サイボーグじいちゃん、逝く
「今、病院から電話でじいちゃん心肺停止で死亡確認したと…色々な手続きが有るので、病院にむかいます。」
9/9、朝早く母親から来たLINE。
覚悟はしていた。先週、施設で心肺停止になり緊急搬送されて一命は取り留めたものの、老衰で先が長くないと知らされていたからだ。ただ、覚悟はしていても感情は別の話だ。いつぶりだろう、こんなにも声をあげて泣いたのは…。
私は産まれた時から父親という存在が居なかった。死んだのか離婚したのかも知らない。ただ、当時は片親の家庭が珍しく、周りの視線は幼いながらに感じていた。ただ、父親が居ないことに違和感を感じた事は一度もなかった。やはり、おじいちゃんの存在が大きい。いつでも優しくて、私に向ける全ての表情が温かい。いつだってどんな時だって私の味方だった。どんな時もそばにいてくれた。父親代わりと呼ぶには60歳も離れているが、私はそう感じていた。1番の温かい存在だ。
「おじいちゃん、魂胆行こうよ」毎日夕飯前に散歩に行くのが日課だった。大人になって意味が分かるようになると最低の誘い文句だ。散歩ルートは決まって桟橋。近くには売店もあり、お菓子を買って帰るのが日課だった。それを見たおばあちゃんが「魂胆、魂胆」と言っていたので私は変に言葉を覚えてしまったのだろう。でも、おじいちゃんは嫌な顔ひとつせず、いつも付き合ってくれるのだ。私はその時間がとても大好きで大切だった。
ある時、おじいちゃんが心臓の病気で入院することになった。私がまだ小学生に上がる前くらいだろうか。おじいちゃんが家に居ない生活は寂しかった。土日になるとおばあちゃんと病院へ出向き、おじいちゃんと楽しく過ごした。大きい病気の意味を知らない私を見ておじいちゃんがどう思ったのかは知らないが、私といると笑顔だったのが嬉しかった。おばあちゃんが仕事の為にお見舞いに行けない日は、私1人で電車と市電を乗り継いで行った。まだ幼い私が1人でお見舞いに行くことは家族含めて周りの大人は驚いていた。おじいちゃんの為に行動した事で、私はひとつ大人になったような気がしていた。幼いながらに承認欲求が満たされ、おじいちゃんを通して成長を感じたこと、それが何より嬉しかった。
「心臓を止めて手術した」「足の血管を移動させた」そう得意げに話すおじいちゃんを見て、私は不死身のサイボーグだねと笑った。その後も、病気を患って入院することが多々あったが、「おじいちゃんは不死身のサイボーグだから大丈夫!」と常に安心していたし、現におじいちゃんも全て乗り越えてきた。さすが私のおじいちゃんだと思った。
一緒に大好きな釣りをして、魚を捌くところをずーっと見ていたり、
6年生の夏休みに描いた絵をずっと飾ってくれてたり、
私が原付の免許取ったら、すぐバイクを買ってくれて乗り方レクチャーしてくれたり、
いつも決まったスーパーで買い物するのに、私が他のスーパーでバイトし始めたらそのスーパーばかり使ってくれたり、
仕事で県外に出ても、実家へ帰ってきた時は、庭を通る私に1番に気付いてくれて出迎えてくれたり
ちょっとボケてしまった時も、他の家族の事は忘れてしまっても、私の事は覚えてくれていて名前を呼んでくれた
いつだって私のことを見て、愛してくれていた。
そんなおじいちゃんが、2021年9月9日、今日この世を去ってしまった。私の誕生日の次の日だ。誕生日を笑って過ごせるようにしてくれたの?私にはこの日付が意味のあるものに感じてならない。おじいちゃんに愛されていたという私のエゴから、都合よく解釈してるのかもしれないが、そう思いたかった。それに、いつ亡くなってもおかしくないと言われていたのに、その日から1週間も命の火を絶やすことがなかったのはやはりサイボーグと呼ばれる所以なのだろう。
ただ、人生はそううまくいかない。私はこんなに大好きなおじいちゃんと最後のお別れができないのだ。コロナ禍で実家へ帰れない…。先日おじいちゃんが搬送されてから家族で話し合い、帰らないと決めていたのだ。姉は他県民の者と接触すると最低2週間業務停止。おばあちゃんはデイサービスや医療機関を受診するのに制限が出てしまう。母親にももちろん接触NGだ。実家へ帰っても誰にも会えないのは私も家族も辛い。それに、たとえ帰って家族が1人の空間を作ってくれたとしても、見送れる自信が私にはなかった。お姉ちゃんは「私の事はいいから、後悔しない選択をしろ」と後押ししてくれたけど、私は…生きる家族の健康と生活を選んだ。おじいちゃん、会いに行けなくてごめんなさい。
コロナが流行り出してから会えていない。会えていないまま、さよならすることになるなんて、思ってもなかった。ただ、こんな未知のウイルスが蔓延る世の中で、ウイルスに侵される事なく苦しまずに逝けるのはどれほど幸せな事なのか。
93歳、老衰。大往生だよ、すごいよ。
さすが、私の好きなひとだ。