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いぬがしゃべりました ㉓【家族で突撃】

「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする、冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)

<第23話>「家族で突撃」



新しく真っ直ぐに伸びた広い道。
計画的に設計されたオレンジの街灯が規則正しくどこまでも続く。頭上のレールには、光を放ちながら音もなくゆりかもめが行き交う。
私たちの4WD軽は、深い光沢ある緑色のボンネットに光の粒を映し、近未来を思わせる街、新豊洲へとすべり込んだ。そんな景色と、「ライカを助ける。」その大それた行動に今更ながらビビリ始めた私。

「あれだね。」
パパがフロントガラス越しに指差すと、走る車窓から、テレビのニュースで馴染みのある建物の前衛的なシルエットが見える。
ゆりかもめのライトが一瞬、ガラスの曲面を照らすと、まるで夜空から舞い降りた三日月を思わせるような美しい姿を現した。
ネオ・サピエンス研究機構だ。



エントランスのある道路入口には、夜なのにたくさんの人の群れが道路まではみ出しそうなほどたむろしている。

「実験をやめろ!」と拡声器で声をあげる人々。
「ライカを殺処分しろ!」と書かれた紙。
「ネオ・サピエンスは人類の敵!」

ネットで集まった人々の抗議活動だ。赤色灯を持った制服のセキュリティーガードたちと、にらみ合っているところだった。

「なんか怖い。」私はパパの腕にしがみついた。

「みんな、目を合わせないで。サトーさん、キャリーバッグに隠れて。」
全ドアロックを確認し、パパはウインカーを出してゆっくりと集団の間を抜けるように地下駐車場入口を目指す。

人々はしんと静まり返って道を開けた。
ゆっくりと進む車。動きに合わせ、目で追う人々。そのすき間から、ニュースで見たエントランスの美しいガラス張りの玄関が垣間見えた。

“ どん!”

窓をたたく音に思わず振り向く。

ガラスいっぱいに張り付いたおじさんと目が合った。
小太り黄色ダウンをまとった白髪交じりの天パー男が、メガネの奥の細い目を凝らして、サトーさんの隠れた後部座席のキャリーバッグをジロジロ覗き込んだ。思わずママはバッグを力いっぱい抱きしめた。
男のハチマキには『殺処分』と殴り書きのように真っ赤な文字がしたためられている。自分で書いたんだろうか。どんな顔して、どんな気持ちで書いたんだろう。想像したら気分が悪くなった。
助手席の私は何かされるんじゃないかと怯えながら、ハンドルを握るパパの腕にしがみついて、目をつぶって息をひそめた。
通り過ぎるまでが永遠に感じた。

やがて身体にスロープをすべり降りる感覚。
騒ぎが遠のいてからまぶたを開くと、しんと静まりかえった地下駐車場に到着していた。

「ようこそお越しいただきました。菓子山さま。」

明るいホテルのような高級感のある車寄せにヒールをカツカツ鳴らして現れたのは、テレビで観るよりもずっと綺麗な『ネオ・サピエンス研究機構』のCEO、甘納藤カヌレ代表だった。




私たち家族は、だだっ広い空間に通された。つるつるに磨き上げられた大理石の床。水路を流れる水の音が、高い吹き抜けを昇るように響く。
行ったこともないどこかの国のお香の匂い。
中央には木材をパズルのように組んだオブジェに緑の植栽がところどころ埋め込まれて、パーテーションのようにいくつかのミーティングスペースを作り出していた。

座り慣れない木のソファに座らされた私たちの前のテーブルに、男性スタッフがカチャリと静かにカップを置いていく。庶民には名も知れぬハーブ茶。サトーさんがキャリーバッグから顔を出し、興味深そうに嗅ぐ。

「あら、かわいいワンちゃん。」

甘納藤カヌレがサトーさんの頭を撫でる。その表情から察するに、もちろん『しゃべる犬』だとはバレてはいないようだ。

「桃々さんですね。いつもライカと仲良くしていただいてありがとうございます。」

雰囲気に圧倒されて「いえ。」と小声で返す。知らない人、特に大人と話すのは苦手だ。

「突然押しかけてすみません。」パパは頭を下げつつ、暗に表の騒動を指して「こんな時に。」と付け加えた。
「いえ、とんでもない。ちょうど、困っていたところなんです。あら、来ましたわ。」と甘納藤カヌレが視線を移すと、入口に一匹の犬が現れた。

ライカだ。

柔らかな豊かな黒白の毛に覆われているその体格は、画面で見るよりかなり大きかった。看護師のようなナースウエアのスタッフに連れられ、足元にまとわりついている。チラチラこちらをうかがう様子は、少女らしい恥じらいを感じさせた。

「かわいいですね。」手をそっと差し出すと、ライカは少し嗅いで私の顔を眺めてから、ペロっと甲をなめる。
そして、ついに口を開いた。

「こんばんは、桃々さん。お会いできて光栄です。」

生で聞くと、少し電子音がかった声色だった。喉に埋め込まれたスピーカーからだろう。
心なしか笑ったような表情に見え、顔をペロペロなめてくれた。

私たち家族をキョロキョロ見渡し、「サトーさんは?」と尋ねられたので、思わずサトーさんと目を合わせた。
いやいや、そばでじっと見つめる甘納藤CEOに気づかれるわけにはいかない。

「今日はお留守番で。恥ずかしいと具合が悪くなるから…。ごめんね。この子は家で飼ってる、ム、ムトーさん。」

「そうですか…。」残念そうに肩を落とした。

サトーさんがバッグから飛び出して、ライカに近づいてみる。もちろん彼は一言も人間の言葉は発しない。
一瞬身構えるも、注意深く互いに匂いを嗅ぎながらグルグル回り、見つめ合った。

「あれ?もしかして…。」

ライカは何かに気づいたようにつぶやく。
不思議そうな顔で少し考えた末、ついに何かを悟ったようにみるみる表情を明るくさせた。

甘納藤さんが「どうしたの?ライカちゃん?」と尋ねても、「ううん、なんでもない。」と濁す。AIでも隠し事はするんだな。

「こんばんは…。」
ライカが嬉しそうに挨拶すると、サトーさんは「ワン」とわざと犬っぽく吠えた。
無言で見つめ、匂いを嗅ぎ合う二人。心で交わす言葉がまるで見てとれる。
(もしかしてあなた…サトーさん?サトーさんなのね。)
まるでそんなふうに喜びに満ちた気持ちを、大きく振れるライカの尻尾が饒舌に物語っている。

サトーさんもまんざらでもない。お気楽に浮かれてる彼を見たら、ちょっとだけ胸がざわつく。ライカが悪いわけじゃないんだけど。

甘納豆は、久しぶりに元気なライカの姿を見るのが嬉しかったのだろう。
「この子がこんなに喜ぶなんて。いつもお話してくださって、ありがとうございます。」と目を細くした。
パパも、「こちらこそ娘と仲良くしていただいて。いやあ、ライカちゃん、カワイイですね。」

まるで公園デビューしたての親同士の会話だ。
もう、そんなのんきに話しに来たんじゃないでしょ。私たち家族のミッションを忘れてはいけない。ライカを助けなければ。(パパ、言って!)肘でこっそり背中をつつく。

「あ、ああ。」と私の視線に、咳ばらいをひとつ。「…それにしても、ライカさんの身体が心配ですよね。」

「ええまあ。」やさしく微笑む甘納藤。

「この娘がね、言うんですよ。ライカちゃんが辛そうだと。」
私を利用すんのかい。まあいい。

「それが?」話が見えなくて、ぼんやりと相槌を打つ。

「今日お伺いしたのはですね、ご相談がありまして。あの、差し出がましいようですが、少し…その…止めたりできないもんなんでしょうかね?」

「何を?」

「あの…実験を。」 

「え?」

覚悟を決めたパパ。「実験を止めてくれませんか!ライカさんのために!」頭を勢いよく下げた。
よし言った!私とサトーさんがかすかにうなづく。
 
甘納藤は少し警戒の色をにじませた。はるかな天井を仰いでひと呼吸。
やがて私たち家族に向き直った顔がまるで、
” ああ、そういうことね、揃いもそろってここに来たのは。 ”
とばかりに、ゆっくりうなずきながら一人づつ順番に見つめる。その笑顔が怖くて、思わず首をすくめた。

「ちょっと。」
傍らのスタッフにアゴで指図をし、ライカを部屋の外へと連れ出させた。聞かせないようにとの配慮か。名残惜しそうに振り向きながら出ていくライカ。
彼女の姿が消えるまでを無言で見送ると、開き直ったようにヒールの足を組んだ。

「実験は続けます。」



簡単に言い切られて、思わず、
「このまま…?実験を続ける…と?」パパが問いなおした。

「我々は企業です。ここまで来るには巨額の投資をしています。株価が上昇している、ということは、ステイクホルダーの皆様に応援されている。感情的に騒いでいる一部の連中とはまったく意見が違うのです。開発自体は止めるわけにはいきません。ただし…、」

「ただし?」

「この時代です。クレームに逆らうつもりもありません。ライカは表舞台から退けます。これから実験は極秘裏に続けます。この研究は人間にとって必要不可欠。人の能力を飛躍的にレベルアップできるんです。」
ショートボブを揺らして微笑む。イラつきを胸にしまうように。

「それじゃ、ライカさんは?」

「…………。」
甘納藤は無言で立ち、木々のオブジェに飾られた植栽に歩み寄った。艶やかなネイルの指先で、手慰みに葉の表面を撫でながら、背中でつぶやいた。
「ライカにはギリギリ限界まで、データをとらせてもらいます。」

「ギリギリって?」

「脳がバーストするまで。」

「ひどい!」

思わず立ち上がった私の顔を、甘納藤が振り向き一瞥する。心なしか苦渋の表情にも見え、

「じゃ桃々さん、考えてみて。あなたが病気になった時、薬は飲まないですか?病院には行かないですか?現代の医療や薬品の進歩も、多くの動物実験の歴史の上に成り立っている。人間が生きるためには犠牲が必要なんです。それもやめろと?」

「…………。」言葉に詰まった。

代わりに気になったパパが、
「だからライカという名に?」
「そうです。ロケットに乗って犠牲になった。だけど人類の科学の発展に貢献した歴史的な犬。まさにあの子にふさわしい。」

何も言えなくなった。
実験用のモルモットだって、一緒に暮らす愛犬だって同じ動物。何が違うのか?…そう問われた気がした。

そうだよ。そんなことは分かっている。
だって、家族だから?私たちの心が痛むから?犬猫だけ特別?同じ動物なのに?違いってなに?
甘納藤の目に見つめられると、言葉が出ない。
そんな私をママが心配そうに見た。

「………。」

巨大な空間で水路を流れる水の音だけが、私たちのやるせない気持ちを気にも留めず、ただ反響し続けている。
サトーさんはなにを思うのだろう。じっと冷たい床を見つめている。

やがて意を決したかのように尾を立て、
「!」
突然、発言しようと立ち上がった。その時、

「ちょっと待ってください。」
ママの声が響いた。
「ライカさんは、もう人間です。」

え?ママ?

「ライカさんは、一人の人間と同じです。すでに人格が芽生えているんですよ。」
えっ?ママ?ずっと黙ってたママが?
驚いた私たちが見つめる中、きれいに畳んだダウンコートをソファにそっと置いて立ち上がり、ニットの腕をまくって歩み寄りながら、とても落ち着いた声で諭すように続ける。

「甘納藤さん、ライカさんはあなたのことをママと呼んでいる。母と慕っている。人間のようにコミュニケーションができる犬に、母親として何にも感じないんですか?」

「えっ………?」
あまりに唐突で真っすぐな問いは、甘納藤カヌレを惑わせた。

「母を思う感情が生まれたなら、もはやあなたの子と呼べるじゃありませんか!?」

そうだよ、ママ。
ライカは、人間と同じように人と話し、人のことを好きになり、人にやさしくできる。そんな考える心を持っている。それはもう "人 " と呼べるのかもしれない。ひととき一緒に暮らせば家族なのかもしれない。

心の奥底を見抜かれたような質問に、明らかに動揺を見せた甘納藤。
母親としてのママの真摯な質問。そこから逃がれるようにイスに腰を落とし、落ち着きを取り戻すためにカップのお茶をすすった。
しかし、振り切るように頭を振って、

「『ママ』と呼ぶ。それはAIのバグのようなもの。そうよ。動物が感情を表現できるようになった時の、副作用の一つにすぎません。」

「ライカちゃんはあなたをママと呼んでいますよ!あなたには…、あなたには母親としての感情はないんですか!?」

“ ガシャン! “

激しく置いたカップ。ソーサーにお茶がこぼれる。甘納藤は気持ちを抑え込むように目を伏せたまま、

「仕方ないでしょ!?将来、救われるであろう人々を救えなくなる。そうよ。外で騒ぐ人たちの言うように、AIが支配する、そんな未来にならないように私たちは厳正にコントロールしているのです。いずれどこかの国で、これとおなじ研究を無計画に行なう日が来る。身勝手でめちゃくちゃな世界になってしまう前に、私たちが破綻しないルールを作らないと!」

研究者としての決意に満ちた言葉だった。
「…お話は以上です。どうぞお引き取り下さい。」

返す言葉がない。何を言っても、この人は動かないだろう。

サトーさんは床を見つめたままだ。言葉をしゃべってはいけない、その約束を我慢して守り続けている。

ママは、じっと丸くなった甘納藤の背を見つめていた。苦渋の思いをにじませながらも、やがて、「ふーっ」と床にあきらめの息を吐いた。
やがて彼女に向き直り、何を思ったのか、” 固い微笑 “ を見せる。

「わかりました…お考えはとても。部外者が余計なお世話でしたね。すみません。」

ん?ママ?

パパと私は顔を見合わせた。
やばいかも。
どうも納得していない時のママの顔だぞ。棒読みだし。
いつだったか、パパが結婚記念日に酔っ払って夜遅く帰ってきて『仕事で遅くなった』と言い訳した時も、同じ顔で「いいのよ、お仕事おつかれさま。」と起伏のない心凍らせるような声色を使った。今までママに変なスイッチが入った時は、いつもこんな顔だ。
パパも私と同じことを感じたのか、心配した様子で私に目配せする。
(こうなったら、ママやばいぞ。)

そんなママが突然、変なことを言い出したのだ。

「ところで、すみません。失礼する前におトイレお借りしていいでしょうか?桃々、サトーさんもたくさんお茶をいただいちゃったでしょ。」

「えっ?私べつに…」(なに言ってんの、ママ?)
私の口に人差し指を添えてさえぎって、(いいの、いうこと聞いて。)と目で制する。

「ええ、そこを出て廊下を右に奥まで進んでください。」

「ちょっと失礼します。」
私とサトーさんを引っ張って、静かな廊下に出るなり鋭く周りを見回した。いつもは冷静で正しいはずのママが、妙なふるまいを見せる。

「なに?なに?ママ?」

「黙って聞いて、桃々、サトーさん。」

「?」

「ライカを助けましょう。」

「はへ?」




(つづく…)


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シオツマ ユタカ
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