッ!!と天井に届きそうなくらい飛び跳ね、イスの下に隠れてこちらをのぞき見る。
「わははっは。私の勝ちね。」
「違うよ。間違った。」
後ろ足で砂を蹴るようなしぐさで、のそのそ出てくる。
「私が大好きなんでしょ。」
「違う。犬にとってサンダルは、いわば『謎解きの書』なのさ。知的好奇心を刺激する『読み物』なんだ。1日歩いた様々な場所を表すヒントが複雑に混ざっていて、そこにどんなエレメントがあるか謎を解き明かしたくなる。宇宙の真理に心奪われた物理学者の境地なんだ。」
「言えばいうほど、ムリがある。私の勝ち。」
「犬特有の本能。仕方ないの。人間も変だよ。桃々ちゃんだって、貧乏ゆすりしたり、ハナクソほじるでしょ。犬には理解できない。」
むか。
「うるさい!」
やっぱりかわいくない。
今夜も、あの可愛かった小さなころの動画でも見て寝るか。
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◆
サトーさんの好奇心はとどまるところを知らなかった。
パソコンにあまりに熱中してるもんだから、たまたまチラ見したら、
『僕は21歳、都内の大学に通っています。ゲームのプログラミングが趣味です。スポーツはフライングディスク競技が得意です。』てな書き込み。
ぬぬぬ。捨て置けんぞ。
今度はマッチングアプリで、どこかの誰かとメールのやりとりをしていた。
AIで生成した適当な誰かメンズの後ろ姿の写真で、架空の自分を設定して。
「なにこれ?21歳の大学生って誰?勝手に何やってんの。キモっ。」
と非難したら、前足で画面を覆って、
「プライバシーの侵害。僕がなにやろうと自由だろ。」
「あんた3歳でしょ?年齢も逆サバ読んでるしさ、大学なんて行ってないじゃない。」
「東京大学合格レベルならとっくにマスターしたよ。テキストもネットに転がってるし。いいだろ、ただ誰かと会話してみたいだけだ。」
「あらー、私がいるじゃない。」
極上のポーズで、目をパチパチしてやったのに、
「レベルが低くてつまらない。」
「チッ、殺す。」
「だけどさ…」
私を見つめ、ヒゲを寂しく垂らして、
「結局、僕が話していいのは家族だけ。これじゃオリの中のペットに過ぎない。」
私と話す。家族で過ごす。そんなことより彼は外の世界に興味が出てきたのだろうか。誰か友だちが欲しいのだろうか。私たちじゃない誰かと。
なんだか複雑な気持ちになった。だからすがるように、
「私たち家族がいるじゃない。」と寂しく問いかけた。
「僕は孤独なんだ。じゃ、散歩のとき、図書館の八ツ橋さんとか、同級生の大福とかにしゃべりかけていいの?」
「それは…。」困る。
「誰と会ったって言葉を話してはいけない。無邪気なケモノのフリをしなきゃいけない。『こんにちは。』『いい天気ですね。』そんな当たり前の言葉も交わせない。こんな人生なんて意味あるのかな。」
「………。」
何も言えなくなった。
だよね。
外部の誰ともコミュニケーションを隔絶されている。サトーさんはこのままずっと隠れた人生を送らなければいけないんだろうか。
ママに話すと溜息をついた。「確かにそうかもしれないね。」
パパは、「だからって事実を明かして、サトーさんが安全に生きられるとは限らない。」と悩ましく頭をかく。
世の中に知られたら、サトーさんはどんな目にあうんだろうか。
家族会議では、答えが見つからなかった。
(つづく…)
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