「共感する」の意味
頼ってもらうのも難しい
私は実家・茨城の高校を卒業した後、紆余曲折を経て進学のため上京。
その後就職を機に静岡に移り住み、かれこれ二十余年が経過しております。
そして現在、実家には父・母が二人で暮らしているのですが、父が数年前から体を壊しており、母がそれを支えている状況が続いております。
母とは月に1〜2回ほど電話でやり取りをしており、そこでお互いの近況を報告しあったりしています。
初めのうちは他愛もない会話がほとんどだったのですが、ここ数年はさすがに自身や父の体調に対する不安をポロポロとこぼすようになってきました。
もともと気丈な性格だった母は、多少の愚痴をこぼすことはあっても自身の不調やそれに伴う不安を口にすることはありませんでした。
そんな母が見せたこの姿に、私も不安を感じずにはいられません。
幸い弟が実家近くに住んでいるため、有事の際にはすぐに駆けつけてくれるようなのですが、数百キロという距離が抱かせる不安感、そして何よりも自分勝手に遠くの地へ飛び出してしまったことへの後ろめたさはどうしても払拭できずにいます。
そんな罪悪感もあり、最近では電話の都度母への協力・介護負担の受け入れを申し出るのですが、返ってくる言葉は決まってこうでした。
「大丈夫。こっちはなんとかなってるよ。そっちはそっちで大変なんだろうからがんばんな。」
確かに、若いころ無理して移住したこともあり、それなりに苦労はしました。その様子を見てきたが故の気遣いなんだろうと思います。
さらに昨今のコロナ禍もあり、長距離移動を伴う訪問は双方に大きなリスクが伴います。軽はずみな行動をとるわけにはいきません。
年老いた両親の元にウイルスを持ち込むようなことはしたくありませんしね。
とはいえ、何とかもう少し両親の力になれないのか。
自身の不甲斐なさに腹立たしさすら感じてしまいます。
そもそも人に「助けて」って言える?
話は変わって最近私、仕事がとても立て込んでおります。
世の中こんな状況ですので、ありがたいと思うべきことなのだとは思いますが、自身のキャパを超えるような量となるとさすがに辟易してしまいます。
加えて、私の特性上もっとも苦手としている「管理」の仕事となると、どうにもこうにも…。
ですが、上司も私を信頼しこの仕事を任せてくれているわけですから、泣き言など言わずに最善を尽くさなければならないでしょう。
私の上司や私と同じ立場の方々は、しっかりと高いパフォーマンスを発揮しているわけですし、私の部下もアサインされた仕事を高いクオリティで仕上げてくれています。
「無理しないでください。振れる仕事があれば遠慮なく振ってください。」
部下はそう気遣ってくれますが、そんな彼らも忙しいわけです。
みんなはみんなで大変なのだから、上司である自分が甘えている場合ではありません。
ですから彼らにはこう返事をしました。
「大丈夫、なんとかするよ。任せたい仕事は全部任せているつもりだ。十分助けてもらってるよ。そっちはそっちで大変なんだから無理しないで。」
あれ?
この言葉…?
そうなんですよね。心配かけたくないんです。
(もっとも、私の場合は「仕事ができないなんて思われなくない」などという安っぽい自意識も含まれていますが)
私を案じてくれる部下の気遣いには本当に感謝しています。
ですが、彼らも大変な思いをしている中さらに苦労はかけたくない。
自分で背負える荷物はできるだけ自分で背負おわなければと思ってしまうのです。
「理解」と「共感」
それでもやはり自分に対し周囲が期待するパフォーマンスを発揮できていないこの状況、くじけます。
そして、どんどん自己嫌悪に陥ってしまいます。
そんな中、現実逃避気味に Youtube で自身の自己嫌悪を少しでも和らげることができそうな情報をあれこれと探しているうちに、中田敦彦さんのこちらの動画に出会いました。
https://www.youtube.com/watch?v=UDfLBfjIA-s
そしてこの動画で中田さんがおっしゃっていたこの言葉が胸に響きました。
「もう十分がんばってるでしょ?
昨日だってがんばった、今日だってがんばったでしょ。
自分なりにがんばったんだ。」
当然、この言葉は私個人に向けて放たれたものではありません。
ですが、これこそがこの時の自分がいちばん投げかけてほしい言葉だったのだと思います。
「がんばっている」ことを認めてくれた。理解してくれた。
「つらい」気持ちを共感してくれた。
今思えば都合のいい受け止め方ですが、これで随分と心が軽くなったことを覚えています。
理解・共感。
まずはここからなんですよね。
「相談に乗りたい、協力したい」って言ってもらえる、その気持ちは本当に嬉しいし感謝しているんです。
けどやっぱり遠慮しちゃうんですよ。
申し訳ないという気持ちもあります。恥ずかしいという気持ちもあります。
だけど、自分の気持ちにきちんと寄り添ってくれている人にならば、協力してほしい、お願いしてみたいと思えるかもしれない。
多分母も同じ気持ちだったのではないでしょうか。
本当は辛い、本当は助けてほしい。
だけど息子も大変。みんなも大変。
自分だけが苦しいわけじゃない。だから泣き言なんて言えない。
つまり母の心に共感できていなかった、母の心を理解できていなかったんですよね。
ホント、不甲斐ない息子ですみません…。
もしかしたらとんだ的外れかもしれません。
だけどこの気持ちを抱いた今の私なら、これまでよりも少しは母の心に近づけるかもしれない。
だから今度母に会う時、私はこう伝えようと思います。
「お母さん、今までがんばってくれてありがとう。ここからは僕に任せて。」
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