2021.3.11
たまに強めの地震がくると体がこわばる。忘れているようで忘れていない。体はあの日のことを確かに覚えている。
10年前の今日、私は埼玉にいた。仕事で麦わら帽子をつくる工場に来ていて、打ち合わせ中に強い揺れに襲われた。私たちは急いで外に出ると、揺れはますます強くなる。ぐらぐらと揺れるアスファルト。まるで豆腐の上に立っているようだった。グワングワンとしなる電信柱、危険を知らせる女性のアナウンスがスピーカーから流れ、不安定に空を覆う。歪む景色に何が起こっているのか分からなかった。
上司と私は急いで東京の会社に戻ることにした。カーナビの画面が真っ赤に点滅していた。見たことのない大渋滞が起こっていたのだ。テレビをつけると千葉製油所が赤々と燃えていた。「これは、まずいな」運転席の上司がつぶやいた。
16時ころに出て、東京の会社に着いたのは深夜2時ころだった。みんな会社にいて、もうどうせ帰れないんだからとお酒を飲んでいた。のんきな社風に何だかほっとした。
震災後まもなく仕事で宮城県石巻市を訪れた。
街は壊滅していた。打ち上げられた船、重なり合った車、瓦礫の中で手を合わせる家族。そして映像では分からない街全体を覆う腐敗した匂い。私たちは立ちすくみ言葉をなくした。
それでも不思議なことに、石巻の人々は暗くはなかった。何とか復興しようと懸命だったのかもしれない。そんな姿に、私も励まされた。
あれから、もう10年。たった10年、と言うべきか。
失われた沢山の尊い命に祈りを捧げます。