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いぬがしゃべりました ㉔【誘拐家族!?】
「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする、冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)
<第24話>「誘拐家族⁉」
私は思わずママに聞き返した。
「はへ?いいの?」
良識を絵にかいたようなママが、「ライカを助けよう。」
こんなことをささやくなんて。
だってあんなに反対してたじゃん。あんた、実ぁイケる口だねぇ。いや、むしろ私の方がビビってるかも。
「でもね…、」
ママは冷静に注釈を加えた。
「でもね、その代わり、ライカが望んだらよ。彼女の気持ちが大切。彼女が逃げたいって望んだら助けてあげてね、サトーさん。私がこっちで話を引き延ばしてるから。」
そう言い残して、サトーさんにウインクをし、私の背中をポンと押して、「あらー、素敵な植木。ほほほほ…」とかなんとかゴマかしながら、部屋に戻っていった。
サトーさんは私の顔を見て、無言でうなずいた。
◆
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きれいに清掃された廊下。
サトーさんは白い大理石の床に鼻をくっつけ、残されたライカの匂いを探りながら進む。磨き上げられたフロアは爪が滑るようでちょっと歩きにくそう。
「あの甘納藤カヌレってCEOの人、信用できないな。人間が嘘をつくときの緊張から分泌される汗の匂いがした。」
(本当は優しい人なんじゃないかな。ライカのことが心配で助けたいのかも。母親として。)そう思ったけど、言わないでおいた。また「甘い」って、バカにされそうだから。
サトーさんが歩みを止める。
「この部屋らしい。」
まるで録音スタジオのように、大きなレバーがついているドア。
耳を当ててすますと、ひんやり冷たい。開けようとしたが…、重い手ごたえ。ロックがかかっている。
「…ま、そう来るよね。」
ふと脇に液晶パネルがあることに気づいた。9桁の番号が並ぶ。
「どうすんのよ、これ。ここまで来て。」私が手を伸ばすと、
「触らないで。」サトーさんは、数字の並んだタッチパネルをじっと見上げている。「1と0、それに4と…5かな。」
「え?知ってるの?」
「知らない。4つの数字を正しい順番にタップすれば…。」
「なんでわかるの?」
「指紋がついてる。」
「え?どこに?」どう見たって、ただグレーに光るつるんとした液晶ディスプレイ。指紋なんてわかるわけない。
「犬は人間と違って紫外線が見える。液晶画面から発せられる紫外線の強弱を見れば、多くの皮脂がついている、つまり指紋がついている番号が分かるのさ。あとは…」
サトーさんは後ろ足で立ち上がり、「もっと上に上げて。」
私は、サトーさんを抱きかかえてパネルの前に鼻先を持っていく。なにやら懸命に数字の匂いを嗅いでいる。
「ねえ、サトーさん。なにがわかるの?」
「0、4、1、5の順かな。」
「え?なんで?」
「皮脂の匂い。押す順番に指の皮脂が薄れていく。指紋の濃い順に0,4,1,5。なるほど、ライカの生まれた日だね。」
「ほんとにぃ?0…4…」半信半疑で、緊張しながら押してみる。「1…5…ENTER、っと。」
” カチャッ “
ロックが解除する小気味良い音。「ほらね。」と鼻高々。
コンコンと2回ノックして、恐るおそる「失礼しまぁす。」とレバーを引いた。顔をのぞかせると、重たいドアの向こうには、いつもチャットで見なれた部屋が広がる。
淡いベージュのソファにはライカが横たわり、ひょいと顔を上げた。
「桃々さん?」
可愛らしく柔らかな白いベッドに、カーテン。くすみ系ピンクのテーブルと赤いクッション。窓がない代わりに、壁に扇型の天窓が描かれている。星がきらめく夜空の画が美しい。
なんじゃ。私の汚部屋より女子力高いぞ。
ライカはすぐに、後から隠れて入ってきたサトーさんを目ざとく見つけた。
「………サトー…さん?」
「あ……。」
サトーさんは声を出そうとして、躊躇した。
犬の姿であることをずっと隠していたからだ。彼女に嘘をついていたことには変わりない。自分を信頼していつも何でも話してくれていたのに、その気持ちを利用していたのでは?裏切っていたのでは?助けなければという一心でやって来たものの、後ろめたさで素直に喜べなかった。
「あ…あの………」いつもの精彩さはなく、言葉とも言えない声を出すばかり。
ソファから降りたライカ。
「サトー…さん…ですね?やっぱり。さっき会った時、確信しました。呼吸音のリズムがテレビ通話の時のサトーさんと94%一致していたので。」探るように一歩ずつ近寄る。
覚悟を決めた。
吹っ切るように身体をブルブル震わせ、サトーさんは顔を上げる。
「…うん、そう。僕だ。」
歩みがピタリと止まるライカ。
「ちょっと、サトーさん?」
大丈夫なの?しゃべっちゃって?戸惑う私をよそに、
「君と同じ犬です。隠していて、ごめんなさい。」
頭を下げると、ライカは首を振った。
「…いいえ。だけど、とても驚きました。正直言うと、私のアシストAIも少し混乱しています。あなたは私と同じAI犬?…違う。世の中に私しかいないはず。」
「僕自身もなぜしゃべれるのか、わからないんだ。その理由が分かるまで、そのことは秘密にしている。」
「だから犬の言語能力に興味があったんですね…。わかりました、秘密は守ります。」
「なぜだか少しホッとしているよ。君には、僕の姿を見てほしかった。」
「危険を冒させてごめんなさい。でも…。」
「でも?」思わず尋ねてしまう私。
「でも嬉しい…。」ライカは瞳を潤ませた。「生まれて今までで一番嬉しい。こんなに嬉しいことはありません。」寄り添ってサトーさんの首元の匂いを嗅ぎながら、「優しい匂い。」とつぶやいた。
「ライカ、ここを出よう。このままじゃ君が壊れてしまう。僕たちは助けに来たんだ。」
「ありがとう。ママはなんて言っていますか?」
「断られたよ。あっけなくね。」肩を落とす。
豊かなヒゲがピクリと震えた。背を向けるライカ。
「………。」
またすぐ本当のこと言う!サトーさんの良くないとこ。
「ちょっと!違うの。甘納藤さんはね…」とフォローしようとしても、サトーさんは畳み掛けるように、
「このままじゃ、君が壊されてしまう。だから行こう。」
ライカは背中を丸めて、
「一緒に行きたい。でも…行けません。私は実験のために生まれたのです。私にはママがいます。」
「どうして?君のお母さんは、君をギリギリまで利用しようとしているんだよ。」
食い下がるサトーさんの言葉に、振り向いたライカは涙ぐんでいた。
「それでも、お母さんなんです。私にとっては、たった一人のお母さんなんです。」
「だけど、せっかくここまで…。」
「もう、この話は終わりにしてください。この会話の記録も消去しておきますね。来てくれてありがとう。」
ライカの固い意志は、張り詰めたヒゲ先を見ればよくわかった。瞳は何者も寄せ付けない強い決意をにじませていた。
その反応は、ここまで駆り立てたサトーさんの衝動を一気に断ち切るには十分だった。ずっと心を通わせていた唯一無二な関係だっただけに、もはや揺るがないことはサトーさんが一番思い知らされていた。だから、さっきのママの言葉が頭をよぎる。
『ライカが望んだらよ。彼女の気持ちが大切。』と。
サトーさんは耳を垂らし首をうなだれ、何も言わずとぼとぼドアの方へと歩み出した。それはまるで思いを寄せた異性に受け入れられなかった失意の男の背中に似ていた。
でも私はわかっていた。ライカの気持ちを、同じ女性として。
本当は一緒に行きたかったのだ。でもサトーさんを巻き込むわけにはいかない。明るみに出てはいけない秘密を知った今はなおさらだ。
ライカ、あんたいい女だね。
「あ、サトーさん、ちょっと待って。ひとつだけ。」
ライカが、立ち止まったサトーさんの耳元に唇を寄せ、何かをささやいた。
何を言われたのだろう。
私には聞こえなかったが、サトーさんは静かに「え?」と驚きつつも笑顔で「ありがとう。わかった。」と礼を残した。
その時だ。
廊下の先、遠くの方からガラスの割れる音と人々が騒ぐ声が響いた。
“ うわぁぁぁぁぁぁぁ ”
◆
急いで戻ってきた時には、廊下をパパとママたち一同が進んでいくところだった。ただならぬ雰囲気に満ち、早足に急ぐ甘納藤カヌレにスタッフたちが耳打ちしていた。
「桃々、行くよ。サトーさんはバッグに入って!」
どうやら抗議の群衆が玄関までなだれ込んできたらしい。
「早く。騒動に皆さんを巻き込むわけにいきません。ライカの部屋は安全ですのでご安心ください。警察も間もなく到着します。」
ママに小声で「ライカは?」と尋ねられたので首を横に振ると、
察して「あら…そう。」と、少し残念そうな顔をした。
「こちらです。」
スタッフの誘導で、私たち家族は地下駐車場へとたどり着いた。
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車寄せで見送る甘納藤に私は頭を下げた。
「ありがとうございました。どうかライカさんを大切に。」
同時に、サトーさんがバッグから首を出し、甘納藤カヌレと目を合わせ、ペコリと頭を下げてから身を隠した。
「この犬…?もしかして…いや、そんなはずは…。」
唖然とした甘納藤を残して、私たち家族は車に駆け寄った。
ドアを開いた時、
「あそこにいるぞ!犬もいるぞ!」
叫び声が轟き、靴音を鳴らして数人の男が駆け込んできた。
先頭で指さすのは、入口にいたあのハチマキ男。黄色いダウンに天パーメガネの鋭い目。一度見たら忘れられない。スマホを突きつけてカメラを撮っている。
「大変!!」
「こいつもAI犬か!?」
ハチマキ男がサトーさんのキャリーバッグを奪いとろうと手を延ばす。
「きゃあ!」私が必死に抵抗しても大人の男の力には敵わない。
「何するんだ!」パパが割って入って男をおさえようと揉み合いになり、キャリーバックが弾みで吹き飛んで、サトーさんが転げ出た。
「サトーさんっ!」
かばうように抱きかかえようとした私。いきなり他の男たちに突き飛ばされ、転んで肩に激痛が走った。
「痛いっ!」
その時、駐車場の冷たいコンクリートに誰かの声が響いた。
「やめろーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!」
耳を疑ったけど、その声は、まさかのサトーさん!
目にもとまらぬスピードで飛びつき、ハチマキ男の腕にガブリと噛みついた。
「いてててててて!なにすんだ!」
振りほどいた勢いで、サトーさんは床にたたきつけられたが、すくっと立ち上がり、低い姿勢で男たちをにらみつけて、もう一度叫んだ。
「やめろ!!」
「え?」
一瞬で静まり返る。静寂が辺りを包む。
男たちは聞き逃さなかった。
「え?」
「今のなに?」
「しゃべった?」
しまった!人間たちに聞こえてしまった。
「サトーさんだめ!しゃべっちゃだめ!」
ここまで長い間隠し続けてきたのに。私たち家族の大切な秘密がバレてしまう。
「桃々ちゃん!ママ!パパ!早く逃げて!」
サトーさん、ダメよダメ!あなたが危ない。バカバカ!あんた人間より頭いいくせにバカ!なんでバラしちゃうのよ!攻撃されるよ!
「コイツも話すぞ!」
「やっぱり!」
「捕まえろ!」
サトーさんは構わず、
「桃々に危害を加えるヤツは、僕が絶対許さない。大切な人なんだ。」
毛先まで怒りに震えている。
サトーさん…あんた…だめだよ、私のために。
その時、私の目に映ったのは、
ハチマキ男が後ろから忍び寄り、両手でつかんだデモ看板を振りかぶる姿!
「機械イヌなんか殺したっていい!」
「サトーさん、危ないっ!」
サトーさんの頭めがけて木材片を叩きつけようとした、その時、
“ ドン! “
黒くて大きな影が素早く男たちに体当たりした!
勢いあまって転がって、素早く立ち上がったその体は美しく、黒の毛並みが外から差す月明かりに照らされ光っていた。
そう、ライカだ!
「ライカ!」
「逃げてください!」
「でも…」
「私は大丈夫!素早いから!」
駆け付けたセキュリティーガードが助けに入ったすきに、パパはサトーさんを抱きかかえ、止めてある車に飛び乗った。
「早く!ママ!桃々!出すぞ!」エンジンを掛け、ギアをはじいてドライブに入れる!
「わわっ。」飛び乗った私たちを確認して、パパはハンドルを切りながら、「よしきた!」
ドアが開いたまま、飛び出す車。
「待って!ライカが危ない!」
男たちと揉み合いになっているセキュリティーガードとライカ。逃げ惑うライカに男たちの手が絡み合う。
「ライカを助ける!」サトーさんが叫ぶ。
「よっしゃ!桃々、ドアを開いて!」パパが大きくハンドルを回しながら呼んだ。「ライカ!こっちだ!」
車は360度の弧を描き、一団の周囲を回る。そこへめがけてライカが人々の隙間をぬって駆け抜け、一直線に私たちの胸に飛び込む!
「よーし、みんな掴まれ!ドアを閉めて!」
思いっきりアクセルを踏み込んだ。
「ライカが乗っちゃったよ。知らないぞ。知らないぞ。誘拐になっちゃう。」パパは困ったような、嬉しそうな顔でハンドルをさばく。
スロープを走りゆく窓から、流れる景色の中に、こちらを遠くから見つめる甘納藤カヌレと目が合った。
その顔は、なぜか心穏やかな母親の表情に見えたような気がした。
(つづく…)
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