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いぬがしゃべりました ⑳【犬神社のミステリー】
「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする。冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)
<第20話>「犬神社のミステリー」
早朝。
気配を感じて目を覚ますと、枕元に私の上着やバッグ、それにサトーさんのリードが無造作に集められていた。
見上げると、サトーさんがちょこんと座っている。
「行くよ。早く起きて。」
赤ん坊だったサトーさんと母親犬が保護された神社。
そして400年前の浮世絵で描かれた神社。
共になぜか同じ名の『飴宮神社』
サトーさんがしゃべる秘密について何かわかるかもしれない。答えは、AIライカのような未来ではなく、過去にあるのか?
まだ人通りの少ない日曜の朝の道で、騒動をおさえられないかのように彼は足を早める。
「ちょっと、ひっぱらないでよ。」
「遅いぞ、二本足。」
信号機が点滅を始めたのに横断歩道に突っ込もうとする。慌てて止めて、「あぶないよ。赤だよ。」
「今行けたろ。」
「あんた赤色見えないんでしょ。」
「青と黄色から位置で分かる。盲導犬もそうやってる。」
こっそり「屁理屈イヌ。」とつぶやくと、
「聞こえたぞ。聴力16倍だからね。」
神社は家から意外に近い場所にあった。
深川にほど近い清澄という町。網のように張り巡る運河によって区切られた地域。近ごろ古い民家や倉庫のリノベーションでできたおしゃれなカフェが立ち並ぶ。下町風情と洗練された空気が混在する小さな下町。
住所は検索で分かっていたが、サトーさんは地面の匂いを嗅いで辿りついた。
「ここだ。」
人ひとりが通れるくらいの石畳の参道。民家に挟まれて、路地かと気づかず通りすぎてしまいそうな所にあった。なぜか大人が少し屈まないとくぐれない小作りな鳥居がたたずんでいた。時代の忘れ物のようにひっそりとさびれた神社だった。
「見て、こま犬が…」入口の左右に並ぶ、そのかなり古いと思われる狛犬は、どうも普通とは雰囲気が違った。
いわゆる神社で見慣れた獅子でも狐でもない。
「オオカミ?いや、犬…に似ている?」
左右の色も違う。白と黒だ。
右は白っぽい石でできており、大人しい表情で座っていて、お手をするように片方の前足を上げどこか遠くを指している。左は黒っぽい石で身体を低くかがめ、まるで威嚇するかのような表情だ。
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サトーさんが顔をあげ、「待てよ…。」鼻先で空をまさぐっている。
「なに?なんか匂う?」
「そうか、そういうことか。」
私の疑問をほったらかしで、勝手に石畳を進んでいった。
「なによ。教えてよ。ちょっと待って。サトーさん!」
奥は少し広がっていたが、想像していたより小さな神社だった。
手水舎の先には、小ぶりな拝殿。古いだけでなく、人目につかない場所からか、人の気配をあまり感じさせなかった。
と、突然、サトーさんが吠え始めた。わざと犬みたいに。
『ワン!ワン!ワン!』
「ちょい、どうしたの急に?」
その時、拝殿の横に寄り添うように建つ小さな社務所、その引き戸がゆっくりガラガラと開いた。
「あっ!あの人!」
思わずサトーさんと顔を見合わせた。
竹ぼうきを持った初老の女性が出てきて顔を上げると、その人は、マンションの火事騒ぎでサトーさんが命を助けたおばあさん。
白髪の上品なたたずまいは、家にまでお礼に来てくれたからよく覚えている。
予期せぬのはおばあさんも同じだった。引き戸をつかんだまま、驚きのあまり口をあんぐりと開けている。
だけどすぐに表情も和らいで、
「あらあら、珍しいお客さんだこと。」
◆
拝殿の奥は小さな本殿を兼ねていて、狭いながらも落ち着きのある十畳ほどの部屋だった。空気が澄んでいる気がして、ご神体をより神々しく感じさせた。
以前お礼で訪れたおばあさんのことを、サトーさんが「懐かしい匂い」と言っていたのは、ここの匂いが幼き日の記憶にかすかに残っていたのだろうか。人間でさえ匂いと記憶は密接に結びつくという。
思えばその時、おばあさんは、神社の名と同じ『飴宮』さんと名乗っていた。サトーさんが気付かないはずはない。
「こんな所でごめんなさいね。社務所はもう閉めていてね。物置になってるの。」
「いえいえ、神聖な場所なのに。すみません、うちのワンちゃんまで上がらせていただいて。」
「いいのよ。神様も大歓迎よ。この神社には " お犬様 " が祀ってあってね。そうそう、ウチのワンちゃんの宇井郎だって生きていた頃には、ここによく遊びに来てたわ。」
「お犬様…?不思議なご縁を感じます。」私はしゃべるわけにいかないサトーさんの気持ちを代弁した。元来、人と話すのが苦手な私も、この女性の柔らかさには安心できた。「なにか犬に特別な関係があるんですか?」
「そう。犬は昔から畑を荒らす害獣を追い払うから、豊作や魔除けの神様として知られているわ。それに、とても頭のいい動物だから、学業の神様としてもね。」
犬信仰はニホンオオカミが神格化されたもの。古来から聖獣として崇拝されてきた。イノシシや鹿から作物を守り、人間の言葉を理解するものとして神と祀られた。
おばあさんによると、ここは江戸時代初期から代々続いてきた歴史ある神社で、個人で営む小さな祠。宮司だったおじいさんが亡くなってしまってからは、跡継ぎもいないまま、おばあさんが掃除をしに来るだけになってしまった。
「今は神社をキレイに保つだけで精一杯。私が元気なうちに閉じる準備をしなきゃ。」
おばあさんがご神体の鏡を眺めると、表面に寂しそうな表情を映した。
サトーさんはいろいろ訊ねたいけどしゃべれない。早く、と言わんばかりに後ろ足で忙しく私を蹴った。
はいはい。
「あの…、この寺小屋の浮世絵についてご存知ですか…?」
スマホで画像を見せる。
おばあさんには少々小さすぎたのか、目を細めて、「ちょっと待ってね…」針金のように細い老眼鏡をかける。「さあ、よく知らないね。これがどうかしたのかい?」
「これ、この神社の絵らしいんです。ほら、ここにこの飴宮神社の名前が…。」指で拡大してみる。
「あら、そういえば、そう読めるかねえ。」
「これって本当なんですか?昔、頭のいい犬がこの神社にいたんですか?」
「ハハハ、だったらいいねぇ。お犬様を祀っていたからかね。ごめんね。おじいさんがいない今となっては詳しいことは…。資料も何も残っていないのよ。おじいさんが身体を悪くした時に寄付したらしくて。」
「都立江戸歴史資料図書館ですか。」
「そうそう、良く知ってるわね。」目をまるくした。ふと気になったようにおばあさんは、「でも、どうしてそんなことを?」不思議そうな顔で私を覗き込んだ。
「あっ、えっ、」
サトーさんに助けを求めようとしても、犬のフリして「アウ」とうなった。ずるいぞ。
「あ、あの…実はこのサトーさんが保護されたのが、こちらの縁の下らしいんです。保健所の人がそう言ってました。」
「あら、うちの神社で?」
いきなり、サトーさんが『ワンワン』と拝殿の階段を駆け下りていった。
「ちょっと、どこ行くの?」
勢いそのまま、縁の下に潜り込んでしまった。
「あらあら、生まれた時のことを思い出したのかね。」
おばあさんは私と顔を見合わせた。
床の下からしつこく『ワンワン!』と吠え続けるものだから、段を降りた。
おそるおそる縁の下を覗いてみた。蜘蛛の巣の先に、ひんやりとした重い暗闇が広がっていて、気持ちのいい空間ではない。
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覗く私の襟首をサトーさんがくわえて引っ張り込む。
おばあさんに聞こえないよう、「なになに?」
私の耳にひそひそと、「来て。」
「えー!この下に入るの?無理。暗いし汚いし怖いよ。」
何も知らないおばあさんは上段から笑って、
「あらあら、そんなに引っ張って。懐かしいのかね。どうぞ。」
そう勧められると断れなくなる。
「ん、もぉー。」
頭を突っ込むけど、床板が低すぎて小さめの私でも入れない。
「サトーさん、挟まった。無理だわ。」
スマホライトで照らすと、暗闇の中、揺れる光にサトーさんが見え隠れする。柱の周りをくるくる回って、一心不乱に匂いをかいでいるようだ。
「なにかあるの?」
「カメラ起動して、セルフタイマー10秒に設定して。早く!」
「えっ?えっ?ちょっと待って。」
慌てて操作すると、
「スタートした?ちょっと借りるよ。」
スマホをくわえて柱の前で眺めていたかと思ったら、パシャリとシャッター音を響かせた。
「ほら。」
戻って来た画像を見ると…「ただの古い柱じゃない?」
「よく見て。傷があるだろ。」
前足と舌を使って拡大した。
「あんた器用ね。肉球ってスマホ反応するんだ。あっ…。」
確かに柱に引っかき傷が刻まれている。経年で黒ずんだ柱の面に、隠れていた明るい木の肌が浮き出すかのように。
「なにこれ?絵?印?」
「石か釘のようなものでひっかいたんだろうな。」
よく見ると何かの記号のようなものが…。
三つの辺で三角『△』を描いた下に、
上下逆さまになった『V』の字が二本足を広げるように延びている。
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「なにこれ?イカ?ほら、三角形のイカの頭から足が2本生えてるじゃん。」
「イカは足10本。何かを意味する記号かもしれない。あるいは文字?」「で、これがどうしたの。」
「わからないのかい。柱に比べて傷が新しい。おそらく数年以内ってとこだろう。」
「もしかして…?」
サトーさんがウンとうなずいた。
「僕の母親が残したものかもしれない。しかも何故か2つあった。」
「2つ?同じマークが?どういうこと?」
「2本の柱に。それぞれ全く同じ高さに。明らかに自然にできたものではない。人為的なものだ。」
「いやいやいやいや、ないって。犬だよ。そんなの描く?」
「僕だって犬だ。じゃ誰が?人間はこんな狭いところに入って来れない。」
縁の下は梁が低く張り巡らされ、確かに小柄な私でさえ入れる場所ではない。
「…しかも、このあたり無性に懐かしい匂いがする。」
サトーさんは柱の根元を嗅ぎながらぐるぐる回って、「そうだよ!そう。左側の柱の根元…かなり古いけど、犬の匂いがする。おそらく…尿。」
「おしっこ?」
「マーキングだ。何年も経って微かにしか残っていないけど。ああ、懐かしいな。温かな毛布に抱かれるような得も言われぬ安心感…。」
まじか!?母犬が描いた?嘘でしょ?サトーさんのお母さんならあり得るってこと?
だとしてよ。だとして、この印は一体何を意味するっていうの?
「絵なのか?特別な意味のある文字なのか?」
「え?やっぱり犬の惑星からやって来たとか?」
「ナスカの地上絵じゃないんだから。あれも実は宇宙人じゃないけど。」
「じゃあ、なんなのよ。この三角イカマーク。」
「これだけじゃわからない…。シッ、気を付けて。」
階段を降りてくる足音にサトーさんが警戒した。
「あらあら、そんなとこに頭突っ込んで、ひとりでおしゃべり?」
不思議そうに覗き込もうとするおばあさんに、
「いえ、あの、思い出に写真を撮っていたんです。」
「え?」
「サトーさんが生まれた場所なので。」
「そうね。それにしても不思議なご縁ね。お母さん犬も、お犬様の神社だってわかっていたのかしらね。」
「おばさん、このマークなんだかわかります?2つもあったんです。」
「さあ、何かねえ。」
首をかしげたその顔には偽りや嘘のかけらもなかった。心から何も知らない表情だった。
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◆
神社からの帰り道。
黙ってリードを引っ張っている。その後ろ姿を眺めながら気になった。
サトーさんはどう思ったのだろう。
「やっぱり犬神様の神社ってのが何か関係あるのかなあ。」
「どういうこと?」
「ほらさ、サトーさんが生まれた時に、犬神様のパワーで話せるようになったとかさ。」
「………。」
サトーさんは少しばかり気になったようだが、思い直すようにプルプルと身体を振って、「本気で思ってんの?短絡的すぎる。」
「でもさ、そういう不思議な力が…。」
あきれたように「ちょっと待って」と足をあげておしっこする。「堂々とトイレできる。犬でいることの特権かな。あとよろしくね。」
「人が話してんのに。」と洗浄用ペットボトルの水で流す。
「あのさ、不思議なことがあると、ありがちな『古くからの言い伝え』とか『神の力』とかスピリチュアルなパワーのせいにしちゃう。そんなファンタジー展開なんて、ないない。物語の世界じゃないんだから。第一、科学的に説明つかないでしょ。考えるのを放棄しちゃダメ。」
と後ろ足で砂を蹴る。
「またそんな言い方。」
「だけど、母が僕を生む場所として犬神様の神社を選んだ。その点は、偶然と片付けるのももったいない。」と再び歩き出した。「あのマークが何なのか?そこにフォーカスすべきじゃない?」
「まあね。ホントにお母さん犬が残したとしたらね。」
「僕はそう考える。」
あのマークは一体なんだろう?
本当に母犬が残したものなら、なにかを伝えたかったのかもしれない。
一体何を?そして、誰に向けたメッセージなのだろうか。息子であるサトーさんに?
母犬はなぜここにいたのか?母犬はどこからきたのか?サトーさんのように賢い犬だったのか?
もっと知りたくなった。このマークについてなにかヒントがないか…?
同じことをサトーさんも考えたのだろう。
「もう一度、ママの図書資料館に行ってみてよ。神社の宮司だったおじいさんが残した資料に何かヒントがあるかもしれない。」
「伝説の伝わる神社…謎の暗号…、そして残された古文書。おー、雰囲気出て来たぞ。」
「お気楽なこと言ってないで。さっさとママに連絡して。」
”♬ワン、ワン、ワワン♪”
その時、ポケットの奥で犬の鳴き声の合成音声が流れた。私のスマホの着信音だ。見ると、ママの名前。
「あら、噂をすれば。」
スピーカーホンをタップ。「もしもし?ママ?ちょうど良かったよ。あのね…。」
「もしもし?桃々ちゃん!?」
私の言葉を遮る勢いだ。
「ママ、あのさ、また神社の資料を見に行っても…」
「そのことなの!今大変なの!資料が全部なくなっちゃったの!」
小さなスマホが叫ぶ。
「どういうこと?」
「今朝になって八ツ橋さんと整理しようって一緒に見に行ったら、無かったの。箱ごとまるっと。」
「まるっと?どうしてよ?」
「わからない。八ツ橋さん大騒ぎよ。」
スマホの奥で、『どないなっとるんやぁ。』と声が響いている。
「盗まれたの?」
「かも。だけどさ、八ツ橋さんも不思議がってるわ。『たいして値打もあらへんのに』って…。」
「私たちが見に行ってすぐじゃん…。」
「防犯カメラは?」
察したサトーさんが聞く。
「何も映ってないのよ。それが。」
「何も?資料が煙になって消えるわけないのに。」
「誰かが消したのかも。」
「どうやって?」
これでヒントは何もなくなってしまった。
あのマークを調べることもできなくなってしまったのか。
「サトーさん、どうしよう?」
サトーさんは嬉しそうに笑った。
「面白い。」
「へ?」
「資料を見られたくない奴がいるってことさ。」
「誰が?」
「分からない。だけど逆に確信できたよ。」
「確信?なにを?」
「『ここ掘れワンワン』ってことさ。」
嬉しそうにスキップした。
しかし数歩進んだところで、不意に「あれ?」と何かに気づいて足を止めた。
「どうしたの?」
打って変わって、鋭い目つきに変わり、
「シッ、周りを見ないで。今から僕が話すことを悟られないようにして。」
「こわいこわい。なによ?」体をすくめる。
「誰かがこっちをうかがっている。姿を隠しているけど、気配や呼気の匂いがする。」
「ほんと?」
さりげなく通りの十字路を見渡したけど、人がいる様子がない。
「誰もいないよ。気のせいじゃないの。」
警戒しすぎて、過敏になってるのかな。
「……おかしいな。」
サトーさんは納得がいかないようだったけど、やがて取り越し苦労だったのかと、鼻でフーッと深呼吸した。
もしかして私たちは、
" 知ってはいけないこと " に近づいているのだろうか。
そんな気がしてならなかった。
(つづく…)
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