フィンランドの「東」の音楽文化について

※以下、私自身の卒業論文

(三上紘司 「フィンランド民俗音楽の未来性 - カウスティネン民俗音楽祭を通じて -」『卒業論文集-ヨーロッパ地域文化学-2002年度』 京都文教大学 2003)

から抜粋します。


■音楽文化における東西の差異
前節で述べた政治的変移の結果、フィンランド国土の東西において文化に差異が生まれ、音楽文化においても、その差異は顕著に現れた。東西の境界線を明確に規定することは出来ないが、1323年に規定された国境線をほぼ音楽文化の境界線とみなすことができる。
本節では、政治的背景が音楽文化にどのような影響をもたらし、どのような音楽文化が形成されたかを見る。

a) 東部の民俗音楽
東部の民俗音楽を説明するためには、『カレワラKalevala』の存在に言及しなければならない。
トゥルク大学出身の地方医で文学士であったエリアス・リョンロトElias Lönnrot(A.D.1802–1884)は、1829年頃からカレリア地方を中心に口承詩歌の採集を行い、1835年、叙事詩『カレワラ』を編纂した。
『カレワラ』を構成しているのは、吟遊詩人ヴァイナミョイネンVäinämöinen(資料2)や鍛冶イルマリネンIlmarinen、英雄クッレルヴォKullervoといった登場人物たちの冒険物語であり、南のカレワラ族と北のポホヨラ族の間に起きた戦争の物語である。後世になり、挿話の多くが、リョンロトによって物語の原型に別の無関係な歌を挿入された、いわば彼の創作ともいうべきものであるということが判明したが、中世に活躍した口承吟唱詩人たちによって歌われてきた歌が根幹を成していることは確かである。
『カレワラ』は、「フィンランド民族の歴史と伝説を集大成した」(武田 1993:155)ものであったが故に、19世紀中頃のフィンランド民族意識高揚を励起する存在となった。それだけではなく、『カレワラ』には、フィンランド古来の音楽観が描写されている。
『カレワラ』は、ルーン歌唱という独特の韻律を持つ形式で歌われる。ルーン歌唱は、四世紀頃に北方ゲルマン人の間で広く歌われていたもので、呪術と密接なつながりがあった。フィンランドでのル―ン歌唱の起源は少なくとも2000~3000年前に遡り、遅くともフィンランドの鉄器時代 (B.C.500年~A.D.400年)には、フィンランド、カレリア、イングリア(注11)およびエストニアでルーン歌唱が誕生している。フィンランドにおいては、『カレワラ』が採用している形式であることから「カレワラ韻律」と呼ばれるが、その起源は明らかにシャーマニズムであった。
フィンランドの歌唱文化は、こうしたルーン歌唱の形式から派生したものである。
民俗詩として分類される歌唱様式は、叙事詩と叙情詩という二つのジャンルに大別される。また、はっきりとは分類出来ない中間の存在として、儀礼詩と呼ばれるジャンルが存在する。
叙情詩は、愛情や寂しさ、悲しみ、喜びといった、日常生活における情動と、その表現がテーマとなる。叙事詩は、さらに3つの下位グループに分類される。つまり、天地創造を扱った神話詩、偉大なシャーマンの業績を称える詩歌群、そして、冒険の詩歌の三つである。冒険の詩歌は、実際にあった出来事を題材としている場合が多く、古代フィンランド社会の様相を知る手がかりにもなる。『カレワラ』は、これらの叙事詩歌を編纂したものである。冒険の詩歌のさらなる下位グループとして伝説詩があるが、これはキリスト教化以降に出来上がったと推測されるもので、キリスト教の聖人やキリストその人を題材とした歌から形成されている。
儀礼詩は、年間祭祀と結びついた歌や、子守唄、ダンスの歌、労働歌、婚礼歌などから構成されている。特に重要なジャンルは哀歌itkuvirsiと熊祭りの儀礼(注13)と結びついた歌である。哀歌は、葬式や死者の追悼、婚礼や離別といった別れを嘆く歌である。フィンランドの葬送慣習には、泣き屋と呼ばれる職業的哀泣者がおり、その嘆きはただの泣き声ではなく、死者への想いを込めた歌の形式をとる。これが、哀歌である。
熊祭りに対する歌は、殺された熊を慰める歌、その霊の復讐を防ぐ歌など、呪術的要素を多く含んでいる。こうした要素は、熊に対するものだけではない。キリスト教化以前のフィンランドでは、森羅万象に宿る見えない力を崇拝する自然崇拝的汎神教が一般的であった。この世界観において、鳥獣や森羅万象は人語を介し、それぞれに固有の「創造の言葉」を持っているとされる。この「創造の言葉」を唱えることで、たとえば毒蛇にかまれた時は毒蛇の言葉を、斧で切られたときには斧の言葉を唱えることでその害悪から逃れることができるとされた。
「儀式、祭典の文言はもとよりのこと、家畜を守る歌あり、狩猟の獲物を多かれと祈る歌あり、酒を造る方法を述べた歌あり、その他多くの祈願の歌があった。(中略)歌を多く知っていることは、教養に富んでいることで、生存競争裡において優者の地位を得ることができる」(森本 1983:25)
フィンランドでは、歌は自然と交信するための手段であった。それは、フィンランド古来のシャーマニズム的な儀礼の名残である。
このように12世紀にキリスト教化されるまでの、音楽が生活に根ざし、呪術と結びついていた時代は、「古代フィンランド文化」、あるいは『カレワラ』にちなんで「カレワラ文化」と呼ばれる。
歌が重要な位置を占める一方で、植物の茎や動物の骨、角などを加工した管楽器も、家畜の群れを管理するため、また牧童たちの娯楽として演奏されていた。特にカレワラを含むルーン歌唱の伴奏に用いられていた5弦の撥弦楽器カンテレ(注14)(資料4)は、ヴァイナミョイネンが創造したという神話的な意義を付与され、現在フィンランドの「国民楽器national instrument」としての地位を与えられている。
東部民俗音楽は、こうしたカレワラ調の詩歌の歌唱、「チェーン・ダンス」、5弦カンテレや「ヨウヒッコjouhikko」、民俗吹奏楽器などを用いた器楽といった、キリスト教化以前からの古い伝統を残したジャンルから構成されている。スウェーデンからの移民や言語政策などによる変化にさらされたボスニア湾岸側の西部文化と異なり、カレリア地方では、脈絡変換は起こったものの、ルーン歌唱の韻律や牧童たちの楽器、シャーマニズムとキリスト教が混交した儀礼などがほぼそのままの形で20世紀初頭まで残っていた。だからこそ、リョンロトがカレリア地方をまわり、1835年に国民的叙事詩『カレワラ』を編纂することが可能だったのである。
「フィンランドの民俗音楽」といった場合、それはタンゴやフンッパHumppaといった、外来の音楽でありながらも、フィンランド人の日々の楽しみと結びついたジャンルを内包するが、「フィンランドの民族音楽」といった場合、それはカレワラ調の歌であり、カンテレである。それらが伝わる東部の民俗音楽は、民族意識と結びつく要素が多いと言える。

(了)

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