男も泣いたらいいんだよ
つい先日ラーメンを食べたときに俺は辛くないのを頼んだが、一人の女性が激辛超えに挑戦し、一口だけもらったら口から火を吹いて、普通のラーメンがずっと辛く感じるほどだった。同じ場にいた男性が一口食べる流れになった。「俺は女だからいいよ」と遠慮した。その発言がすごい好きだった。でもその後しっかりスープをすすって「舌じゃない!喉が終わった!」と悶絶していて俺は笑顔になった。変にかっこつけずに自分の中の女を認めることができる男性はいいなあと常々思っている。
前回は二村ヒトシの『すべてはモテるためである』の読書感想文を書いた。今日は同じ著者の『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読み始めている。すべモテを買う時にちょうど見つけてノリで買っていたこの本ひらいてみるとどうやら女性向けとのことであった。
が、しかし思い出したい。すべモテのほうでは「あなたの中にはいろんなキャラがいる」と書かれていて、それを著者はスーパー戦隊に例えていた。つまり、男の中にもモモレンジャーがいる。で、このモモレンジャーこそが他のレンジャーを指揮する陰の真のリーダーであるべきなんですと述べられていたことを。
俺の中の女性がこの本を読めばいいのである。パラパラとめくるとパッと目につく見出しがある。それが自分にとって大切なことのような気がしているので、最初から最後までしっかり読むスタイルではないが、いくつか反応した言葉を紹介したい。
まずp92の男は「インチキ自己肯定」が、できる。今の社会では男であるだけで自己肯定ができやすい世の中だと著者は言っていて、男性のあり方に多様性があると説かれている。ここにまずピンときた。たぶん日頃から生きづらさを感じているのは、その多様性からすら自分が外れているように思っているからだと思う。うちは父が悪役で、母が守ってくれていた家庭環境で育った。ゆえに三十路を超えても、未だに男の人が怖いという瞬間がある。女性は一緒にいて安心感を覚えやすい。単純に自分が男だからという理由もあるのだろうけど、心理的にも女性の方が親しみやすいように思う。それについても『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』には明記されている。『リストラされて働けなくなったり、ひきこもりになったりとすると、自己肯定も難しくなるでしょう。「自殺率は男性の方が高い」という現実もあります。』p93
どれもこれも素晴らしい記述ばかりで、どこをピックアップしたらいいのか困るくらいだ。150pの「感情は、考えないで感じきる。」もその内容に納得した。感情に良し悪しはないということが書かれている。それを読んで思った。俺はたまに泣く。映画を見てとかの涙とは別に「どうして誰もわかってくれないのか!」が大爆発して大号泣することがある。一年に一回くらい彼女の前で「大丈夫か」と背中をさすられるくらい、猛烈に泣く。で、その後がすごくて、めちゃくちゃスッキリする。なんで俺は不満を抱いてたっけと思うくらいケロッとする。最近もそういうことがあって、それで俺は「男も泣いたらいいんだよ!」とそのとき強く思ったのであった。
p43の ”つらいのは「今の自分を受け入れていないのに、ナルシシズムが強すぎる」から。” これもいい意味でエグい。これはもうこのたった一言で核心を突かれる。
個人的にこの辺が大変面白いと思った。
そういえば数年前にベトナムに行ったことがあるのだが、現地のカフェでくつろいでいるとき、女性グループがいて、一人の女性が電話を取ったと思ったら、周囲のことはお構いなしにブチ切れ始めた。言語が違うから聞き取れないが、あれは絶対男に怒ってる、と思った。
たまに泣くのと同じくらいの頻度でキレるということが俺にはあるのだが、その度にいつもすごく反省してションボリしていた。でもよくよく振り返ってみると、ある程度理不尽な目に遭っている後にキレていることが多く、ヒステリックとか病的とされるけれど、感情に良し悪しはないと思ったら、まあキレるのも正当なのかなと思う瞬間もある。
話は変わるが、先日のことである。友人宅へお邪魔しておしゃべりを楽しんでいた。いつもお世話になっている女性から「仲直りってどうする?」と質問を受け、俺は思ったままに「言葉に気をつけ、怒りの感情は絶対に出さないようにし、頭が冷静になった瞬間を狙って、素直に『ごめんなさい』と謝る」と言った。結局これしかないと思っているのだが、この時、本当に心の底から申し訳ないと思っている「ごめんなさい」じゃないと意味がない。自分の罪悪感を払拭するための懺悔は秒でバレる。LINEで謝るだけなんてもってのほか。直接、謝ること。で、これがこの本を読んでいたら、同じようなことが書かれているではないか。
”つまり「おたがいさま」なんです。"(p194) 水野晴郎風に「いやぁ、読書って本当にいいもんですね~」と言いたくなる。俺はこじらせるとすぐに「どうせ俺が悪いんでしょ!」と憤る癖がある。やっぱり良し悪しじゃないんだよなあと思う。
この言葉にはドキッとしながらも救われた。なんかわからないけど罪悪感というのは伝染するというか。
今回この本をざっくり読んでみて、自分自身の内側にある「支配欲」を突きつけられた。やはり、心のどこかで相手を思い通りにしたいという欲求があるのだ。それが怒りや涙で現れたりする。
恋が執着なら、愛は解放だと思った。言い訳っぽくなるが、相手への執着を手放そうとするとちょっとしたさみしさみたいなものを感じる。「相手のことがどうでもよくなっちゃってるのではないか」と思う。でも、きっとそんなことはなく、ただ心の穴に躓いているだけなのだろうなあと。
『すべてはモテるためである』では、自分の中にいる女の子が「すなおな性格」になってくると、顔やスタイルだけじゃなくて、現実の女性の「いいところ」が見えてくるようになってくる、ある女性を好きになったとしたら、その「彼女」と「あなたの中の【女】」は、似ているところがあるはずなんです、自分の心の中の女が、惚れるような男になりましょう。そう述べられている。
自分の心の中の女が、惚れるような男。そばにいるとき愛してくれて、離れたとき自由でいさせてくれる人がいいなあと思った。