認知症 最後まで忘れない大切なもの
こんにちは!介護職7年目のmocmocです😊
今日は、母の介護から始まり介護士としても7年間、認知症の方々に関わってきた経験と、それにより今感じている事を書きたいと思います。
色々な事を忘れ、様々な物や人を認識するのが難しくなり、それでも人の心の中には大切な何かが残っている(のではないか)というお話です。
認知症のこと
■周囲の認識
「ボケちゃった」などと言われていたのは昔の事で、今は高齢化社会の世の中で「認知症」という言葉はよく耳にします。これだけ取り上げられていると、介護職でなくてもかなりの知識と理解があるのかもしれません。
私は恥ずかしい話ですが、あまり考えたことがありませんでした。認知症という言葉は知っていても、
「認知症」=「ボケちゃった」
と、昔の感覚です。
母の異変を感じたのは40代です。転んで怪我をした。と電話が入りました。病院や薬の管理が必要になり、母宅を訪れる回数が増えます。
何だか変な格好をしている事がありました。寒いわけでもないのに服の上から色々な布を巻いています。
「お母さんがいない」「ボヤを出した」と連絡が絶えない日々が始まりました。
これが「認知症」かな。
福祉系の学校を卒業し、若い介護士さん、看護師さん、PTさん、OTさんなど沢山の方々が働いているのを見ると、本当に頭が下がります。
若い方が介護に直面している話も聞きます。
どうか、自分だけで抱えず色々な人に相談してください。
それでも、それでも、
まだまだ、昔の私程度の認識の方は多いのではないでしょうか。
認識はしているけど、深くは考える機会がないと言う方も。
「ボケちゃった」=「言ってもわからない人」と……
■進行による症状の変化
専門的な事が書けるわけではないので簡単ではありますが
初期の頃の軽い症状
もの忘れが増える
怒りやすくなる
身だしなみに構わなくなる
などから、中等度の症状になると
道に迷う
徘徊する
家事が難しい
出来事を忘れる
日付、季節がわからなくなる
など、生活にも影響が出て来ます。
人によっても様々で一概には言えない事ももちろんです。
重度になると
言葉の理解が難しくなり、本人の話す言葉も減っていきます。
物の認識も難しくなります。それが何なのか、歯ブラシ、消しゴム、ティッシュペーパー、トイレの便座、火災報知器。口に入れるものなのか、何なのか。
お箸の使い方などわからなくなっても、まだ食欲があればいいのですが、食べ物にも興味を示さなくなってしまう方もいます。
食べたとしても身体の機能が低下して、飲み込むことが上手く出来なくなっていきます。
こうなると、後期と言われています。
忘れていく気持ち
■Mさんの涙
グループホームは認知症と診断を受けた方で、自宅での生活が困難になった方が終の住処として入所されます。
なので、症状も少し進行してしまった中等度以降の方が多いと思うのですが、時々本当に初期段階の軽度の認知症の方が入所されることもあります。
Mさんはご家族がなく、一人では不安があり入所をご自身で決めた方でした。ご自分の健康状態、認知症の事も理解しています。
物忘れも軽度で、入所してからの必要なこと、わからないことも職員にどんどん尋ね、忘れないように一生懸命メモしていました。
少し気が強く、ゲーム系のレクリエーションなどは「負けてられないよ」と勝負にこだわります。
気持ちは優しい方で、車いすの方が困っていると助けてあげます。
ある夜の巡視、お部屋のドアを開けるとMさんがベッドに座っていました。暗い中。カーテンが開けてあり、夜景を見ながらMさんは泣いていました。
「少しずつ忘れてくんだね」と一言。
背中をさすりながらしばらく黙って横に座りました。
忘れていく自分を自覚する。
計り知れない気持ちです。
■私は誰になっていくの?
これは介護職の最初の資格、初任者研修を受講したときの講師の方が教えて下さった本です。タイトルにも惹かれすぐに読んでみました。
若年性認知症の診断を受けた方が、ご自身で書かれた、認知症の方が感じる世界です。
この方はご家族、友人、信仰が心の支えになり、症状の進行を食い止めながら病気と向き合っています。
症状の進行には周囲の環境や接し方、本人の気持ちも本当に大きく関わってくるんだと思います。
認知症になっても人生は終わりじゃない。しっかりと自分で選択して、生きていける。
勇気がもらえる、おすすめしたい一冊でした。
■Sさんの「ありがとう」
今は重度となってしまっている、Sさんの話です。
Sさんは色々な事を忘れてしまいました。
以前は昼夜逆転、他者の部屋を開けながらの徘徊、収集、トイレがわからず放尿、何をされるかわからない為の入浴拒否など問題行動(周りの人にとって問題とされる行動)が多く、利用者さんや職員からもよく怒られてしまっていました。怒らないでーとよく思っていました。
コロナ前、ご家族が面会に来てもわからない様子でした。他界されているご主人のことを「○○じいちゃん」と、よく話しをしていましたが今は言いません。
意味のある言葉は減っていき、黙って座っていることが多くなりました。話しかけても会話はなりたたず、業務を一生懸命やる職員は声すら掛けません。
以前は色々な物を収集していましたが、今は物への興味も歩く目的もわからないようです。足も弱ってきました。
トイレに行きたい気持ちも表現できません。放尿のあった頃はまだ「どこかでパンツを脱いで排尿する」という行動ができていましたが、今は少し表情を変えるだけです。険しい顔をしている時、トイレに誘導すると便だったりします。
口に運べばご飯は食べてくれますが、方法がわからず目の前のものは掴んで落とします。
そんなSさんがテレビに満開の桜を見つけた時「あー…」と、感嘆の声を上げているのを見ました。
Sさんの心の中では○○じいちゃんと行ったお花見の場面が蘇ってるのかもしれません。想像ですが。
(お花見のドライブではソワソワとお花どころではなかったようです)
私はSさんが大好きで、話しかけるとすごく笑ってくれます。心は通じているんだと感じます。
トイレに誘い、座って貰うときは座り方がわからず怖いのか、よく胸ぐらを掴まれます。だけど排泄後は必ず言うのです。
「ありがとう」と!
色んなことが理解出来なくなっても、Sさんは感謝の気持ちを忘れていない。
してもらったら「ありがとう」なんだ。
最後まで忘れない言葉が「ありがとう」なんだ。
Sさんは人生で何百万回の「ありがとう」を言ってきたんだろう。
介護職は「ありがとう」とよく言ってもらえる仕事かもしれません。こちらこそ、色々な事を教えてもらい「ありがとうございます」なのですが。
本当に大切な気持ちを最後まで忘れていない、Sさんを見習いたいです。
■心に残った映画のはなし
さいごに
これは先輩から教えてもらった、認知症をテーマにした映画です。
「ペコロスの母に会いに行く」
原作はマンガらしいのですが、最後の方でお母さんの心の中が映像として見られるので、私は映画を見てとても胸が締め付けられました。
周りの人からはただ黙って景色を見ているだけのように見えたとしても、その方の心の中では何か大切な物を思い出しているのかもしれない。
大切だった時間の中にいるのかもしれない。
私にとって、最後まで心に残るのはなんだろう。
そんな映画でした。是非。
長々と書いてしまいました。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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