「誤った正義」を押し付けるソーシャルワーカーにならないように【Xいいね100考察#12】
みなさんこんにちはKeiです。
救命救急センターが設置されている病院で医療ソーシャルワーカーとして働いている社会福祉士7年目です。
社会福祉士取得後、最速で認定医療ソーシャルワーカーと救急認定ソーシャルワーカーを取得しました。
毎月5,000PV以上のソーシャルワーク関連のブログやX (フォロワー1,500人以上)などを発信しています。
今回は以下のポストを深掘りしていきます。
「クライエントの役に立ちたい!」の一心で行ったホームレス患者さんへの退院支援はソーシャルワーカーである私の「誤った正義」でした。
当時、私が担当したホームレス患者さんは「家探し」を望んでいなかったのにもかかわらず「良かれ」と思ってホームレスを支援するNPO法人を紹介してしまいました。
患者さんへの思い入れが強くなりすぎて、視野が狭くなったことがひとつの要因であると考えています(ブレーキをかけられなかった)。
下記の記事で詳細に解説しています。
「誤った正義」とは「良かれ」と思った気持ちが最優先になってしまう行動
わかりやすい例は「戦争」です。
己の正義を貫いた結果、大量に人を殺してしまいます。
「自分は正しい」という正義で動いているソーシャルワーカーは「誤った正義」を貫いている自覚がないので、他方の意見が耳に残りません。
まだ反省している犯罪者のほうが「〇〇の罪で逮捕ね」となった際に「間違いありません(自覚がある)」と容疑を認めてくれます。
贈り物を強要してくる患者さんの家族
私が働いている病院は、全ての患者さんを公平に対応するために「贈り物は原則禁止」です。
ありがたいことに、ソーシャルワーカーという地味な仕事をしていても、菓子折りなどの贈り物をいただくことがあります。
当然、丁重にお断りをしますが、まれに患者さんの家族からこんな声が聞こえてきます。
「私の気持ちです! 受けとってください!」
「私の気持ちを無下にしないでください!!」
贈り物をした側からの心の叫びです。
「贈り物をする側(良かれと思って)と、贈り物を受け取る側(すべての患者さんを公平に対応するために贈り物は原則禁止)のミスマッチ」によって起こりました。
贈り物をする方々は「みなさんが喜ぶためにやっています」という「正義」があるわけです。
※友人や家族間、恋人間での贈り物は処理できる量なので問題ありません。
「逆に〇〇であれば受け取ってもらえます?」と聞いてくる人もいます。
……贈り物は受け取れないので気持ちだけで十分です。
このやり取りで気持ち良くなっているのは「贈り物をしている人」だけです。
コロナ禍の入院で千羽鶴を贈りたい患者さんの家族
コロナ禍の真っ只中に入院された患者さんの家族が「千羽鶴を病室に飾りたい」と要望がありました。
不特定多数の人が触れた折り紙は感染リスクが高いため、千羽鶴を飾ることは許可できず、持ち帰っていただくように指導しました。
しかし、家族には納得していただけませんでした。
「Aさんのことを想って鶴を折ったんだぞ!」
「Aさんのために作ったんだから、病室じゃないと意味がないだろ!」
入院された患者さんはコロナウィルスに怯えながら入院していました。
贈る側は「良かれ」と思ってやっていることですが、想像力が欠如した「誤った正義」です。
入院しているAさんを喜ばせようと思う気持ちは素敵ですが、その方法を誤ってはなりません。
Keiが知人の結婚式で体験した「誤った正義」
知人の結婚式にお呼ばれしたときのことです。
最高の結婚式が終わり、帰路に着こうとした際に式場のスタッフさんから「テーブルのお花をいただいてくださーい」とのアナウンスがありました。
積極的にお花をもらう人は現れず、最終的にスタッフさんと目があったゲストに半ば強引にお花を受け取ることになりました(私です)。
式中は華やかにするために一役を買っていたお花ですが、式が終わった後は処理に困ります。
式場のスタッフさんは「幸せのお裾分け(誤った正義)」のつもりで渡してきますので「いりません」といえるような雰囲気ではありませんでした。
このとき、私が困ったことは3つです。
断れない
荷物が増える
結局捨てる
断れない
せっかく感動に包まれた結婚式に水を刺すような行動はしたくありません。
お花を断って、式場を変な空気にすることは許されませんでした。
「いりません」と断るわけにはいかず、その場では受け取りましたが、本音は次の2つでした。
荷物が増える
私と同じようにお花をもらった別のゲストが「もらったところでね〜…」とボヤいていたのが印象的です。
公共交通機関を利用してきた私は、荷物は出来るだけ少なくして帰宅したいと考えていましたが、お花を受け取ったことで両手が塞がってしまい、「スマホが触れない」といったストレスを抱えたまま帰路に着くことになってしまいました。
結局捨てる
人目につかない場所でコッソリとお花を捨てるわけですが、人目につかない場所までお花を持ち歩かねばなりません。
「ドライフラワーにすればええやん」と考えたそこのあなた。
ドライフラワーにするコストは誰が負担するのですか?
「ドライフラワーが欲しい」と思っていないのに、わざわざお金をかけてまでドライフラワーにする人は少ないと思います。
「誤った正義」のまとめ
「誤った正義」の残酷さについて解説しました。
くれぐれも誤解のないようにしていただきたいですが、「正義」は置かれている「環境」によって変化するので「贈り物」「千羽鶴」「(結婚式後の)お花」が悪いわけではありません。
「贈り物は喜ばれる」は必ずしも正解ではありません。時に、迷惑になる場合もあります。
「要らなかったら捨てて」と言うけれど、贈り物を粗末にしたくないし「要らなかったら誰かにあげて」と言うけれど、その誰かも要らない。
「贈り物は要りません」は【遠慮】じゃなくて【悲鳴】です。
▼Keiのミクロレベルのソーシャルワーク実践を共有できるメンバーシップ(毎月3記事(8日,18日,28日)以上)はコチラ↓
https://note.com/msw_lab/membership
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?