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"ふれる。"観てきました
感想的なやつ
せっかくなので感想を書きたいと思いました。
視聴日:令和6年10月7日(映画館にて)
同じ島で育った幼馴染、秋と諒と優太。
東京・高田馬場で共同生活を始めた三人は20歳になった現在でも親友同士。
それは島から連れてきた不思議な生き物「ふれる」が持つテレパシーにも似た力で趣味も性格も違う彼らを結び付けていたからだ。
お互いの身体に触れ合えば心の声が聴こえてくる-
それは誰にも知られていない三人だけの秘密。しかし、ある事件がきっかけとなり、秋、諒、優太は、「ふれる」の力を通じて伝えたはずの心の声が聴こえないことに気づく。「ふれる」に隠されたもう一つの力が徐々に明らかになるにつれ、三人の友情は大きく揺れ動いていく-
人間の描写が忠実な作品だと感じた
これは岡田麿里さんの脚本(監督)作品に共通して言えるのですが、キャラクターたちの心や行動の描写が本当に人間らしいんですよね。悪い言い方をするとアニメーションらしくない、良い言い方をすると現実味帯びているといった感じです。
現実の人間同士のやり取りに疲れた人にはちょっと重めの作品かもしれませんね。
※ちょっとだけセンシティブな話
さて、前回見た「きみの色」では徹底して性欲が描かれていないなんてことを書いた気がしますが、今回の作品では(比較の言い方もおかしいですが、)割と登場人物たちの欲求が前面に出てくることが多いと思います。それが、この作品の良さでもあり、現実味を帯びさせている要因の一つだと思います。
ただ、映像作品にそういったリアリティ要素を求めていない人は注意した方がいいかもしれませんね。
主人公の心の成長
あらすじにもあるとおり、主人公たちは「ふれる」の力を日常的に使って、言葉を使わずにコミュニケーションを取っています。思っていることを口に出さなくても他人へ伝わることに、悪く言えば甘えていた主人公は、どこか人との関わり方に幼さを感じます。
その幼さ(というか、不器用さ)が他の登場人物たちとの間に軋轢を生み、トラブルを起こしてしまいます。しかし、それを乗り越えるべく、言葉を口にして想いを伝えることの大切さに自ら気付き、人として成長した姿を見せてくれました。この場面にはとても感動しましたね。
このあたりが、実際に作品を見ている人たちの中で「日常におけるコミュニケーション」にも当てはまってしまう人、もいたりするのではないかなと思いました。周りに察してほしい形のコミュニケーションを取っている人にこそ、見てもらいたいような気もしますが、これは余計なお世話ですね(笑)
実は男の子三人だけの物語ではない
キービジュアルだけ見ると、もしかして男の子だけの友情や青春物語かな?と思う人も多いのではないかと思います。私もそうでした。
しかし、ちゃんと物語には女の子たちも登場します。とても可愛らしい子と対照的に凛としたイメージを沸かせる子の二人なんですが、なんというか、主人公たちには腹の内を見せないという描写が、男の子たちと対照的に描かれているなと感じました。
気になる方は公式ホームページをチェックです。CV石見舞菜香さんはずるいですね。本当に可愛らしい役を演じるのが上手だと思います。
そのほかにも登場人物はいるのですが、あまり作品には登場せず、あくまで男の子三人に視点を絞っているのは、作品として見やすいと感じました。
あんまりガチャっと登場人物を増やすと、広げた風呂敷が畳みにくくなると思うのですが、そういったことはなく、綺麗に話として収まっているなと思います。
映画でもうちょっと見たかった部分
劇中では描写されなかったのですが、個人的に気になったのが
・男の子三人と女の子二人の恋仲は結局どうなったのか
これに尽きますね!!!
あんなに五人の間で恋愛感情の矢印を飛ばしまくっていたんですから、最終的にどうなったのか、ちょっとだけでいいから教えてほしいです。そこまで知ろうとするのは無粋ですって?みんな、他人の恋愛探るの好きでしょ!!!!
ただ、冒頭や作中で時が過ぎていく場面をBGMだけで展開させていく手法は個人的に好きです。観ていてテンポも崩れないですし、大事なのは「時が経ったことを表現する」そんな場面だと思ったので、なおさらですね。
総じてこの作品に思ったこと
岡田麿里さん脚本、長井龍雪さん監督の時点で、綺麗な儚い系の作品になるとは思っていませんでしたが、ここまでドロッとした恋愛劇と、コミュニケーションの大切さみたいなものを訴えてくるメッセージ性を詰め込まなくても…と、今年も思いました。振り返ると、去年の10月にも「アリスとテレスのまぼろし工場」で大変大きく心を揺さぶられたので、来年も期待して待ちたいと思います。
私自身の個人的な話にもなるのですが、私は他人とお喋りをしてコミュニケーションを取ることが大好きです。
なので、体に触れるだけで思っていることが伝わる(しかも、フィルタリングされて)ということが、もし、現実に起きたらとても怖いなと感じました。私たちは、共通して認識する言葉があって、それをどのように使うか考えてから言葉として発して、なるべく軋轢が生まれないようにコミュニケーションを取っているのだと思います。
それが、人と関わるうえで大切なことであり、面白い部分でもあると私は思っています。
ですが、言葉を発することが苦手な人も観た人の中にはきっといらっしゃるかもしれないので、もしかすると、テレパシー的なことが使えることに魅力を感じる人もいるかもしれませんね。
そのうえで、あえて書き綴るのですが、本作ではテレパシー(人と意思を疎通する)の際に、制御できないフィルタリング(意志とは反した伝えたいことの削除)が起きてしまうせいで、主人公たちは険悪な仲になってしまいます。
これは、物語の中の話だけではなくて、現実でも同じようなことがあって、伝えたいことが上手に伝わらない(受け取れない)時にも起きてしまうと思います。
だからこそ、使う言葉を選ぶ(聞き取る)力が必要なんだと、私は改めてこの作品を見て思いました。
私の言葉が、私の意思に反した形で受け取られないように、想っていることを伝える力を伸ばしていきたいと思います。