結局、自分に共感してくれる人は自分しかいない。
まだ喋り始めて間もない子どもが、タコ足配線を見て「しゅぽしゅぽ」と言った。
なんていう発想力。
なんていう言語化。
もう長らく私の中には枯渇している、自由な表現力だなあ、大人になるってつまらないなあ、と感嘆した。
すぐさま夫に報告した。
素「ねえねえ、これ見て、《しゅぽしゅぽ》って言ったよ!」
夫「へえ〜〜」
じゃねえぇぇええぇえ!!!!
へえ〜〜じゃ、ねええええええ!!!!!
トリビアじゃ、ねええええーわ!!!!
(あ、世代的にもうご存知ない方多いかな)
え、私が求めすぎなの?
「かわいいねえ」「そうきたかあ」「言われてみれば〜」
といった、至極簡単な、私の感動に寄り添う様な、たった一言も、求められないの??🥲
素「へえーーって何?!😡」
(私は、怒りはその場でぶつけるタイプ)
夫「(あ、やべ)自由だな〜〜」
そうでしょ、そういう一言、なんですぐ言えないのよ。
ちなみに夫は、アスペルガー傾向なので、同じ言葉を繰り返し使う。
「疲れた」「眠い」「良いね」「やばいね」「へえ〜」「自由だな」「コスパ悪い」「無駄」「物を減らせ」「めんどい」「無理」
夫の口からは主に上記しか発せられない。
そんな夫に、共感の一言を求める私が愚かだった。
(私のカサンドラ話は、また今度。)
私がわかりやすく怒るから、夫は、怒ってるんだな、ということはわかるけど、なんで怒ってるのか、本当はわかっていない。
今までの傾向から、対策しているだけだ。
何が言いたいかって、子どもの可愛い成長を、夫婦で共感して分かち合えないのって、寂しいものだなあ、ってこと。
未来の私が、この日記を読んだ時、共感してくれることを願って、記録しておこう。
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