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その10:カメラ=万年筆

「カメラ=万年筆」という言葉がある。
1980年にムーンライダースが「架空の映画のサントラ」をコンセプトにリリースした5枚目のアルバムタイトルであり、またこのアルバムから名前を採った2010年結成のバンドもいたりするが、今回はそこではない。

正しくは(と言うと語弊があるが)、1948年に映画監督アレクサンドル・アストリュックが提唱した映画理論の論文『カメラ=万年筆、新しき前衛の誕生(Naissance d'une nouvelle avant-garde : la caméra-stylo)』からである。後のヌーヴェル・ヴァーグだの作家主義だのと発展する潮流へと影響を与えた論文です。
では、どうして今回「カメラ=万年筆」を取り上げたのかと言うと、この言葉だけを単純に捉えて頭に浮かんだのが、ライカやニコンの二眼レフカメラとパーカーやモンブランの万年筆だったから。どちらも年月が味となる粋なもの。この趣味の極致のような渋い対比がたまらなく心をくすぐった。なので、映画のカメラのことだなんて露にも浮かばず、この無知さには笑うしかない。
映画といえば、2012年に市川徹監督、先日亡くなられた渡辺裕之主演の映画『万年筆』というロードムービーがある。富山県の氷見市が舞台で、パソコンが苦手で万年筆を愛用する脚本家が主人公。実は、恥ずかしながらYouTubeで予告の動画を観ただけです。

氷見市は、以前に今はない当地の詩人会が作る同人誌に詩を何度か掲載いただいた縁があり、また近年だと人口の減少が著しい消滅可能性都市のひとつとされていて、かねてより気に留める土地でもあります。更に言うまでもなく、このタイトルに惹かれて動画をつい観てしまった訳ですが、件の主人公が愛用する万年筆はモンブランのマイスターシュテュックの様子。
あ、話を戻します。アストリュック監督が論文で主張したかった「カメラ=万年筆」とは、映像は目に見える以上に文章のような繊細な感情の機微を表現することが出来るだろう、というような話(だいたいこんな感じだと思うので、ご指摘等は御容赦ください)。
今日では監督の個性漂う映画作品が日々生まれ、それが当たり前になっている。それもこの論文より流れた出た作家主義を経た結果であり、映画監督たちが自由を求めた一つの自立するモデルケースとして、作家のアイデンティティを象徴させたのが万年筆であったのです。
今回はそんな話でした。


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