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「おせっかい」は、時に、「差別」

私は、東京の下町で生まれ育ち、思春期をアムステルダムで過ごし、大人と子供の狭間の時期は超自由な環境(ICUという大学)で過ごし、その後いきなり日本の大企業に就職した。

日本にいると、息苦しく感じることが多い。オランダと日本を行ったり来たりする生活をしている中で日本の特徴を顕著に感じている今日この頃だが、日本にいて一番嫌なのが、行き過ぎた「おせっかい」だ。


コンビニでもらうビニール袋

多くのおせっかいの中でも、群を抜いて一番嫌なのが、「コンビニで商品をビニール袋をいれられること」だ。オランダは、どこのスーパーでもコンビニ的な店でも、基本的には袋は有料。ほとんどの人はマイバッグを持ち歩いている。

私も、日本でもオランダでも袋を持ち歩いているので、基本的には袋は邪魔なのでいらない。シンプルに、「無駄にいらないものをもらって捨てる」という行為が非合理的だからだ。当たり前だが、いらないものは、いらない。

私はよく、コンビニでガムを買う。10個くらい入っているクロレッツのガムだ。エコバッグを出さなくとも基本的に大きめのバッグを持っていることが多いのだが、それでも、そんな小さなガム商品のために、ご丁寧に、ビニール袋に入れてくれてしまう。基本的には「袋いらないです」と言うが、少しタイミングが遅れると、もう遅い。いつも、勝負だ。

この戦いが、いつもストレスでストレスでしょうがない。。。


溢れる、行き過ぎた「おせっかい」たち

ビニール袋案件は、代表的なおせっかい事例だとおもう。おなか一杯と言っている人に対してもっと食べるよう勧めたり、障がいを持った方に必要以上に手を差し伸べたり、幼い子供がやろうとしていることを必要以上に手助けしたり、自由に生きている人に対して「あなた、大丈夫なの?」と心配するのも同じ類だと思う。求めていないのにアドバイスをくれるのも、そう。「炎上」も、同じだ。この人は続柄的に多分こういう人だから、こうしてあげておけば安全、という思考停止の原理だと思う。この人は、袋いらないんじゃないかなと思ったらあげなければいいのだ。もしくは、必要な人が欲しいと言えばいい。どんな商品でも袋に入れて渡すことは、ただの思考(想像)停止だと思う。まだちゃんと調べていないので、何が背景にあるかはもっとしっかり調べてから意見を発するべきと思いつつ、まずはここでは直感を述べさせてもらっていることをお許しください。


助けが欲しいオーラを感じたら、助ける

ここで難しいのは、自分の正義を押し付ける「おせっかい」と、本当に困っている人に手を差し伸べる優しさ は、似て非なるものだからだ。もちろん、「助けて」と言える人ばかりではないのも知っている。なので、「助けが欲しいオーラ」を察知する力は、身につけていかないと、ドライな世界になってしまう。難しい。

ちなみに、私はこの察知能力をトレーニングしている。


成熟しまくりのオランダ人

この面で、オランダから学ぶことは、本当に、多すぎる。この国の人の多くは、「あなたがいいならいいんじゃない」感覚を持っている。なので、基本的に「観察」はするが、「干渉」はしない。アドバイスも、おせっかいも、求められなければ、しない。ただ、助けを求められたら、全力で応える。そんな国民性を感じる。ちなみに、多くの人は「助けを求める」も上手だから、全部が上手くまわる。本当に、学ぶことが多い。。。


本案件に関する私のアクションプラン

この「おせっかい問題」に関する私のアクションプランは、実は結構ある。

・コンビニの袋問題を調べ、変えられることはないか動いてみる
・オランダでの学び、日本の「おせっかい」ムードを変えたい
・「助けてほしいオーラ」を感じるトレーニング
・「助けてほしい」と人に伝えるトレーニング
・必要以上に人を助けない(差別しない)トレーニング

自分の在り方の変革も、社会を知るためのものも、社会を変えるものも、含まれている。ひとつづつ、動いてみようと思う。

「コンビニの袋問題を調べ、変えられることはないか動いてみる」に関しては、もし興味がある人がら連絡をいただきたい。一人でできないことはわかっているので。

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加藤 愛梨
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