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いぬがしゃべりました ②【家に来た!】
「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする、冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)
<第2話>「家に来た!」
ことの始まりは、3年前。
私が小学5年生の冬だった。
子犬のぬいぐるみに話しかけてみる私。
「タル兄ちゃん。」
しーん。
呼びかけてもこたえない。
あたりまえだ。そんなのわかってる。
あたたかい夕飯の支度の匂いが優しく包む我が家のリビング。
テーブルにちょこんと置かれた愛らしいぬいぐるみ。フエルトと綿でできた不恰好な顔は、幼い頃から一緒に寝てるから少し汚れていた。
「ねえ、タル兄ちゃん。」
しーん。
壁に私の声だけが跳ね返る。人形は微動だにしない。ああ、話ができたらな。
「ね、タル兄ちゃん。お腹すいたの?お散歩行きたいの?」
しーん。
代わりにママが「その名前、ぬいぐるみにつけるのやめてよ。」と忙しそうに入ってきた。苦々しくため息をつきながら、「早く宿題しなさい。」と私が脱ぎ捨てたカーディガンをたたむ。
「いいじゃん呼んだって。タル兄ちゃんって。」
「やめて。」
一言残して去る。
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「ただいまぁ。桃々ちゃ~ん。」
玄関からパパが呼ぶ声。
「桃々ちゃ~ん。モモちゃ~ん。モモちゃ~ん。」
しつこいなあ。なれなれしく呼ぶのは相手にして欲しい時。マンション中に響くからやめて。
しばらく放置しておく。
「桃々ちゃん、魔法見せてあげるよ。」
は?魔法?いくつだと思ってんの。めんど。
「なにぃ?」しょうがなく玄関へ。
「いいから。いいから。」いたずらっ子のように企んだ笑顔。
寒い夜。帰ってきたパパが、芯まで冷え切ったロングコートの内側から「タッタラー」と左手を取り出した。
丸めたマフラーに見えたその塊は…小さく震えた子犬。
「わっ、ほんもの。」
豆柴を思わせる愛らしく丸い顔の真ん中に、こぼれ落ちそうなうるうる黒目がちの大きな瞳。
震えるその顔を見たら、沈んでいた心が少し揺らいだ。
けど素直になれなかった。ムダに家の中を明るくしようと、パパに気遣われている感じが鬱陶しかったから。むやみに笑顔は見せたくない。
「あれ、もう少し喜ぶと思ったのにな。もうすぐクリスマスだし。」
リアクション動画を撮ろうとしてたスマホを下ろし、寂しそうにつぶやいた。
”あのこと”があってから、ずっと元気のなかった私。見かねたパパのサプライズだった。保護犬の里親募集でもらってきたそうだ。
「もお、相談もなく…。誰が世話するの。マンションだし。」
キッチンから出てきたママはひとりブツブツ。パパに向けたのか、聞こえてほしくないのか微妙なボリュームで。
だけど、この子が見上げて、
”なあに?”
みたく首をかしげると、ママは、
「……(えっ)」
さらに(なあに)と見つめる瞳。
「………(えっ、えっ)」動揺のママ。
(なあに)の瞳。
「………。」心が囚われていく。
(なあに)
「……し、し、知らないからね。世話ちゃんとできるの?」
ぶっきらぼうに、だけどまんざらでもない。
クリスマスツリーの隣に買ったばかりのケージが置かれた。パパが動画を撮る。私が柔らかい毛布を入れてみる。
黒豆みたいなちっぽけな鼻でクンクン。赤ちゃんのくせにいっちょ前に安全確認してやがる。
こちらを見上げる小さな子犬。ああ、繊細ではかない命。
だけど、この子が私たち家族に見せる上目遣いは、まだ親愛のしるしではなさそう。なにかに怯えるようにずっと細かく震え、ケージから出てこようとはしなかった。触れようとする私の手に、目を背け、なすがままに撫でられる。吠える勇気さえもない、弱々しいその姿は、どこか今の自分の姿に重なった。
怖くて怖くて外へ出られない。何が怖いかもわからないのに。心は寂しくひとりぼっち。
寂しいワンちゃんと、寂しい私。私たち、分かり合えるよね。
「桃々ちゃん、名前どうする?」
とパパはスマホで説明書を検索しながらトイレシートを敷く。
「”タル兄ちゃん”にする。」と私が言ったら、
「えっ……?」とパパは手を止めてママをチラ見する。
「もう、やめて。いい加減にして。」ママはうんざりな顔。
「も、もっと呼びやすいのにしたら?」
パパは苦笑いで場を取り繕う。
「…まあね。じゃ別のにする。」
しょうがない。名前のヒント、ヒント…。新品のケージの中を覗き込む。ふわふわ細くて柔らかい毛は、白とベージュと茶色のまだらの三毛猫みたいだった。
「そうだ!」
「思いついた?名前。」
「ううん。今日はここで寝る。」
「なにそれ。」
あきれながらも、パパは私が気に入った様子を見て、少し嬉しそう。
私はベッドから布団をふたつひっぺがし、ずりずりずりずり引きずって、リビングのケージ横に敷いた。
「おいおい、それパパの掛け布団じゃ…。」
「ベッドは重すぎるし。固い床で寝ろって?ね、” サトーさん ” 。」
パパは、クーンと叱られた犬みたいに首をすぼめてから、
「…あれ?サトーさんってなに?」
「この子の毛が白くてふわふわしてお砂糖みたいだから。ね、ママ。いいでしょ。」
「好きにすれば。」ママはそう言いながらも、私の赤ちゃんの時のプラスチックの容器で、やさしくドッグフードにお湯をかけてくれた。サトーさんは生後3か月だから、消化のためにまだお湯でふやけさせたドックフードを食べさせるそうだ。
「ね、サトーさん。寂しくないように、お友だちを隣に入れとくね。ぬいぐるみじゃないよ。私の大切な”タル兄ちゃん”。仲良くしてあげてね。」
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◆
夜、トイレから戻ってくるとき、廊下でママとぶつかりそうになった。
「あっ。」
『真ん中の部屋』から出てきたのだ。真ん中っていうのは、リビングとパパママの部屋との間にあるから。いつからかそう呼んでいた。
目が合うと、ママは目尻の涙をぬぐって「早く寝なさい。」
いつも閉まっているこの部屋で、時々ママは隠れて泣いている。
そんな心のひっかかりと一緒に、真っ暗なリビングで床に敷いた布団に横たわる。
自分の部屋じゃないだけで新鮮。まるで見慣れない天井や家具に見える。
深川と呼ばれる東京の下町の、昭和の公団がURによって大規模リノベーションされた我が家。パステル調に今っぽく洗練されて生まれ変わった外壁の集合住宅。一時期はメディアで話題になっていたからちょっとだけ自慢だった。入居から何年も経つのに、まだ消えない新しい建材の匂いが好き。胸いっぱいに空気を吸ってみた。
「………。」
うーん、サトーさんが気になる。
ケージを覗こうと、ちょっと頭を倒したら、枕の布が擦れる音で、ピクリ。
"…キャンキャン"
ああ、起きちゃった。
"キャンキャン、キャンキャン"
鳴き止まない。
「ほうっておいてね。」パパがドアから首を出す。「言ったでしょ。返事したら鳴きグセがつくから。」
そうね、気にしないようにしなきゃ。
"キャンキャン、キャンキャン"
寂しいのかな。誰かを呼んでるの?
鳴き声が暗い部屋に響き続ける。なんだか可哀そうで無視し続けるのは苦しい。
終わらない、か細く訴える声。
思った。
守ってあげたい。寂しさを紛らわせてあげたい。安心させてあげたい。
一人じゃないよ。わかって。怖がらないで。私を信じて。
ああ、私を好きになって。いや、絶対好きにさせたい。
闇にまぎれ黒く光る2つの瞳が、じっとこちらを見定める。
ほら、おいで。出口は開けたままだよ。
私の顔を見てるの?なにか言いたいの?
"キャンキャン"
どうして見てるの?
"キャンキャン"
サトーさん、あなたは私に何かを伝えたいの?
"キャ………”
すっと、鳴き声が止んだ。
「ん?」
私の目を見つめながら、弱々しくだけどゆっくり大きく口を開けようとする。
ゆっくり、大きく。
”……お……お……”
え?
”……おゥ…、おゥ…、”
私に何かを訴えるように、口をゆっくり動かす。
一所懸命、声を絞り出す様子は、まるで赤ん坊が母親に愛情を求める姿のようだ。言葉を発して何かを伝えようとする、この子の意志を感じた。
そう。誰が何と言おうと、私には。
だけどやがて…、
”お……お……………クーン"
あきらめた。首を下ろし、くるっと回って体を丸める。
なんだろう。
心がとてもざわざわする。なにかとんでもないことが起こりそうで。
その時、真っ暗な部屋でテーブルに置き忘れたスマホが、ぷるっとひとつ振動した。
だけど目を閉じた私は、その時まったく気にも止めなかった。
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闇を微かに照らす液晶画面。
こっそりネットニュースのポップアップ記事が小さく飛び出していた。
見出しの文字が踊る。そこには…、
”イヌが言葉を話す未来…”
(つづく…)
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